第四話「証」
「異世界ホームレス」
第一部 ホームレス編 四話
「証」
誰かに体を揺すられて、まだ慣れない小汚い毛布から、俺は快適ではない寝床で体が多少こわばって痛いことに気づきながら目を覚ました。
ああ、昨日も見たボロ小屋の天井だ。そしてマオがこちらをのぞいている。
「おい、カズ! そろそろ起きろ、朝メシが煮えてるぞ!」
そうか、もう俺にはスマホのアラームは無いんだっけ。助かる。
誘われて小屋の出口の方を見ると、ゴンさんが外の路上に構えてある鍋で何かふつふつと調理していた。
「ほれ、遠慮なんかしないでしっかり食えよ!」
渡されたのは質素なおわんに入ったポリッジ(西洋風おかゆ)のような物に、斜めにスプーンを差したものだった。
それにしても俺は流れのまま、ゴンさんとマオに世話を焼いてもらっている。
異世界だからなのか知らないけれど、世の中にはこんなに優しい人もいるんだな。
小屋の中で、そうしみじみ考えながら食べるおかゆは胃に温かかった。
食事をしながらゴンさんがはつらつと言った。
「今日から船が来てるらしいからな、仕事が山ほど選べるぞ」
そしてこちらを見た。
「ご立派様も隠せたことだし、カズもまともな仕事に就けるな。何がいい?」
その話題はあまりつつかないで欲しい……。
隣でマオがちょっと顔を赤らめた。
「俺は仕事選びは、正直よくわかりません。一番もうかる仕事は?」
ゴンさんが考えるように顎にこぶしを添える。
「そうだな、もうかると言えば荷役だが―― あれは事故のリスクがあるからなぁ」
荷役というのは昔の、船から人力でかつぐなりして荷物を降ろす、かなりキツめで危険のともなう肉体労働だ。
「じゃあ、俺、それにします。皆のために稼ぎたいですから!」
ゴンさんは慌てて否定する。
「やめとけやめとけ! 体壊したり、最悪死んじまったらホームレスで無くとも元も子もないんだぞ!」
そうだよ! とマオも同意した。
だが俺は、大丈夫、体の頑丈さだけには自信がありますと無理やり押し切ってしまった。なにせ不死身だしな。
潮風が香る……以上に照りつける太陽のキツい日差しと、肩の荷の重量。
俺は他の人夫たちとともに、上半身はだかで作業をしていた。
船のへりから港へと渡された段々のある丈夫そうだが粗末な木の厚板の上で、船から荷を拾い、肩に負っては降ろすループを繰り返す。
きつい、きつい、キツイって!
不死身でも死ぬんじゃないかってくらいだ。
だが、マオたちのためにも金は持ち帰りたい……。
それでも俺の心がそろそろ本格的に折れそうになったころ、作業の親方の声がひびいた。
「お前らーっ、昼だーっ! 昼休憩だ!」
人夫たちは荷物を降ろし終えるなり、わぁっと一斉に同じ屋根下へ向かっている。
その屋根だけの建物は、どうやら昼飯の配給所らしかった。
食事は昨日の屋台よりもいくぶん具が多く、塩気が効いていて、なにより大きさがふた回りほど増したサンド料理だった。
気前がいいのは、人夫が栄養不足で倒れては困るからだろう。
それと配給所の片すみでマオを見つけた。
彼女もまたここで、ゴミ出しや野菜の下処理などといった下働きをしているらしい。
……ホームレスが食品関係に関わっていいのかな? まぁいいよね。
「この街じゃ船は、仕事の神様みたいなもんだからな!」
だってさ。
さて人見知りする俺はサンドを食べようと、よく知らない他の人夫たちを避けて座れそうな場所を探していた。
そして貨物の大ぶりの木箱を見つけ、それにもたれて地べたで食べることに決めた。
木箱へ近づくさなか、不意にそれはひとりでに大きく揺れた!
ガタガタと動きは激しさを増してゆく。
やがて――スコン、とフタが上に飛んだ。
それを押し上げて伸びをするように出てきたのは、一人の女の子だった。
白いアラジンみたいな中東風の服をまとっている。
あっ! といった顔をしてこちらを見た彼女。
だが次の瞬間にはいつもの軽い笑顔になっていた。
「あたしはアラン! あんたとは友達になれそうだ、ブラザー!」
そう言って突然に抱きついてきたのだった。
む、胸の感触が!!
なんだこのぶっ飛んだコミュ強女は。離れろ!
そう、彼女は見ての通りの密航者だ。これからこの街に住み着いて、とても力強く生きる――。
様子を見に来たマオが驚く。
「なに? まさか街に来てもう彼女でもできたの? ホームレスなのに!?」
ぜんぜん違う。初対面だ!
彼女に頼んで、腹を極限まで減らしていたアランにサンドを一つちょろまかしてもらった。
「ありがとう! でもちょっとしょっぱいなコレ!」
あれだけ汗を流した俺ですら、塩気を感じたんだものなぁ。
むさぼり食うアランに軽く、マオとともにこの地についてたずねられた。
ここがちゃんと彼女の目的地であるティリスの国のポルトの街であることとか。
そして彼女は、なぜか過激派の白戦士団の本部の位置について聞いた。
「でも、なんでそんなところを?」
そうマオがたずねると「危ないところには詳しくないとだろ?」と笑ってどこかごまかしていた。
日が暮れて、やっと、やっと今日の荷役作業が終わりになった。
先ほどの配給に使われた屋根下が、今度は給料の渡し場として使われている。
マオたち調理担当の女性たちはもう先に帰っていたようだ。
親方のごつごつした手から、俺は銀貨を一枚受け取った。
この世界で初めての給料だ。
そしてこれは、俺がこれから皆のために金が稼げる、という希望とその証拠だった。
俺は飛び上がるほど喜んだ! そして周りの視線を感じてちぢこまった。
ぼろだけど服を着て、右手に給料を握りしめて、俺は子供のころみたいな気持ちで家へと街を戻った。
港からは途中で市場を通ることになる。
そこは夜の入りといえども明かりを照らして、いぜん賑わっていた。
そうだ! 今日は何か買って帰ろう。
明日も荷役をすれば同額の収入があるのだ。
俺は大切な温かな恩人たちに感謝を示したかった。
ごみごみした小さな雑貨屋に入り、まずはゴンさんの好きなお茶の缶を手に取った。
店主はホームレスの俺に一瞬だけ嫌そうな顔を見せた気がしたが、船が停泊していて人夫も羽振りがよい時期だ、すぐに顔色を戻した。
ゴンさんはお茶。マオは何が良いだろう。まだ俺は彼女が好きな物を知らなかった。
女の子らしいもの、ねぇ……。
棚に並んだ商品を見ながら俺がぼんやり考えていると、それは目にとまった。
可愛らしい赤茶色の木製の、髪のクシだ。
「これ、この銀貨で買えますか?」
俺はバカなことを言った。
金の価値がわかりませんと宣言したも同じだ。
しょせん相手はホームレス。店主は好き放題に金額をふっかける。
「茶が五千メルクで、クシは八千メルクですよ」
メルクとはこの国の通貨である。
俺の給料の銀貨一枚は一万メルクだ。
彼は丁寧な言葉ながらも、どちらもバカみたいに高く要求されている。
それを正直に俺はそのまま支払おうとした。
だが手持ちは一万。三千足りないのだ。
俺は小袋の中の三枚の金貨の事を思い出した。
それを一枚見せると、店主は目の色を変えた。実はひとつ十万の金貨なのである。
その事を知らない俺はでたらめな釣り銭を渡されて、知らぬままに希望いっぱいに店を出た。
――金を大損したことは後になって知った。
だが俺にとってこの贈り物は、とりわけこのクシは金額以上に意味のある物になった。
なお店主は――俺が去るなりガラの悪い男の元へ向かい何かをささやいていた。
家に帰ると、ゴンさんはまだ戻っておらずマオだけが居た。
「おかえり!」
明るく笑って出迎えてくれた彼女に、さっそく俺は雑貨屋の簡素な紙の包みからクシを出して差し出した。
それを見て、彼女はなぜか固まって目をぱちくりさせる。
「――これは?」
「プレゼントだよ。見ず知らずの俺にこんなに親切にしてくれてさ。初めてだよ、こんな気持ち」
「ええっ!? 初めてって――」
マオの顔がみるみる赤くなってゆく。どうしたんだろう。
おずおずと彼女がたずねる。
「……ホントに、これもらっていいの? 私がいいの?」
しかしながらマオは今度は自問自答し始めた。
「でも知り合ったばっかりだし、でも、でも――」
よくわからないまま、彼女が遠慮しないように俺は続ける。
「いや、ほんとお礼だから、気軽に受け取ってよ」
その言葉を聞いて彼女は、ぽかんと肩透かしを受けた表情に変わる。
そして、今度は怒りに顔を赤らめ始めた!
「あんたねぇ…………。バカ!!」
そう言ってクシをぶんどると家を出てどこかへ駆け出て行ってしまった。
一体なんなんだ。
戻ってきたゴンさんにお茶を渡しながらそのいきさつを話した。
すると彼は吹き出して大きく笑った。
「ハハハ、お前さんは、東方の民の文化を知らないな。女性にクシを渡すのは求婚の証だぞ」
面白いことになったな、ハハハ! と彼は楽しむのだった。
マオも戻ってきて皆が寝静まったその夜。
俺はどこか何者かの気配を感じた気がしてそっと家の外に出た。
少々肌寒い。
「おや、勘のいいこじきじゃないか」
月明かりを背に、三人の白い布をひたいに巻いた人間が立っていた。過激派の白戦士団だ。
「だがそれも今日まで―― あっ!」
あっというか、げっ! といった顔でこちらを見ている、三人連れの真ん中の人物は昼に出会ったアランだった。
「ぶ、ブラザーじゃないか! 元気か!?」
あえてのオーバーリアクションで彼女が駆け寄り抱きついてくる。
そして彼女は耳元で引き締まった声でささやいた。
「店で払った金貨。他に持ってるか」
どういうことだろう。
「いいか、ここでお前が払えなきゃお前ら皆殺しだぞ」
まさか、白戦士団ってそんな連中だったのかよ!
「い、一枚だけなら……」
俺は少なく申告した。
「ならいい、それで決まりだ!」
俺から離れると、彼女は一枚の金貨を受け取った。
「ありがとな、ブラザー! 命は見逃してやるよ!」
そうして後ろを向くと、戦士団は静かに立ち去っていった。
いくら仲間が温かくとも、この街ではあまり気を抜いてはいけないようだ。
だが、俺は再び小屋の中に戻ると、すっかり安心した気分になって寝入ってしまった。――くさいけど。