神の眠りを妨げた勇者
「よくも起こしてくれたわね! やっと眠ったところだったのに!」
目の前には怒りのオーラで髪を逆立てている女神。
背後には床にひれ伏して震えている神官、気絶している魔法使い、女神の怒りの鉄拳をくらってすでにボコボコにされている戦士。
勇者は遠い目をして思う。
なんでこうなった…。
※
とある世界のとある王国。
この王国には古い言い伝えがある。
300年に一度、魔王が復活して混沌の時代が訪れる。
その魔王を殺すことのできる武器『破邪の剣』。
それを使うことができるのは王に認められた勇者ただ一人。
というわけで当代の勇者が仲間を引き連れて『破邪の剣』を取りに某所に来たのだが、その某所というのが問題だった。
神のいとし子が眠るという洞窟、すなわち神聖なる墳墓の奥だったのだ。
ぶっちゃけ副葬品を持ち出しに来た墓荒らしである。
「神聖盗掘……神よ、どうか我らをお許しください。罪なき衆生を救うためなのです」
神官は祈りを唱えている。
墓荒らしは重罪だが、今回の墳墓への立ち入りと『破邪の剣』の持ち出しは神殿が許可を出している。
魔王討伐のためにはやむを得ないと判断され、超法規的措置が取られたのだ。
ただし、立ち入り許可を与えられたのは勇者とその仲間数名だけ。
大勢で踏み込んで荒らすことは許されない。
「守護者がいそうだな。『主の眠りを妨げるのは誰だ~』とか言って」
戦士がのんきな声で言うが、その内容は危険を予測したものだ。
「何が出たって返り討ちにしてあげるわ。私のこの杖でね」
ルビーをはめ込んだ杖を振る魔法使い。
生まれは貴族の令嬢のはずだが、攻撃魔法が大好きで血の気が多いお転婆娘だ。
「ほどほどにしてくれよ。墳墓を傷つけないって条件で許可を取っているんだから」
魔法使いを窘める勇者。
一行のリーダーであり、王国の希望、文武両道、眉目秀麗、品行方正、多芸多才…と色々な四字熟語が当てはまる青年である。
一行は曲がりくねった洞窟を進み、時にジャイアントバットやガーゴイルなどの魔物と戦い、時に盗掘避けのトラップをかいくぐりながら、ついに最奥部へと到達した。
そこは墓と呼ぶには清らかな、可愛らしささえ感じられる空間だった。
丸天井には青空と擬人化された太陽や月や星が描かれ、壁には森と湖の絵、床には花畑の絵が色鮮やかなタイルで描かれている。
「モザイク画だ。綺麗だな」
「いとし子の魂を慰めるためなのでしょう」
玄室の中央にはいとし子が眠っているのであろう棺が安置されている。
棺それ自体にも花や動物のレリーフが施され、心を和ませるような柔らかな色彩で彩られている。
「ウサギ、ヒヨコ、リス……いとし子は動物好きだったのかな」
副葬品の一部であろう、おもちゃの様に小さな家具にも動物の意匠が施されている。
「そんなことより『破邪の剣』はどこにあるのよ?」
魔法使いが周囲をキョロキョロ見回している。
玄室の中には武器らしいものが見当たらない。
その代わり壁際に大きな箱があった。
「あの中にあるかもしれない」
箱には錠前が付いていたが戦士がナイフを差し込んでこじ開けた。
「……あった」
清冽な水のような白と青で縁取られた鞘、透明な宝玉を埋め込まれた銀色の柄、一点の曇りもない澄み切った刀身、まさに聖剣と呼ぶにふさわしい剣がそこにあった。
勇者がその剣を手にすると…。
リンゴローン、リンゴローン…
剣の柄の宝玉から不思議な音色が流れ、いとし子の眠る棺から『アーン、アーン』と泣き声がし始めた。
壁の一部がバーンと開いた。
「うちの子のおもちゃ箱からガラガラを出して鳴らしてるのは誰!?」
隠し扉なのだろう壁に開いた四角い穴から足音も高く表れたのは、髪の毛ボサボサ、化粧っ気なし、白目は充血し、目の下にくっきりと隈が出来ていて、明らかに寝不足と思われる様子の……女神だった。
※
まず戦士が殴り倒された。
うちの子のおもちゃ箱を勝手に開けたわね、泥棒! というわけだ。
次に魔法使いがしばき倒された。
「えっ、女神? 嘘、オバサンじゃない」
と呟いたのが癇に障ったらしい。
「女神様、どうかお許しを!」
と叫んで突っ伏した神官は難を逃れた。
ガタガタ震えてものの役に立たないが。
そして残るは勇者。
「うちの子はね、寝付きが悪いのよ! 三百年に一度は授乳しなきゃならないのに、一度起きたらなかなか寝てくれないのよ! 百年かかってやっと寝かしつけたのに、これで二百年くらい寝ててくれるかなと思ったのに! 私だってね、寝ていたいのよ! 疲れているのよ! 子どもが寝ている間しか休めないのよ! やっと眠れると思ったのに、よくも起こしてくれたわね!」
激おこである。
「済みませんでした! 悪気はなかったんです!」
勇者はスライディング土下座して低い所から女神を見上げた。
女神は出るとこ出てるナイスバディだが、育児中だからだろうか、胸がいささか大きすぎ、重たそうである。
その重たげな胸を持ち上げるようにして腕を組み、女神は勇者を見下ろした。
瞳に怒りの焔が見える。
「悪気はなかったで済めば警察は要らないのよ」
神々の警察、強そうだ。
「お子さんを起こすつもりはなかったんです! ただちょっとだけお借りしたい物があって」
「捕まった泥棒はみんなそういうのよ。盗むつもりはなかった、ちょっと借りただけだって」
「いえ本当に本当なんです! 神殿からも許可が下りていて」
「聞いてないわよ!」
神殿はきちんと祈りを捧げたが、仮眠中の女神には届いていなかったのだろう。
不幸な行き違いである。
女神の怒りはすさまじかったが、勇者はなんとか説得に成功した。
イケメン無罪は謝罪時にこそ活きる。
「だったら起こした責任でうちの子を寝かしつけてちょうだい。無事に寝かしつけできたらそのガラガラ持ってっていいわ」
「寝かしつけ…ですか」
勇者は『赤ちゃんを寝かしつける方法』で脳内検索した。
この世界に生まれてから今まで、その前の前世地球で生まれてからこの世界に来るまでのあらゆる記憶を検索して…。
「…や、やってみます」
勇者は棺を開けて、いとし子を抱き上げた。
神のいとし子、生後2万4千年、体重6500g、最近首が座ってきたところ。
「ね~むれ~、ね~むれ~」
勇者はぐずって泣くいとし子をゆらゆら揺らしながら歌った。
下手な歌を、何曲も、何十曲も、何時間も、いとし子を抱いてゆらゆらと揺れながら。
※
「…大変でしたね」
「何も言うな」
神官の慰めを勇者は拒否した。
神のいとし子は勇者の体力が尽きる寸前にやっと眠りに落ちた。
そーっと棺に寝かせ、蓋をして、『破邪の剣(いとし子のガラガラ)』を借り受けて、起こさないように、物音を立てないように、そーっと玄室を辞してきたのだ。
勇者が必死に寝かしつけをしている間に神官は仲間を蘇生(?)させ、決して声を出すな身動きするななるべく息もするなと言い聞かせていた。
女神の怒りの恐ろしさを身をもって知った仲間たちは息を殺して玄室の隅で小さくなっていた。
来た道を戻り、洞窟から外に出て、墳墓が見えなくなるところまできて、やっと勇者一行は息をつくことができたのだ。
「三百年に一度の授乳と言ってましたね」
「思い出させないでくれ」
「でも魔王の復活ともしかしたら関係が」
「忘れるんだ」
考えたくない、伝説に秘められた真実なんか。
眠るいとし子は本当に眠っている赤ちゃんで、墳墓だと思っていたのはベビールームで、副葬品だと思っていたのは幼児用家具とおもちゃだったなんて。
「神殿へ報告を」
「勝手にしろ。俺は忘れることにする」
このストレスは魔王にぶつけてやる。
いとし子のガラガラ、これで思いっきり殴ってやる。
魔王の野郎、人の苦労も知らないで。
いっそあのベビールームに魔王を連れて行ってやろうか、こいつが元凶なんです、と。
女神にワンパンされればいい気味だ。
いや、それをやったら俺も女神に殴られるだろうな、と勇者は考え直した。
いとし子の眠るベビールームに魔王などという不審者を連れ込んでただで済むはずがない。
今回生きて帰れたのだって奇跡なのだ。
いとし子が眠ってくれなかったら、衰弱死するまであのベビールームで歌わされ続けたことだろう。
いや、衰弱死する前に疲れた腕がいとし子を取り落とし、即座に女神に殺されたかも。
魔王よりも恐ろしい、目を血走らせた女神。
この世界であの女神が一番怖かった。
いとし子が泣き止むのをイライラしながら待っている、あの女神が。
もう二度と会いたくない。
「とにかく魔王を倒せばいいんだ。サクッと倒しに行こう」
そして忘れるんだ、ベビールームでの苦痛に満ちた恐怖体験を。
<終わり>
(追記:勇者は気づいていませんが、ガラガラは借りただけなので、返しに行かないといけません。つまりもう一回あのベビールームに侵入しないといけないのです。おもちゃ箱にきちんと返却しないと女神怒りの天罰が…)