第八話『初めての実戦』
白鷺天音は、朝の教室でぐったりと机に突っ伏していた。
その様子を見かねた友人のゆいが、心配そうに声をかけてくる。
「今日は珍しく早く来てるみたいだけど……もしかして、オールした?」
「いや……オールはしてないけど、昨日すっごく疲れてさ……」
天音は昨日の出来事を思い出してげんなりする。夜遅くまで、魔法の訓練に付き合わされたのだ。想像以上に、神代朱璃はスパルタだった。
「天音ってバイトしてたっけ?――まさか……男?」
「ち、違うから! えっと……勉強、かな……?」
“魔法の勉強”などと言えるわけもなく、言葉を濁しながらなんとかごまかす。
「天音が勉強するわけないじゃん。やっぱり男だ~! うぅっ、ゆいは悲しいです……」
「だから違うってば! ていうか地味にひどくない?」
まあ、勉強はいつも最低限しかしてないのは事実だから、あながち間違ってはいない。
***
時は昨夜へと遡る。
「……学校に行ってもいいんですか?」
礼拝堂に呼び出された天音は、影山の言葉に思わず聞き返した。
「ええ。いつまでも秘跡会に籠もっているわけにもいきませんからね。我々としてはそのほうが管理しやすいのですが、白鷺さんの自由を奪うわけにもいきません。もちろん、護衛はつけますが」
影山に続いて、朱璃が付け加える。
「護衛は、私ってことね。同じクラスだからって、四六時中付きっきりってわけにはいかないけど……。でも、その分、登校前にはきっちり魔法の練習をするわよ?」
「えっ、今から!?」
そして、深夜まで続いた訓練の末、今に至る――。
朱璃はスパルタ。ほんとに怖い。その印象がしばらく頭から離れそうになかった。
***
「今日は、すべての部活動を中止とします。速やかに下校するように」
帰りのホームルームでの先生の一言に、教室がざわめく。
クラスメイトの一人が声を上げた。
「それって……通り魔事件のせいですか?」
「ああ。知っている者もいるかもしれないが、ここ最近、このあたりで通り魔事件が多発している。帰宅時は、なるべく複数人で行動するように」
ホームルームが終わった後、荷物をまとめていると、ゆいが声をかけてきた。
「部活ないし、一緒に帰ろっ!」
特に断る理由もなかったので、天音は誘いを受けた。ゆいとお喋りしながら校門付近まで歩いていると――。
「……なんか、ちょっと騒がしくない?」
天音は違和感を覚えて足を止める。
近づいてみると、すぐにその原因が判明した。
――他校の制服を着た男子生徒が、自分たちの高校の先輩たちと会話している。
しかも、その人物は――天音もよく知っている顔だった。
「――待ってたよ、白鷺。少し話があるんだけど……いいかな?」
そう声をかけてきたのは、天城蓮だった。
(え、うそ……やめて、ほんとにやめて……!)
他校のイケメン男子が校門前で待ち構えている――そんな、少女漫画的なイベントの当事者になるなんて思ってもいなかった。せめてスマホで連絡してくれれば……と画面を確認すると、充電が切れていた。
(……私のせいじゃん……!)
「やっぱり男……!?」
ゆいは興奮気味に声を上げ、周囲の視線も一気に集中する。
蓮のことを知っているらしい先輩たちも、
「え? まさかあの子が蓮の彼女?」
「やっぱり、静かなタイプが好みだったのか……」
「蓮なら、もっと高嶺の花狙えると思ってたけどなー」
と、好き勝手に盛り上がっている。
(いや、ちょっとイラッとしたけど……それよりこの状況、どうすれば……)
「彼女ではないよ。今日は彼女にどうしても用があってね。スマホが繋がらなかったから、直接来た。それだけさ」
蓮は落ち着いた様子で説明するが、周囲の誤解はまったく解けない。
「じゃあ、私は退散します! おふたりで、ごゆっくり~!」
ゆいは空気を読んで(ある意味誤解したまま)その場を離れてしまった。
「あ、ちょっとゆい! 私と先輩は別に――……行っちゃった……」
完全に誤解された。天音は軽く絶望する。
「じゃあ白鷺、こっちに来てくれ。……お前らも、またな」
蓮は周囲の先輩たちに軽く挨拶をして、そのまま歩き出す。天音は一瞬戸惑ったが、すぐに後を追った。
「それで……今日は、どんなご用件ですか?わざわざ直に来るくらいですから、よほど重要なんでしょうね?」
やや皮肉混じりにそう返す。
(……明日、ゆいにどう説明すればいいんだろう)
内心で頭を抱えつつ、蓮の答えを待った。
「――今日は、実戦に出る」
「実戦……って、本当に無冠者と戦うってことですか?」
蓮の言葉に、天音は驚きながら問い返した。
正直、まだ魔術師と敵対するなんて怖すぎる。自信なんてまったくない。
「いや、奴らは今の白鷺にはまだ危険すぎる。……通り魔事件の話は聞いているな?」
「はい。今日、学校で聞きました。何人か怪我をしたって……」
「ああ。実はそれどころじゃない。重傷者も出ている。ただそれは運が良かっただけだ。このままではいずれ犠牲者が出るのも時間の問題だろう」
「そんなに危険なら、もっとニュースになっててもいいはずでは……?」
「もし相手が人間ならな。しかし、今回は違う。―――犯人は、恐らく“魔物”だ」
「魔物……異形が現実世界に適応した姿ですよね」
天音は、先週朱璃から聞いた説明を思い出す。
魔術師が討伐対象とする超常的な存在。悪霊、怪異、化け物、都市伝説……呼び名は多々あるが、秘跡会ではそれらをすべて総称して「魔物」と呼ぶらしい。
「よく勉強しているな。そうだ。今回の魔物は、低級から中級程度の個体だ。……魔法を学びたての白鷺には、ちょうどいい獲物というわけだ」
「……それで、その魔物はどこに?」
「―――ああ、それは……来たぞ」
「えっ?」
蓮の声に、天音は反射的に振り返った。
確かにさっきまでそこには誰もいなかったはずだ。
けれど今は、巨大な“黒い影”が、こちらを見下ろすように立っている。
いや、影ではない。見上げた先に―――
それは、泥で造られたような不格好な“人型”だった。だが、その威圧感は圧倒的。
顔にはひとつだけ、爛々と輝く目玉がこちらを睨みつけていた。
「こ、これを私が……倒すんですか?」
あまりの迫力に、天音は思わず後ずさる。
「君ならできるさ。万が一失敗しても、俺がいる。絶対に君に危害は加えさせないと保証する」
「……そ、そんなこと言われても……!」
身体が勝手に一歩後ろへと退く。
至近距離でなければ、空間を裂く魔法はまだ安定して発動できない。
だが―――
(……だったら!)
天音がこの2日間で身につけた魔法は、空間を裂くものだけではない。
天音が魔物に向けて手をかざす。魔力の発動に反応して、手の甲に浮かぶ刻印が白く輝いた。
その輝きが全身に広がると同時に、宙に「何もない空間」がぽっかりと現れる。
それは虚空―――“圧縮された空間”。
「当たって……!」
天音の詠唱とともに、虚空が弾け飛ぶ。
そのまま、目の前の巨大な魔物へと叩きつけられる。
魔物の肉体が爆ぜ、肉片が霧のように飛び散る。
しかし、それでも化け物は消えず、むしろ怒りに駆られたように突進してくる。
振り上げられる巨大な腕。
その一撃が天音の身体を直撃しようとした―――が。
その剛腕は、寸前で不自然な角度に曲がり、天音のすぐ脇をかすめていった。
「やった……!」
天音は息を呑む。
今のは“空間を曲げる”魔法。
初めて異界で戦った時のように力任せではなく、逸らすことのみに特化させ、最低限の力の消耗で済ませる。
「この距離なら……!」
構築したイメージを脳内で鮮明にしながら、再び刻印の光る手を魔物へと翳す。
―――次の瞬間。
ザンッ!!
鋭い音と共に、魔物の胴体が真っ二つに裂ける。空間そのものが切断されたのだ。魔物の身体は一瞬で霧散し、虚空へと溶けていった。
「はぁ、はぁ……や、やった……?」
「……よくやったな。まさか魔術を学び始めて三日目で中級の魔物を倒すとはな。さすがは“魔女”と言ったところか」
「えへへ……ありがとうございます」
照れ臭そうに笑いながら、天音は小さくお辞儀した。まだ体に多少の疲労はあるが、致命的な消耗はない。この二日間の訓練が無駄ではなかったことを、身体が実感として教えてくれる。
「……じゃあ、秘跡会に戻るか。報告もしなきゃな」
「は、はい!」
天音は小さく頷き、蓮の背を追って歩き出した。