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第一話「新風」

「異世界ホームレス」


第一部 ホームレス編 一話

「新風」



 昼下がりのひとけの少ない百均ショップで、俺は果物ナイフを購入した。

その店では包丁を売っていなかったからだ。

レジで、プラスチックの平たいパッケージに収まったそのナイフを震える手で差し出す。

店員の中年女は俺が挙動不審なのを見てとったのか

「お客様こちら、何に使われるのですか」

と怪しんで、それでも面倒くさそうな目をしながらたずねてきた。

「えっ――りょ、料理です」

「そうですか、かしこまりました。百十円お預かりします」

彼女は面倒事を避けたかったようだ。

もちろん、俺カズマサに料理の趣味はない。



街の一軒家より狭いくらいの一区画の、誰も居ない小さな公園のベンチに俺は座り夜を待っていた。

ただ、時間を過ごしていた――ぽつりぽつり少しだけ考え事をしながら。

思う。この狭すぎる公園はなんのためにあるのだろう。――まるで俺みたいだ。



子供時代の俺は大人しい子だった。

というよりは、影が薄く何をしているのかさえも誰も知らない子である。

運悪く虫の居所の悪かった不良にからまれて殴られたとき。

顔をはれさせた時も俺はいつものように大丈夫だ、何も無かったと答えた。

それを親も教師もじとりとした目でいちべつしただけで気にはかけなかったのだ。


悪いことはしなかった。

強いて言えばある日、不良が落としていったタバコの箱を拾った。

中には数本のタバコがまだ残っていた。

おあつらえ向きに、ライターも捨ててある。

俺は隠れて、校舎裏の無機質なコンクリートでできた非常階段の踊り場でタバコを吸った。

親にも先生にも隠れて、初めて悪いことをした。

つまらない人生なりに事件を起こし、背中に小さな翼が生えたかの心地が始めはした。

だがそうしないうちに、俺はこの事件が誰も知らない些末なことだと自覚した。



――夜が来た。無為な時間は過ぎ終え、辺りは暗くなってきている。

もう、ネカフェにも泊まれない。

金を借りるアテも、実家は俺の電話をぶち切ってだんまりを決め込んでいる。

唯一、二十万円を貸してくれたアイツに少しでも金を返すためにも。

俺が最後に起こす事件は、今度は誰かの記憶に残るのだろうか――。




 どこか冴えない明るさをした、プラスチックの内側から光る看板の個人経営のコンビニへ。

薄暗い夜に、両手を上着のポケットにつっこんだまま鬱屈とした気持ちで俺は入った。

「――っしゃい」

レジ台から俺をちらりと見たババアの声は、しっかりといらっしゃいとは聞こえがたかった。

マニュアルで教育されたフランチャイズチェーンとは違うのだ。

だがむしろ、それくらいのほうが罪悪感が少なくていい。

俺はゆらりとレジのカウンター前まで歩みを進めた。


そして右のポケットからそれを取り出し、左手でサヤを抑えて抜き出した。

昼に本当に最後の金で買った果物ナイフだ。


――カネ出せよ。


俺はそれだけ言った。

言ってババアに向けてナイフを構えていると、後頭部に衝撃が走った。

後から思うに、きっと正義感の強い真っ当な人間がその場に居たのだろう。

俺なんかと違った人種が、きっと後ろから犯罪者を何かでぶっ叩いた。


一撃を受けながらも果物ナイフとサヤは握りしめたまま、俺は崩れるように倒れた。

視界はどんどん紫色に染まって行き、すぐに真っ暗に消えた。





 俺がぼんやりと視界を取り戻したのは、ラムネ色の炭酸飲料みたいな、いやそれにしては大ぶりの泡の多数浮かぶ空間だった。

体はふんわり宙に浮いている。

後頭部は、まだずきずき痛い。自分が何をしたのかを思い出した。



次第に、目の前が優しく明るくなった。

その光の中にこちらを向いた女の輪郭が見えた。

光が弱まるのに合わせてその表情がくっきりしてくる。

長い金色の髪に月桂樹の冠。整った目鼻に白いゆったりとしたワンピース状の服。

今まさに目を開いたその女は、まるで女神のようだった。


だが俺は思う――こういう太陽の元で育ったような人間は、どこか苦手だ。



女は俺に語りかけてきた。

「あなた、私にも強盗する気?」

彼女ににやけ顔で言われてはっとする。

俺はまだ両手にナイフとサヤを握りしめたままではないか。

慌てて刃をサヤにしまう。


「よろしい。それで、あなたは今まで恵まれない人生を送って来たようね?」

わざわざ人に言われるのは、嫌だ。

「別にいいじゃない。それで、私は人助けがしたいの。自分の信者を増やすためにね」

このエカトルと名乗る女神はなかなか打算的なようだ。



女神は説明を始めた。

「いい、これからあなたはティリスの国で新しい人生を始めるの。ヨーロッパに似た国よ」

彼女はにこりとして続ける。

「希望にあふれた第二の人生を送ってね」

そう言われても、希望なんてなかなか思い浮かばない。

「大丈夫よ。あなたはもう死なないもの」

死にたくなっても死ねないのか?

「だから大丈夫だって、時々ちょっとした願いごとなら叶えてもあげるわ」

ちょっとってのがひっかかるな。

「さあ、カズマサ、最初は何が欲しい?」

欲しいもの…………。


「――カネ」

当然の言葉だった。そのためについさっき強盗までしたのだから。

「いいわ、ほら、右手を出して」

右てのひらに金貨を三枚、渡された。

「それじゃあ、よい人生を」

まて、こんな量じゃ――




 は、と目を覚ますと俺は仰向けに倒れ日光に照らされていた。

背中には草の感触がある、ここは――草原だ。土の香りがしている。

そして俺は発見した。俺は全裸だ。

さっきまで、コンビニに入った時と同じ洋服を着ていたのに。

それでも果物ナイフだけは、左手にしっかとにぎられたままだった。

そして、よく見れば足元には三枚の金貨が光っている。

慌てて拾い集めた。


この国はティリスと言ったっけ。一体ここで何をして生きていけばいいんだ。

途方に暮れ、だが、やがて俺はアテもなく近くにあった道を歩き始めた。

裸足で踏む大地は思ったより優しく、初めての感覚が心地よかった。



少し進むと、大きく壊れたほろ馬車が打ち捨てられていた。

野盗に襲われでもしたのだろうか。

中に荷物は何も残されていなかった。

ぼんやりと俺は馬車を眺める。ほろだけが残っている。

そう、布があり、そして俺は困ったことに全裸だ。



俺は果物ナイフでその布地を割いた。

長い長方形に切り出して、真ん中に丸く穴を開けた。

それを二つに折るようにして被って服にした。

歴史でいう貫頭衣というやつだ。

長細く切った布を帯にして留めた。

またもう一つ細い紐を作って、それで果物ナイフを左腰に着けた。

そして自作の不格好な、風呂敷状の物入れ袋に金貨を詰めてそれも腰に下げることにした。



スースーする部分はまだまだ多いが、形だけでも服を着ることができて俺の心はずいぶん落ち着いた。

ああ、ホームレスになってしまうと思って犯罪をしたのに、生まれ変わっても結局ホームレスなのか。

俺はなんだか、かえって開き直って少し笑った。

気持ちが軽い。心地よい風が吹く。

そして再び自由に道を歩み始めた。

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