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第六話「職場」

「異世界ホームレス」


第二部 一般人編 一話

「職場」



 ホーン家で使用人として働くことになった俺は、さっそく翌日のまだひとけの少ない早朝に門前へと訪れた。

娘につれそって中に入った時にもいた、口ひげの門番の男がじろりとこちらを見る。

「お前、何者だ」

低い声で彼が問うた。

「今日からホーン家の下働きになります、カズマサと言います」

緊張気味の俺の返事に、門番はふんと鼻で笑うと少しにやけた口元で、

「ま、せいぜい頑張るこったな」とだけ言った。

入口の重厚な木製のドアには、大きな金属製のドアノッカーが着いている。

装飾の留め金にこぶし大のリングが着いていてドアをノックする物だ。

洋式だと四回だっけ。いきなり失敗はしたくない。

皆にお金を持ち帰るためにも。


ドアを数回ノックすると、そう時間のかからない間に、まだ成人しきらないだろうかくらいの少年が戸を軽く開けてひょっこり出てきた。

彼はさっと一通り俺のこじき姿を見て言った。

「もしかすると、あなたは今日から使用人になる方ですか?」

「そうですが……」

「ならこちらの表門はご家族やお客様方の使う門です。身分の低い使用人などは裏口ですよ」

ばつの悪いことに、俺は早速の誤りを犯したようだった。心の底が冷える。

なるほど門番はこのことを予想してにやついていたのか。



そうして裏の勝手口に回ると、なんとまた同じ少年が対応に出た。

彼はさっきの表門の時よりもずっとにこにこした表情で言った。

「おどろいたかい? 僕も初日は同じ間違いをしたんだ。ようこそ、僕の仕事仲間!」

そう言って彼は誇らしげに右手の親指を立ててグッド・サインをした。

その指先は不思議とやたらにごつごつして硬くなっていた。

ジャックと名乗った明朗な彼もまた、後にこの世界でのかけがえの無い友人となる。


彼は意外なことに、早速俺を賑わい始めた街の大通りへと連れ出した。

なぜかと思えば、まず最初にこのぼろ服を卒業して使用人に支給される制服に着替える必要があるというのだ。

たしかにホームレス姿では支障があるか。

仮の普段着を身に着け、俺は仕立て屋で採寸を受けた。


一度屋敷に戻ると、彼は次に邸内の見取り図を俺に見せて言った。

「ここがこの家の奥様の部屋。二番目に大事だけど、一番怖いところ」

こんな調子で屋敷のことをわかりやすく教えてくれた。


「ところで、ジャックさん。その右手の親指は? かなりごつごつしてますが」

始めの疑問を俺はぶつけてみた。

ああ、と言うと彼は答えた。

「これはね、銀器のプレート・ハンドって言うんだ。貴重な銀食器を磨く作業で指先が鍛えられるんだよ。使用人ではなかなかに名誉なことさ」

そう言って少し自慢げな顔をした。

「それと、僕のことはジャックって呼び捨てでいいよ。いくら先輩でも、君のほうが年上に見えるし、仕事仲間だろう?」

この気さくな好青年と、この後俺は仕上がった制服を取りに行った。

それと、簡素な護身用の剣を与えられたのだった。




 黒地に金ボタンの制服は、使用人の物とはいえなかなかに引き締まって見える。

着心地もふんわりと上品だ。

なるほど、やっと自分はホームレスでは無くなったのだと実感が湧いた。

もちろんこの世界でのホームレス暮らしも良いものだったが。

それで俺は使用人のトップの、キングという執事の元へと連れられた。

白い化粧粉で整えた色の髪、すらりとした姿勢。

威厳のある様子は、衣装さえ変われば彼がいっぱしの主人と言われても信じてしまいそうだ。


彼は表情をやわらげてから言った。

「君がカズマサくんかね。主人がお調べになった際に少し聞いたが、君は湾港労働者をしていたらしいね。その忍耐強さには期待しているよ」

その声には穏やかな温かみを感じた。

「それで君の仕事だが――君はまだ初めてだから簡単な仕事から始めよう。お嬢様の意向もあるので――」

ので、俺が任せられたのは――

犬の世話。庭のバカみたいな顔をしたでかい犬の世話。

名前はチャッピー。


輸入された貴重な犬種だというが、どう見ても中国犬のチャウチャウみたいだ。

もさもさ生えた毛の目元がハの字の下がり眉みたいになっていて情けない。


しかもこのバカ犬は、俺にいろいろコイツのことを説明したジャックが去るなり、俺のことを不審者扱いするかのようにバウバウ吠え始めた。

「ああーーもう、静かにしてくれ、怒られるだろ!」

近寄ることもままならず、どうしたものかと俺が途方にくれていると、吠え声に気づいた末娘のユーリカがやってきた。

「やだわ、チャッピー。どうして勇者様に吠えたりするの!」

勇者様? 俺?

「この人は私の危機を救ってくださった運命の人なのよ」

この犬ころの飼い主は、相変わらず夢見がちな彼女なのだそうだ。

だがチャッピーは俺を信じない。


末娘は少し考えた。

「勇者様。厨房に行ってこの子におやつをもらってきてください」

バカそうだし効果あるかな。

厨房に行くと昼食の仕込みの香りの中、コックのおばさんが仕事仲間に指示を出していた。

「チャッピーちゃんのおやつかい? なら今日はダシから余った牛骨があるよ!」

こんなもんでいいか。それをもらって戻ってきた。

その牛骨を見て末娘は言った

「骨もいいですけれど、そうですわ、今日はこの子には上等の牛のヒレ肉をもらってきてあげてください」

正気か。

元ホームレスからすると犬がもはやちょっと憎い!!!



再びの厨房で、驚くおばさんを尻目に、包まれたヒレ肉を持って戻るとチャッピーはよだれをべちゃべちゃにしながら俺に飛びついた。

そして肉をすばやく奪い取るとガツガツ食べ始める。

「これでチャッピーはあなた様を見たら、上等のおやつがもらえるかもと思って大人しくなりましょう」

さすが飼い主だけど、なんかイヤだなぁ……。




 チャッピーの相手を一段落つけて、俺は屋敷の正面入口の付近を掃き掃除していた。

すると通りのほうから、貧乏そうでやや腰の曲がり気味な禿げ頭の老人が中へ入ってきた。

どう声をかけるか少しとまどってから、

「いらっしゃいませ。裏口へご案内しましょうか?」

と言うと老人は

「いいんじゃ、いいんじゃ。それより水を一杯くれんか」

と返した。

俺はバカ正直に厨房から木のカップに水をくんできて渡してやった。

「うん、散歩の後の水は蜜の味、じゃな。ところで、お前さん新顔かな?」

コップを両手で持ったまま、老人はじっとこちらを見つめる。

「ええ――、はい。今日からこちらでお世話になっています」

彼はにっこり笑うと

「そうか、そうか。それじゃあ裏口まで案内してもらおうかの」

そう言ってカップを俺に返すと、彼は再び歩き始めた。



裏口からてっきり中に入るものかと思ったが、老人は戸の脇の石段に腰かけた。

そして俺を隣に手で誘う。

「仕事中なので――」

俺がそう言うと、

「いいんじゃ、いいんじゃ。客の相手をするのも仕事じゃぞ」

と動じない。

「昔のぅ、一人のホームレスがおったんじゃ」

なんか昔語りまで始めている。


そのホームレスは一心に働いた。一人前の男になることを夢見て。

ある日のこと、彼は路上で靴磨きをしていた。

その仕事もまた日頃のように、誠心誠意に丁寧に行う。

するとどうだろう、靴を磨かれた男は言った。

「すばらしい、うちの使用人と比べてもずっと上だ! 新品よりも美しいじゃないか!」

それから彼は使用人として雇われた。

いくつかの家を渡り歩き――気づけば執事にまで上り詰めていた。

老人はにこにこしながら言う。

「お前さんもしたいじゃろ、出世。人の嫌がる仕事もがむしゃらに働け。がんばるんじゃぞ」


そして話はまだ続く。

彼はその時の主であった、未亡人の女性を懸命にはげましていた。

日々の折々に、気の晴れるように市井しせいの物語を語り、時に亡夫の記憶を共になぞった。

元が職務に励んでいたのでも、男女の親密さは深まり――

やがて男は当主の座についていた。

一人前の男になった彼が望んだのは何か。

それは幸福だった。自分だけに収まらない幸福。もっともっと街中の。

この街の大きな港。あれは新しい物。彼が整備を進めたのだ。

「いい街じゃろ。金持ちもホームレスも大勢おる。そしてそうそう死なん。――まぁ近頃は物騒なやつらも湧いとるようなんじゃが」

白戦士団のことだろうか。


「さて、長い話じゃったろう。これは全部自慢話じゃ。すっきりしたわい」

は? 元ホームレスのどこかの当主ってこのじいさんか?

そこへジャックが通りすがる。

「あ、先代様! また裏口ですか。表門を使ってくださいとお願いしていますのに」

「いいんじゃ、いいんじゃ。楽しかったしのぉ」

老人は立ち上がった。

「さて、古い考えかもしれんが、お前さんも一家の家族じゃ。これからよろしく頼むぞ」

陽気に笑いながら、先代当主は裏口へと入っていった。

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