第五話「家族」
「異世界ホームレス」
第一部 ホームレス編 五話
「家族」
この、ポルトの街でホームレスとして暮らしていくうちに、俺はだんだん仲間たち二人の身の上を知るようになった。
ゴンさんは、今も昔も農家だという。
違うのは、かつては遠い異郷の豪農の子だったこと。
それが戦乱で離散し、運命に流されながらやがてこの街に至り、今では土地を持たない農業労働者として日々を送っている。
ある時、彼の仕事場まで荷物を届けることがあった。
彼は畑で作業をしながら、俺に自身の思いを語ってくれた。
「――カズよ、人は大地から産まれ、大地へと帰っていく存在だ。俺もそうなる」
土を耕していたクワの手を止め、彼は続ける。
「その大地の上に足を着けて、こうして土に触れて居られることこそが、俺という人間の人生のありようなんだ」
そう言って肩にかけた手ぬぐいで、気持ちよさそうに彼は汗をぬぐった。
話を聞いた俺は、どこかで覚えたアイデンティティという言葉が、こういう時に使われる物だろうかと思った。
マオはと言うと、彼女は自分はお嬢様だったと言っている。
ホントかなぁ?
例えば東方の真紅のドレスがどれほど繊細で美しいかとか。
宴席に山海の珍味が並ぶ光景とか。
彼女は楽しそうに意気揚々と両手を広げて語る。
だが――俺に質問をされると、一瞬だけぎこちなくなる。
時々ゴンさんは「まぁ、昔のことだから忘れることも多いだろう」なんて声をかけていた。
その言葉の意味を、俺も理解した。
この元気な小さな笑顔を壊さないように、彼女の物語に俺たちはたまの夜、耳を傾けるのだった。
そういえば酒に酔ったアランがからみに来た日もあった。
酒ビン両手に袋も下げて、右手のボトルをぐいっと飲みつつ
「よう! このあいだは悪かったなブラザー!」なんてご機嫌である。
このあいだとは、金貨をカツアゲされた時のことだ。
「ほら、お詫びの差し入れだ」
そう言って、左手のほうの未開栓のボトルをもらった。
添えられた袋には肉の串焼きが入っているようだ。
でも、これ俺からカツアゲした金で買ったんじゃ……と、俺はジットリ彼女を見ていた。
「おい、勘違いするなよ。お前から取り上げた金は本部行きだ。こりゃ別のやつから――」
言いかけて彼女は、はっとした表情になる。
「いや、なんでもない。忘れろブラザー」
にっこりと笑って彼女はごまかした。
やっぱこの女やべぇよ。
それでも、貧しいながらも、貧しさの最底辺にありながらも、以前よりずっと温かい日々は俺の心に確かな火を灯し続けた。
今や、こんな日常に愛着を感じている。
皆でアランが持ってきた酒を飲んでいたある夜。
今度は逆に酔いすぎた俺が身の上話をぐだぐだ始めてしまった。
「要はさ、家族なんてクソなんだよ、クソにもならない!」
家に居ない父と、俺にかんしゃくを起こす母。それにうだつの上がらない学生生活。
もっと、皆が俺の暮らしのことを楽しく聞けるようにも話せたはずなのになぁ。
「なぁカズ、お前いったいどこの国から来たんだ?」
ゴンさんが問う。
「異世界っす、日本からです」
「異世界ぃ?」
疑問半分ながらも、ゴンさんとマオは俺の話を真面目な顔で聞いてくれた。
「異世界とやらでも、人生ラクじゃないんだねぇ」
彼女に同情される。
それが余計に俺にくだを巻かせた。
しばらくして、見かねたゴンさんが明るい顔をして両手をぱんと叩いて言った。
「よし、じゃあ俺が家族になってやるよ、カズ。――仲良くしようぜ?」
不意を打たれて俺のぐちが止まる。
「マオも俺と家族だよな? みんな家族だ!」
同じくぽかんとしていたマオの顔が、徐々に赤くなる。
「そうだ――もう、家族なんだよね」
そう言った彼女の中ではちょっと意味が違ったのかもしれない。
家族、かぁ――。まだ俺にはよくわからない。
それでも、ここでの日々の中で俺はずいぶんと温もりのある人間になったと思う。
その時俺は、いつものように荷役の給料の銀貨を袋に弾ませながら家路についていた。
ゴンさんは今朝のキャベツの残り半分を、どんな夕飯にしてくれるかなとか上の空で考えながら。
辺りは日が暮れ始めたといったところ。
そう遠くないところから、絹を裂くような女の悲鳴が聞こえた。
何事かと俺が声の方向へ駆け急ぐと、そこには剣を身につけたガラの悪そうな男が一人――またしても白戦士団だ。
そして彼等に囲まれた、従者を二人連れた金持ちそうな黒髪の、人形のように美しい女がいた。
いや、むしろ肌は少し白すぎると言っていいかもしれない。
男は彼女への距離をゆっくり詰めて行く。
ほおっておいたらどうなるか、想像するのはたやすい。
俺は男の横から大声を張り上げた。
「おい、お前やめろ! 何考えてるんだ!」
こちらをじろりと見て、男が言う。
「お前、今の言葉は俺に言ったのか?」
いうまでもない。
「ホームレスごときが、最後に威勢を張れてよかったな」
言葉とともに彼は剣を抜き払った。
この瞬間、俺の頭を思考が駆け巡った。
――先手必勝だ。相手のペースになったら絶対負ける。
武器は――武器は、これしかない!
俺は腰の果物ナイフを抜き払った。なんて頼りない武器だろう。
男はこれを見て言った。
「ふん、バカらしい。はやくかかってこいよホームレス」
挑発だろうがどうでもいい、俺は奴に向かって飛び込んで右手のナイフを斜めに振り下ろした。
敵は余裕を持って身を後ろにかわした。だが――
地面に厚い金属が落ちてはねる硬い音がひびく。
俺の果物ナイフは、男の剣をすっぱりと切断していたのだ。
ぎょっとして男が言う。
「嘘だろ!? こんなちびたナイフで?」
そして徐々に彼は悔しそうな顔に変わった。
「――ええい、お前ら、今日は見逃してやる!」
捨てゼリフを吐いて男は通りの向こうへと走り去って行った。
全身の興奮と緊張が徐々にほぐれる。
俺は狙われていた女性のことを思い出した。
そちらを向こうとしたとたんの事だった。
「運命の人! よくぞ私を助けてくださいました!」
そう言ってその女が抱きついてきたのだ。
「ああ、ちょっと臭いますわ! それも愛おしい」
なんか無茶苦茶言ってるぞ。
この商家の娘はユーリカ。彼女は大富豪かつ街の権力者であるホーン家の末娘だ。
大人しく家にこもりがちで、物語を愛する彼女は、自分を救ってくれる運命の人を探していたのだ。
それでも、さすがにホームレスは我ながらどうかと思う。
彼女と従者に連れられて、そのホーン家の邸宅内の広間まで通された。
娘から話を聞かされると、高い位置の椅子に腰かけた、当主である父親は複雑な顔をした。
「おまえ、このホームレスが運命の人だと言うのかい?」
犬ころでも見るかのように彼女の父は俺の方を向いて言った。
だが彼女はさも当然といった風である。
「なあ、君。礼金を出すから帰ってはくれないか」
彼は早く俺に立ち去って欲しいようだ。
しかし――末娘はかんしゃく持ちでもあった。
彼女の顔が紅潮し、服のすそを握りしめ始める。
そして、父親とやりあっていく内に泣きじゃくってキィキィ言い始めた。
こうなると、もう誰も止められない。
しまいには父親に飛びかかろうとして従者に引き止められている始末だ。
「そうは言っても、彼とは絶対一緒にしてやれないよ。どうすれば満足するんだい」
父はあきれたような声を出した。
やっと飛びかかろうとするのをやめて娘が言う。
「――では、ではせめて彼に職を与えてください! この家で!」
「わかった、わかった。そうするから一度部屋に戻りなさい」
半ば強引に連れ出されていく娘を見ながら、彼はため息を一つついた。
そして俺に言った。
「仕方ない。お前を、当家の下働きに雇おう。使用人だ。それと――」
ちょいちょい、と手で彼は俺を近くに呼んだ。
そして小さな声で凄みを効かせて言った。
「万が一娘に手を出したら――豚のエサになってもらうぞ」
新しい生活の、不穏な始まりだった。
権力者であるホーン家の使用人になるということは、ホームレスから一般人になるということを意味している。
さっそく帰った家で、俺はゴンさんからそう教わった。
驚きながらも、彼は大いに喜んでくれた。
だが――
「使用人になるってことは、別れて暮らすことになるな」
そう、寝泊まりはホーン家内なのだ。
「俺、金貯めて出世して、絶対皆と一緒に暮らしますから。待ってて下さい!」
会いにだって何度も来るさ。
そう言い切る。
「――家族だからな」
寂しそうに、マオがぽつりと言った。