第十五話『霊装』
「はぁ……はぁ……」
白鷺天音は肩で息をする。すでに霊衣は消え、制服姿に戻っていた。髪の色や瞳の色も元に戻っている。オドの残量もほとんどない。
(もう……まともに戦える状態じゃない)
だが、相手も同じはず。魔界という奇跡を実行したアストラも、無事で済んでいるわけが――
「……まさか、魔界を一撃で切り裂くとはな。あいつが警戒する理由も分かったぜ」
雷光の残滓の中から、アストラが姿を現す。
その身体はボロボロだったが、目にはまだ戦意が宿っていた。
「でも……惜しかったな。あと少しだった。オレは、まだ……やれる」
「そんな……」
天音の膝が、思わず揺らぐ。
――これが、“完全な魔女”。
目覚めたばかりの白鷺天音とは比べ物にならない、オドの総量と、戦闘の差が――そこにあった。
「―――終わりだ」
アストラの雷撃が天音めがけて一直線に放たれる。
……だが、雷は不自然な軌道を描いて曲がった。いや、それどころではない。雷撃はそのまま向きを変え、アストラのすぐ横を掠めていった。
「……なに……!?」
アストラが眉をひそめる。天音に魔法を制御する力は、もう残っていないはずだ。ならば、なぜ―――?
答えは単純だった。
「……制御しなければいい。あなたと私の間の空間を“暴走”させました。いまのは偶然、あなたの方向に繋がっただけです」
「……テメェ、正気か? 下手すりゃ自分が死んでたぞ……!」
「元々、命は賭けてます。さぁ、どうしますか? 私は高確率で撃たれるでしょう。でも、反射してあなたが自爆する可能性も……ゼロじゃない」
アストラは苛立った様子で、天音に指を向ける。が―――
バキッ。
鈍く、不快な音。指がねじ曲がり、原型を失う。骨の角度があり得ない方向を向いていた。
「チッ……なるほど。“オレ”自身が動くのも危険ってわけか」
「そうですね……そこからあなたは動くことはできない」
「だったら、話は簡単。オレはここでじっとして、お前のオドが尽きるのを待つだけだ。無理やり暴走で魔法を起動してるんだ。そろそろ限界だろ?」
――確かに、アストラの言う通りだった。このまま消耗を待たれれば、天音に勝ち目はない。
だが――
「……何か、忘れてませんか?」
天音が静かに言った。
「私は、一人で戦ってるわけじゃない」
その言葉に、アストラの目が朱璃の方を向く。
「……は? あの女はもう動けないだろ。周囲に増援の気配もな―――」
だが、その瞬間だった。
アストラは違和感を覚える。朱璃の身体から、膨大な“何か”が収束している気配がする。
(……まさか。空間の暴走の影響で気配が掻き消されていたのか……!?)
「私は、時間さえ稼げればそれで良かった」
直感で危機を感じる。
だが視覚的には何も起きていない。魔法陣も、霊衣も、霊装も何も見えないはずだった。―――そのはずなのに。
「おかしい……こんな力の収束、何か“視える”はずだ……!」
アストラは魔力を目に集中させ、朱璃を凝視する。
そして――視えた。
そこには、霊衣に包まれた朱璃の姿。膝をつきながらも、足元には極大の魔法陣が広がっていた。手には、紅蓮の弓。
「馬鹿な……!? 幻術……? いや、そんなもの魔女には通じない……!」
気づく。これは幻術ではない。相手は炎を冠する魔女だ。
(……“蜃気楼”か……!)
熱で空間を歪め、視覚情報を錯乱させる自然現象。魔法の副次効果を使い、姿を欺いていたのだ。
魔界の発動、霊装の発現、虚空の暴走―――その混沌の中にあって、この“熱”による錯乱に気づける者などいない。
朱璃は、天音が空間を暴走させたその瞬間を見逃さなかった。
――オドを、魔法陣へと流し込む。
アストラは肌で感じた。
(マズい。あれは―――ヤバい)
逃げる? 無理だ。あれは“逃げられる”ようなものじゃない。
だから、アストラは残ったすべてのオドを雷槍に込め、迎撃を決意する。
その頃には、朱璃はすでに立ち上がっていた。
彼女の弓に集う膨大なオドが、やがて形を成す。
――それは、炎の“矢”など生易しいものではなかった。
それは――龍だった。
魔女の霊装――。
其れは、魔女の属性を凝縮した究極の象徴。
アストラの《雷槍》、雪蘭の《氷刀》、天音の《無名の剣》……そして今、朱璃の手にあるは、灼熱の《炎弓》。
魔女に長々しい詠唱など要らない。
ただ一言―――世界に命じるだけでいい。
「―――穿て」
世界が焼けた。
朱璃の弓から解き放たれた龍が、咆哮と共に空を裂く。灼熱が雷を呑みこみ、圧倒的な力でアストラを貫いた。
アストラは槍を掲げ、渾身の迎撃を試みる。だが、焼け石に水。龍の咆哮がすべてを吹き飛ばす。
煉獄が、雷霆を上回った。
―――勝敗は、決した。