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六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜  作者: 条文小説


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36/56

036 ~延徳4年(1492年)3月 矢作川~

挿絵(By みてみん)

出典:ミツカン水の文化センター

https://share.google/SZZtnBEgkeRmLddq9


~登場人物~

権六…山地師見習い

紫乃…鈴木勝重の遺児

    ~延徳4年(1492年)3月 矢作川~



 矢作川の川音が腹に響く太鼓のようだ。専如たちが本願寺へ発ってしばらくして、私は「水車」の製作を山地師総取締の筒井与右衛門に頼み込んだ。


 一月(ひとつき)のうちに「水車小屋が完成した。」との報せがあった。さすがは木工集団の木地師たちである。


 さっそく私たちは、玄米を(うす)()き、玄米の表層部を削る酒造りの最初の工程「精米」の動力源である「水車」を確かめに、矢作川へ向かった。


 雑味を削った残りを示す精米歩合は、食用で九割、純米酒で七割だ。いつかは精米歩合五割の大吟醸酒を目指したいものだ。――そんなことを考えていると、水車小屋が視界に入ってきた。


 水車小屋の中へ入る。流石は木地師達、短期間にも(かかわ)らず丁寧な仕事だった。

 しかし…たしかにコットン、コットンと(うす)()けている。だが彦兵衛らに運ばせ(うす)を二組、三組と増やしていくと、(きぬ)が一斉に「どん」と落ちた瞬間、水車が唸って止まってしまった。


「竹千代様、欲張りすぎではござらぬか。水の勢いはあれど、川が押す力は案外細い。」


 与右衛門が汗を拭いながら、私の「玄米から白米へ、複数の(うす)(きね)で大量に『精米』する」計画にケチをつける。


 そんな会話の端で、与右衛門が顎で示す先に、年端もいかぬ少年がいた。木屑だらけの裃もどきに、髷も結わず、眼だけがきらきらしている。


「見習いの権六と申します。どうしても水車が見たいと申すので連れて参りました」


 権六は暇さえあれば絡繰(からくり)を作っている変わり者と聞いたが、この場に置くということは、与右衛門もその才を買っているのだろう。


 もう一組、むさ苦しい男だらけの場に不似合いな幼い姉弟がいた。鈴木重勝の忘れ形見、紫乃と弟君だ。昨年暮れの菅沼との合戦で両親を失い、捕らわれの身としてこの町に連れてこられた。


 自らと弟の未来のため、紫乃は誰よりも貪欲に学んでいる。帳面を抱える手が震えていないのが強さの証だった。権六はちらと紫乃を見て、すぐに目をそらした。耳がすこし赤かった。


 そんな権六はしばらく黙って河原の泥に棒で図を描き、水車の羽の下・真ん中・上を指す。


「“押す”より、“乗せる”ほうが重いものを運べると思うんだ。人も手で押すより背で負うだろ。」


 少年らしく理屈の説明はおぼつかないが、眼の奥は確信に光っている。


 権六はさっそく川端に浅い樋を組み、水車の羽の真ん中あたりへ水を当てる事を試みた。(うす)が四組目までは杵は軽やかに()くものの、与五郎が五組目の臼を加えると水車は失速した。


「なんでだろう?」と自問する権六は、水車の羽に手を当てた指先で力の逃げ方を確かめる。


「押す力は流れが遅いと細る。重さなら流れが遅くても重い。――上からだ!」



 権六は改めて樋を高く掛け替える。だが角度を誤り継ぎ目から水が滝のように漏れた。紫乃が竹を手に寄ってきて、「跳ねて勿体ないね」とだけ告げる。


 助言ではなく観察の報告。それが権六のようなタイプには一番響くのだろう。権六は頷き、羽の外周に小箱を並べる案を自ら引き出す。


「受け箱だ。水をつかまえる器が要る」


 さっそく権六は小箱を組むと、上から入った水が重さで車をぐいと回した。


 ところが今度は土砂で樋が詰まり、小箱が破れた。与右衛門が渋面になると、権六は川砂を一握り、掌でふるって見せる。


「重いものは沈む。なら、沈めてから送ればいい」


 樋の途中に“砂落とし”の枡を入れ、入口に()を斜めに立てる。紫乃は帳面に「砂はここで落とす」と記し、静かに頷いた。


 次に権六は、棟木の下に一本の長い丸太軸(ラインシャフト)を通した。横から小さな木車を噛ませ、縄で各台へ回転を配る。縄を緩めれば止まり、張れば動く。


 だが新たな問題が発生する。拍の暴力(はんどう)――十本の(きぬ)が同時に「どん」。軸が一瞬たわむ。


「太鼓はずらして叩けばいい。」


 権六は非対称機構(カム)の山を一本ずつ位相をずらし、衝撃を散らした。音は「ドドド」から「トトトト…」へ。負担が分散し、回転が落ち着く。


 私を含め与右衛門ら木工職人である山地師たちも正直、権六が独り呟きながら何を(いじ)ってるのか全く理解できないため、ただその場に立ち竦んでいた。


 今、権六はおそらく尋常ではないスピードで水車の大型化に伴う難題を解決をしてくれているのだろうが、もはや木材加工の範疇ではない別の何かに、私たちは皆ついていけない。


 さらに新しい問題――停止の難しさ。詰まった(うす)だけ止めようと縄に手を出し、権六は指を挟んだ。紫乃が布を差し出し、まっすぐに彼の目を見る。


 痛みと紫乃の視線に背を押され、権六は小板の梃を据えた。


「踏めばふっと緩む」


踏み継手。足で安全に止められる仕掛けだ。


 権六は樋の途中に引き戸のような板を差し、余分な水を逃がす角度を探った。


 次々と問題が出る、暴れ水。水車が回りすぎて縄が焼けた。権六は樋の途中に引き戸のような板を差し、余分な水を逃がす角度を探った。失敗のたび、紫乃は「跳ねてる」と事実だけ報告する。


 歯車の外周に重い木の輪をはめ、内側に玉石を入れて蓋を閉めた、惰性輪(フライホイール)だ。ゆっくり大きく回るものを巻上滑車(ピットホイール)で受け、縦の小歯車(ピニオン)に渡して速め、その先でまた平歯車(スパーギア)で欲しい速さへ仕立てる。権六が呟いた。


「速い軸に重さを乗せると、息が続く。拍が途切れない」


 もう私たちは権六が何を言って、何をやっているのかさっぱり解らないのだが、権六の眼差しを見ていると、何かすごい事をやってくれたのだろうと皆が思った。


「下からちょんより、上からどすん。押すより乗せる。効き目は……半分から三分の二、そんな‘感じ’だ」


 全く付いていけていない私たちに言い切る権六の表情は、勘から確信へ変わる途中の顔だった。



――――水車


 日本酒の醸造がバイオテクノロジーの最先端であるならば、その動力源となる水車はインダストリアルテクノロジーの最先端だ。


 後年、農村部にのみ残ったために「水車は農村のもの」というイメージがある水車だが、実は殖産興業の動力源であり、紛れもなく都市工業のバッテリーでありエンジンだった。


 水を得にくかった土地に灌漑を施し農地を広げていった、水を引く「揚水水車」の活躍はもちろん言うまでもない。


 しかし水車の本質は、人力に比べて圧倒的な動力を持ち、大量生産を可能にした″産業革命″のネルギー源としての「動力水車」である。


 史実でも大正時代以降、動力用に電力が整備されることで都市部から水車は減少したものの、明治三十年(1897年)には日本全国に6万台以上の「動力水車」が存在し、各地の産業を支えていた。


 「動力水車」はいわばモーターで、用途に合わせて何にでも使える。江戸時代には酒造業の発展と共に、「動力水車」が大型化し、主に米 ()きや菜種油絞りに使われた。


 江戸後期になると、米 ()き以外にも火薬製造や、鉱石の粉砕、金属加工、ふいごの動力、など各種産業に応用されるようになった。


 他にもノコギリを動かす製材水車や陶土をこねる陶土用水車、明治時代に入ると製糸工場で稼働した撚糸水車など、水の力を動力に変換して考え得る限りに利用された。


 江戸・淀橋にあった「動力水車」は、明治二十年(1887年)の改修で、水を受けて回転する水輪(みずわ)の直径が約6.67mあった。その動力で()き臼59個、()き臼3個を同時に動かしていたという。


 つまり「動力水車」なくしては、明治時代の殖産興業もその後の日本の繁栄も有り得なかった。


 日本に高句麗から水車が伝来したのは推古天皇18年(610年)だと言われている。しかし当然ながら水車は建造にも維持管理にもコストが掛かる為、そのパフォーマンスの受け皿となる工業が無かった日本では永らく普及しなかった。


 江戸時代になり酒造業の急発展があり、短期間に大量の米 ()きをする必要が生じた事が、水車による″動力革命″の原動力となった。


 つまり酒造りの産業化は、大型化された水車があってはじめて成り立つのである。



ーーーーー



 権六が水車小屋を弄り倒し終わったので、水車小屋横で湯気の立つ粥を皆で(すす)る。与右衛門が口を拭って言った。


「最初は臼一組で満足しておった。だが竹千代様は十の臼を望まれた。正直、水車ひとつでは無理と思うたわ。」


「無理なのは、水車ではなく頭です。」


 権六が言うと、紫乃がふっと笑い、弟君が臼の拍に合わせて跳ねる。


 私は相変わらず回り続ける大きな水車を見上げた。


 上から落ちる水が小箱に収まり、重さとなって回転へ変わる。

 回転は歯車を通して長い丸太の軸へ伝わってゆく。非対称機構(カム)が横回転を杵の上下運動へと変える。十の臼がそれぞれ違う拍で打ち続ける水車小屋はまさに近代の工場そのものだった。


紫乃が横に立つ権六に声を掛けた。


「権六さん、次はどうするの?」


権六は少し考えてから、


「うーん、まだ色々直したいところはあるけど…紫乃さん帳面の次の欄、空いてる?」


紫乃が答える。


「空いてるよ。埋めてみせてよ。」


 言葉は短いが、目が期待で笑っている。権六は胸を少し張り、すぐに目をそらして竹尺を握りなおした。



ーーーーー



 真っ赤な夕焼けの中で権六はまた歯車の角度を測っていた。与右衛門が笑う。


「止まらぬ小僧だな。」


 紫乃が踏み継手を軽く踏む。一本の臼が静かに止まり、他の九本は変わらず「トトト…」と拍を刻み続ける。


権六はその横顔をちらりと見て、また耳を赤くした。

~参考記事~

機関誌『水の文化』28号 小水力の包蔵力ポテンシャル/ミツカン水の文化センター

https://share.google/SZZtnBEgkeRmLddq9


~舞台背景~

 単に説明文だとつまらないかなと思い、新オタクキャラ権六を通しての酒造り第1工程「精米」と「水車」の説明回です。

 権六は「からくり儀右衛門」と呼ばれ86歳で亡くなるまで生涯、機能美とユーモア溢れる傑作を生み続けた発明家、㈱東芝の創業者である田中久重をイメージして書きました。

 また田中久重は「知識は失敗より学ぶ。事を成就するには、志があり、忍耐があり、勇気があり、失敗があり、その後に、成就があるのである」という名言も残してます。

 まあ、エジソンの電話機を秒でコピー出来たという田中久重が失敗を語っても説得力ありませんがw

 それよりも、㈱東芝の創業の動機が金儲けとかじゃなくて、「万般の機械考案の依頼に応ず」という看板を掲げた工場を構えた(1875年)っていうなんか物作りの情熱を感じる逸話に心打たれました。

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