第十三話『魔女の目覚めの刻』
白鷺天音は、明滅する意識の中で考える。
(私は……なんで戦っているんだろう)
世界のため? ――いいや、正直、世界なんてよくわからない。
朱璃のため? ――それは、最初に戦うと決めた時には関係なかったはずだ。
そうだ。私は――後悔したくなかったから、戦うことを選んだのだ。
(……本当に、それが後悔しない選択だったのかな)
もし私が、逃げるという選択をしていたら?
秘跡会に隠れていれば、いつかは襲われたかもしれない。けれど、朱璃が傷つくことは、きっとなかった。
(私……間違えたの?)
落ちていく意識の中、天音は最後にそう思った。
***
目を覚ました場所は、緑豊かな村だった。
文明の影は薄く、村人たちの服装は質素。穏やかに暮らしていたであろうその村は、いま――炎に包まれていた。
「……これは、夢?」
絶望に満ちた表情で逃げ惑う村人たち。だがその姿は、天音の体をすり抜けていく。誰も彼女の存在に気づいていないようだった。
場面が切り替わる。
寂れた路地裏。ヨーロッパのような街並みに、痩せ細り傷だらけの二人の少女がいた。何かを口論しているが、声は聞こえない。
そして――さらに場面が飛ぶ。
二人の少女が、人を殺している。
失望の色を浮かべて睨みつける女性。
後悔に沈み、立ち上がれなくなった女性。
(……これは、なに?)
疑問を抱いた瞬間、世界が白に包まれた。
***
「ここは……?」
雰囲気が一変していた。さっきまでの炎や死の気配はない。ただただ何もない虚無の世界。だが、天音の中にある焦りは消えなかった。
(朱璃さんを助けなきゃ……)
出口を探そうとしたその瞬間、声が響いた。
「――君は、なんのために戦うんだ?」
「誰!?」
振り返ると、そこには一人の女が立っていた。銀髪を持ちまるで人形のような顔、純白の一枚布。どこかで見覚えがある。
「あなた……私が魔女になった日に、会った……?」
女は、少しだけ思案するような顔をした。
「ふむ。どうやら成功したようだな……まあいい。君は今、現実に戻る術を探していたんだろう?」
「……分かるんですか? 出口が……!」
「教えてやってもいいが、このままだと君は死ぬ。外の友人も巻き添えだ」
「それでも、私はやらなきゃいけないんです」
「なぜだ? せいぜい一週間そこらの付き合いの相手のために、命を賭ける? ……いや、そもそも君は、なぜ“世界のために”戦おうとした?」
天音は、言葉を失う。
朱璃を助けたいという気持ちは分かる。彼女を絶対に失いたくない。だけど、世界を救う理由なんて……私は本当に理解していたのか?
命を賭けるほどの理由なんてあったのか?私は、なんとなくで戦う選択をしたのか?
「――なんとなく、じゃないだろう。君は“なんとなく”で命を賭けるような人間じゃない」
(あの時の私は……)
そうだ、最初の感情を思い出せ。
「――後悔しないために、戦うことを選んだ」
「なるほど。後悔、か。ならこの選択は正しかったと、そう言えるのか?」
「それは……」
あの時は、戦うという選択が一番後悔を生まないと考えていた。しかし、それに迷いが生じた。
「どれほど最善に思えた選択でも、後悔は生まれる。後悔のない道を選び続けるなんて、不可能だ」
女は初めて、皮肉めいた笑みを浮かべて言った。
「……分かってはいたんです。きっとそれでも後悔のない道を選びたかったんです」
「だがそれではいつか破綻する。現に今、お前は戦う原動力を失いかけてた」
そうだ。あの女性の言う通り、天音は見失っていた。後悔をしないために選んだはずの道が間違っていたかもしれないと考えた時、これ以上は後悔を増やしたくないから朱璃を助けるために玉砕までしかけた。
「もう一度、問う。君は何のために戦う?もし答えられないようならば―――」
後悔をしないためにはどうする?いや、そうじゃない。
ならば―――
「……そうですね。今やっと分かりました。私が戦う理由が」
「私は、後悔を避ける道を選んできたつもりだった。世界のために戦うと決めた時だけじゃない。普段の生活でも、ずっと」
「だが、それは不可能だと君は知った」
「はい、だから考えを変えてみました」
「ほう?」
「後悔したくない、失いたくない、でも正解は分からない。なら、私は――」
天音は、わずかに笑った。自嘲ではない、むしろどこか清々しさすらある笑みだった。
「――私のしたいことをする。それが、私の答えです」
天音は、はっきりと言った。
「……開き直りだな」
「ええ、そうかもしれません。正解が分からないのであれば、自分のしたいことをする」
その言葉は、迷いを断ち切る決意に満ちていた。
「そのために命を賭けると?」
「はい。私は、私のしたいことのために命を賭けます」
「それが、正しい道でなくとも?」
「それでも構いません」
「取り返しのつかない後悔をすることになっても?」
「そのときは――そのときに考えます」
女は、天音の目をじっと見つめた。そして――わずかに目を見開く。
「……本気、か。君はそんな理由で戦うのか? 世界を救うつもりなのか?」
「はい。本気です。世界のことなんて、よく分かりません。でも、私に力があって、それを求める人がいるのなら……私は逃げずに戦う。誰かに言われたからではなく、自分の意志で。それが、私のしたいことだから」
「……そんな理由で命を賭けるとは。狂っているな」
「たぶん、普通とは違うのかもしれない。けれど、私は私です。自分のしたいことのためなら、命を賭けられる」
そう、それが白鷺天音という存在の核なのだ。
「――私は戦う。世界を救うためじゃない。“私のために”、世界を救ってやる」
その言葉に、女は明確に驚きを見せた。
「……君は、もうすぐ死ぬかもしれないぞ」
「死にません。朱璃さんを助けて、自分も生きて帰る。そのために、私はあの魔女を倒す。それが、今の私のしたいことです」
「……それは強欲だな。だが君ならばもしや……なら、行け」
空間が歪む。
「力の使い方は――いや、やめておこう。これでは意味がない。この力は君自身で掴め。……後悔のない選択を、と送り出すつもりだったが、それも無意味だな」
「はい」
天音は決意に満ちた目で頷いた。
「最後に一つ、教えてやろう。魔女の強さは“エゴ”だ。確固たるエゴを得た君なら――あの、ブレている魔女に勝てるかもしれない。……まあ、無理かもしれないがな」
その声を最後に、天音の意識は現実へと戻っていく。
***
普通の少女の時間は終わった。
ここから始まるのは、虚空の魔女――
いいや、白鷺天音の物語だ。
この瞬間こそが、白鷺天音という―――魔女の目覚めの刻であった。