第七話『魔女の日常』
激動の一日が過ぎた翌朝。
白鷺天音は、まだ使い慣れないベッドの上で目を覚ました。
「……朝、か。まだ眠い……けど、約束があるし、起きなきゃ……うぅ……」
天音は朝がとにかく苦手だった。毎朝「このまま一生ベッドにいたい」と思うくらいには。
昨日の別れ際、朱璃は「明日は朝から魔術の授業よ」とだけ言い残し、さっさと帰っていった。その後の夕食や入浴の案内は、秘跡会の世話係らしいレティシアが担当してくれた。入浴中に抱きつかれるなど色々と騒がしかったが……そのあたりの記憶は、あまり思い出さないようにしている。
身支度を整えて食堂に向かうと、入り口で――
「おはようございますっ! 白鷺天音さんですね!?」
と、やたら元気な声が飛んできた。
「う、うん……そうだけど、あなたは?」
少し戸惑いつつも返事をすると、
「私はここの食堂で働いてますっ! 綾瀬みなみっていいます! 気軽に“みなみ”って呼んでください!」
声をかけてきたのは、天音より一つ年下くらいに見える明るい少女。ピンク色のツインテールを花柄の髪留めでまとめ、メイド服をきっちりと着こなしている。
(うわ、コスプレ以外のメイド服って初めて見たかも……)
「よろしくね、みなみちゃん。」
「わーい、新しい魔女さんだ〜!」
みなみは目をキラキラさせて、まるで天音が珍しいものでも見るかのように見つめてくる。
「食堂で働いてるって言ってたけど、昨日の夕食もあなたが作ったの?」
ふと疑問に思って尋ねると、
「そうなんですよ〜! 昨日は声をかけるタイミングがなくって……」
「すごい……昨日の夕食、すごく美味しかったよ。」
その歳で、あれほどの料理を作れるとは思っていなかった天音は、素直に感心する。
「えへへ〜! 私の唯一の特技なんですよ〜。魔術の方はからっきしで……」
「それでも、特技があるってすごいよ。私は人に自慢できるようなものなんて何もないし。」
そんな会話を交わしながら、二人は食堂の中へと歩を進める。
「じゃあ、私は配膳の準備があるので、また今度!」
そう言って、みなみは風のように駆けていった。
「……元気だなぁ」
ぽつりと呟きながら、天音は食堂を見渡す。数人の男女が食事をとっており、年齢層も天音と同じくらいの学生から、白髪の年配者まで様々だった。
(あの人たち、みんな魔術師なのかな……)
そんなことを考えていると――
「おはよう、白鷺さ―――天音さん」
神代朱璃がトレイを持ってやってきて、向かいの席に腰を下ろした。昨日の制服姿とは違い、今日は白いブラウスにスカートという私服スタイルだった。
「あ、おはよう、神代さん」
「――朱璃でいいわよ。」
「えっ? あ、うん……おはよう、朱璃さん。」
突然の距離の詰め方に少し驚いたが、なんだか嬉しくもあった。
「今日からあなたの力の訓練を始める前に、最低限の知識を教えておかないとね。魔術とか、魔法について」
「え? 魔術と魔法って、同じものじゃないの?」
「厳密には違うけど……そこまで深く覚えなくてもいいわ」
そう言って、朱璃は説明を始めた。
魔術とは、詠唱・魔法陣・動作・文章・道具などに魔力を流し、一定の法則に基づいて発動する超常現象のこと。それらを体系化したものが術式と呼ばれる。一方で、特定の個人や一部の存在にしか扱えない特殊な魔術は固有魔術と呼ばれる。さらに、魔女が持つ“権能”は、魔力や術式なしで異能を発現させることができ、魔法と呼ばれている。
「じゃあ、私が使ったのは……魔法ってこと?」
「そう。固有魔術も強力だけど、魔法は別格。世界の法則そのものを操る力よ。」
「……じゃあ、私も頑張れば空間の魔法以外に、普通の魔術も使えるようになるの?」
「ええ、簡単なものならすぐ教えられるわ。でも、複雑な魔術となると覚えるのは大変よ。あなたはまだ、基礎の“き”の字も知らないんだから。」
「うぅ……」
「まあ、ゆっくりでいいわ。一歩ずつね。」
こうして、白鷺天音の――“虚空の魔女”の訓練が始まった。
***
朝食を取り終え、校庭に向かった天音たち。
「まずは空間の揺らぎや歪みを“視る”ところから始めたかったんだけど……そんなもの、私たちは知覚できないし、作り出すこともできないから、そこは飛ばすわ。とりあえず――空間を裂くことから始めましょう。あそこのゴーレムごと、ずばっとね」
外に出た朱璃は、開口一番、天音にとんでもない指示を飛ばしてきた。ゴーレムとは、魔術によって動く岩でできた人形のことだが、今は術式で停止しているらしい。
「い、いきなり物騒すぎない!? ていうか、空間を裂くって……どうやればいいのかわかんないよ……」
「魔法は魔術と違って、イメージの世界よ。私の場合は“燃えろ”と念じたら炎が生まれる。あなたの場合は――空間をねじ切る、ぐちゃぐちゃにする、バラバラに壊す……そんなふうにイメージしてごらんなさい」
「……いや、やっぱり物騒すぎるって!」
思わず天音はツッコミを入れる。
「たぶん、近くでやらないと無理かも……」
そう言って、天音はゴーレムにゆっくりと近づいていく。
(空間を裂く……空間を……どうイメージすればいいんだろう)
目の前のゴーレムを見つめながら、懸命にイメージを形にしようとするが、なかなかうまくいかない。
(空間が裂けるって、どんな感覚なんだろ……何か別の、もっと明確なイメージが必要……)
朱璃の言葉を思い出す。
(ねじ切る、ぐちゃぐちゃにする、バラバラに……うん、たしかに、それなら……!)
「―――」
天音が意識を集中し、心の中でイメージを結んだ瞬間――。
バキィッ!
鈍く硬質な音が響き、目の前のゴーレムが一瞬で粉々に砕け散った。
「わっ! や、やりすぎちゃった……?」
天音がイメージしたのは、“空間をぐちゃぐちゃに破壊する”ことだった。
結局、朱璃が言っていた物騒なイメージをそのまま採用した形だが、それが逆に成功の鍵になったのは少し悔しい。
そして、再び襲いかかる――謎の強烈な疲労感。
「う、うぅ……なんかすごくだるい……。これ、魔法の副作用だったりする……?」
その場にへたり込んだ天音に、朱璃が歩み寄って答える。
「そうね。魔女が魔法を使いすぎると、体が疲労するわ。魔術と違って、魔法は魔力を消費しない。だけど――その分、代償として、体に直接負荷がかかるのよ」
「一発使っただけでこのありさまって……私、すごい弱いんじゃ……」
世界を救うとか意気込んだ自分が、このザマなのかと不安が胸をよぎる。
「それは、まだ魔法に慣れていないからよ。今のあなたは、HPが100しかない敵に、100万のダメージを全力でぶつけてるようなもの。魔法の出力調整ができていないし、今回は空間を“裂く”だけでよかったのに、“ぐちゃぐちゃ”にしちゃってる。オーバーキルもいいとこよ」
「うぅ……練習あるのみ、ってことか……」
「そういうこと。大丈夫よ、初めて魔術や魔法に触れたにしては、よくできてる方よ」
朱璃はやわらかく微笑んでそう言った。
その言葉に少し元気を取り戻した天音は、ぐっと立ち上がる。
そして、再び――空間魔法の訓練を始めた。