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第九話「願い」(終)

「異世界ホームレス」


第二部 一般人編 四話(終)

「願い」



 麻酔の昏倒から俺が目覚めたとき、煙っぽい匂いがした。

ポルトの街内は無惨な光景と化している。

周囲の大邸宅はあちこち燃えてガレキになっているし、人のむせび泣く声がする。

俺ははっとして後ろにあるホーン家の門をくぐった。

いつもは賑やかだった屋敷は、今は静まり返っている。

邸内に入る戸の前にチャッピーが転がっていた。

真っ赤な血溜まりの上に。

それを見て俺は中に入ることに恐怖した。


そ、そうだマオたちは……!?

混乱した思考のまま、俺はいつものボロ小屋へ向かって駆け出した。

それは逃げるかのようでもあった。

大通りを走ると、そこは走馬灯のように崩れた家、死んだ人、取り残された人。

それらが駆け巡っていく。怖くて俺は両目を閉じた。



小屋の前には、二人分の動かなくなった死体が並んでいた。

俺のよく知っている人だ。

この世界で、最も長い時間を共に過ごした――。

それはもう二度と、遠く帰らない。

そんな考えが脳裏を一瞬走り、そして俺は冷たく石だたみの上にひざから崩れ落ちた。

地面についた両手を、再び握りしめてみる。

ざらついた砂の感触があるばかりだった。

本当の悲しみとはこんなにも無機質な物なのだろうか――。



そこへどこからか例の女神が姿を現し、俺の隣にたたずんだ。

「――聞こえてる? お困りのようね」

困っているなんてもんじゃ――俺は彼女に食ってかかろうとした。

「ダメよ、これから助けてあげるのに。あなたの願いはなに?」

……戻せるか? この街を元通りに。

「もちろん簡単よ。そうね、少しだけ街の中の時間を巻き戻してあげるわ。だけど――」

女神は人差し指を立てて一言言った。

「あなたの一番大事な物をもらっていくわよ?」

嫌な取引を持ちかける女神だ。

だがそう悩むことでも無かった。

俺の命くらい、いくらでもくれてやる。

もう、生きるためにコンビニ強盗をした俺ではない。

この街は俺、俺はこの街なのだ。


「決まったのね? じゃあ、いくわよ――」

女神の周囲に半透明な水色の粒子が集まってゆく。

……家族、にはちょっと悪いことしたかな。

俺の意識はやがてぶつりと切れた。




 誰かの――マオの声がする。俺は死んだはずなのに。

嗅ぎ慣れたくさい匂いの毛布。

俺はいつものボロ小屋でゆっくりと目を覚ました。

「カズマサ! お前三日も寝続けてたんだぞ!」

半泣きでマオが言った。

どうやら俺は女神にサービスされたらしい。おそらく。

感極まって、上半身を起こした俺に抱きついたマオは、少し咳をした。

カゼでも引いたんだろうか。

「大丈夫、すぐに良くなるよ! カズマサもいるし!」

マオが言った。そうだこれから、これからだ!



それから――一週間もしないうちだ。マオが血を吐いたのは。

俺とゴンさんは無理をして、ホーン家の先代当主のじいさんに頼み込んで金を借りた。

そしてマオを休ませるための小さな家に住んだ。

やっと、ホームレスじゃなくなったとベッドの上でマオは喜んで見せたが、俺は表面ばかりでしか笑えなかった。

少ししてマオは、東洋風のおかゆを食べていたのだが――自分で器を持てなくなった。

左手が震えているのだ。

またある日気付いたのは――彼女は自分からは言わずに気丈そうにしているのだが、いつの間にか右足を引きずって歩いていた。

俺の家族が、俺の一番の希望が目の前で壊れてゆく。

サービスなんてもんじゃない。一番残酷な対価を俺は持って行かれた。



マオは近頃はベッドで上体を起こすことも少なくなった。

彼女は俺に聞いた。

「ねえカズマサ、たまには遊びに出かけたりしないの?」

そんなヒマがあったらマオの看病してるよ。

「でも――、カズマサにはきっと新しい家族が必要だよ」

いよいよマオは弱ってきたのか、こういう悲観的な話をすることが増えつつある。

新しい家族ねぇ――家族かぁ。

俺はちょっとふざけてみた。

「そうだな、元気になったら作るか? 新しい家族」

ちょっとふざけ過ぎたかな。

はて、とマオはしばらくぼーっとしていたが、やがて意味を察した。

そしてすっかり白くなってしまった顔が久々に少しだけ赤くなった。


それからまた何日か経って――

「ねぇ、カズマサ。秘密の話があるの。ちょっと耳をこっちに寄せてくれない?」

枯れそうな声で彼女は言った。

普通の声でさえかなり小さくなってしまっている。

彼女は聞こえないような声で何かささやいた。

それを聞くために俺は耳を彼女の顔の前にまで差し出した。


すると彼女はするりと、そっと自然に――

両手で俺の頭を抱きとめて、ほおにそっとかすかなキスをした。

驚きながら俺は顔を離す。

「カズマサ。ずっと言ってなかったけど、大好き」

言ってはかない笑顔を見せた。

それはまるで、彼女の時が止まっているかのようだった。

本当の、本当に。

――俺は、人はこうも安らかな顔で死ぬものなのかと思った。



「――お困りかしら?」

いつかのように、そっと現れた女神に、俺は怒る気力すら持ち合わせていなかった。

「あなたの願いのおかげで、この街まるごと一つが私の物。ちょっとはサービスしてあげるわよ」

なんて悪質な女神なんだろう。

「もちろん、何を願うかはわかるけどね」

腹の奥に憎悪が湧き上がる。だがそれは押し込めなくてはならなかった。

他に頼れる物など何も無いのだから。


「マオを生き返らせろ」

俺の言葉に、女神は余裕そうにふふと笑った。

「残念だけど、彼女のこの世界での寿命は尽きてるわ。あなたみたいに転生ならできるけど」

ならそれでいい。

「でもね、私が抱えられる転生者の数はもう満員なの。あなたと交代になるわね」

それで、かまわない!

「自分で死ぬ勇気はある? ……これでも私、あなたのこと嫌いじゃ無かったからね」

腰に着けていた果物ナイフが淡い光を放つ。

俺の第二の人生は、これに始まってこれに終わるらしい。


抜き払ったナイフを俺は両手で自分に向けて持った。

そして、勢いをつけて腹に突き立てた。

不思議と血は出ずに――

まばゆいばかりの光が刃の周りから溢れ出て俺を包んだ。

「彼女は、どんな世界を望むんでしょう」

女神の声が最後にひびいた。




 死んだはずの俺は――寒空に一つくしゃみをした。辺りは夜だった。

ここは――かつてコンビニ強盗をする前に時間を潰していた小さな公園だ。

だが、ベンチの脇に置いてあったはずの、プラのパッケージに入ったままの果物ナイフは無くなっていた。

そして所持金もやはり無いまま。

これじゃコンビニ強盗もできない、か!

それでも別に、今の俺は良かった。

異世界で、ティリスの国のポルトの街。

あそこで過ごした家族との記憶は長い夢だったのだろうか。


ああ、俺はやっぱりホームレスになるのかな。

俺の未来は客観的には暗い。

だが不思議と、今の俺には生きる活力と温もりがあった。


さあ、どこへ行こうか。そう思い立ち上がる。

「ねえ、カズマサ?」

後ろから俺を呼ぶ声がした。

振り返ると、そこには――

「欲しかったって聞いたよ、おカネ」

札束と、カネの詰まったトランクを持った女が一人。


初めて出会ったころよりは、少し大人になったマオがいた。



~おわり~

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