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第93話 夜の王、休息する

 聖庁上院セントゥス・ドミヌス――


 銀糸の文様が光を反射する大理石の床に、セレナは静かに右手をつき、膝を折った。

 高くそびえる玉座。そこに座すは、ヴァチカン三賢者。


 空気は凍りついたような静けさに包まれていた。


 そのなかで、少女の声だけが澄んで響く。


「――セレナ・クレメンティア。任務の報告に参りました」


 頭を垂れたまま、彼女は深く息を整える。


 そして、宣言する。


「“夜の王”は――倒してきました」


 語気には微かな震えも、ためらいもない。

 それは、嘘ではない。

 だが、彼女だけが知っている。

 ――真に倒したのは、孤独であり、絶望であり、絶え間なく続く夜そのものだったのだと。


 天蓋のような法衣を纏う三賢者たちは、沈黙を保ったまま、セレナを見下ろしている。


 セレナは、ゆっくりと顔を上げた。


 その瞳は揺るぎなかった。

 誰かに指示されるのではない。

 誰かの正義をなぞるのでもない。


“自分自身の意志”で――告げる。


「そして私は、救うべき人のために――」


 一拍、間を置く。


 その声は静かに、しかし確かに、聖庁の天井へと届いた。


「“夜を歩きます”」


 聖と夜。

 光と影。

 かつて相反するものと教えられたそれらを、今、彼女はその胸に抱きしめる。


 それは、誰の許しもいらない――

 彼女だけの祈りだった。


 そして、決意だった。


 **


 天上の星図が、静かにきらめいていた。

 その光は、彼女の決意を祝福しているようにも、試しているようにも見えた。






 夜の闇は、静かに世界を包んでいた。


 遠くで風が梢を鳴らし、星たちはただ黙って見下ろしている。


 そんな中で、エンドはゆっくりと振り返った。


「――ルアン、ネム、ノイ」


 三人を順に見つめ、言葉を紡ぐ。


「ここまで、着いてきてくれて……本当に、ありがとう」


 胸の奥から滲み出た、まっすぐな言葉だった。


 ルアンは、わずかに目を伏せ、口角を上げる。


 ネムは、面倒くさそうに肩をすくめながらも、どこか嬉しそうに目を細める。


 ノイは、何か言いたげに口を開きかけて――けれど結局、ぎゅっと拳を握りしめただけだった。


 それぞれの仕草に、確かに伝わっているものがあった。


 だから、エンドは続けた。


「――夜の王は、しばらく“お休みだ”」


 そしてエンドは、少しだけ顔を引き締めた。


「ルアン、ネム」


 静かに、けれど確かな声で続ける。


「次、人を襲ったら……タダじゃおかないからな」


 その厳しさに、ルアンはすぐに片膝をつき、頭を下げた。


「襲いませんよ。エンド様は――いつまでも、俺の王です」


 その声音には、主従を超えた敬愛が滲んでいた。


 ネムは小さく舌打ちしながらも、ふっと肩をすくめて笑う。


「……貴方が来たら、たまったもんじゃないからね。襲わない、襲わない」


 軽口を叩くその声に、微かな照れと、信頼が滲んでいる。


 そして――


 エンドは最後に、ノイに視線を向けた。


 小柄な少年は、じっとこちらを見上げている。

 赤と金に煌めくオッドアイが、わずかに潤んで揺れていた。


 エンドは、そっとその頭に手を伸ばした。


「ノイ……」


 言葉を選ぶように、ゆっくりと。


「今度こそ――本当の意味で、お前のヒーローになるよ」


 くしゃり、と優しく髪を撫でる。


 ノイは小さく目を瞑り、ぎゅっと唇を引き結んだ。


 何も言わなかった。

 けれど、その肩の震えが、すべてを物語っていた。



 静寂の中、誰よりも先に口を開いたのは、セレナだった。


 夜の微かな風を背に受けながら、彼女は優しく、でも凛とした声で告げる。


「――エンド、行きましょう」


 その一言に、エンドはゆっくりと振り返った。


 仮面はもうない。

 ただ素顔のままで、夜の空を見上げ――そして、小さく頷いた。


「ああ」


 短いけれど、確かな返事だった。


 セレナが静かに歩き出す。


 エンドもそれに続こうと一歩踏み出しかけて――ふと、背後を振り返った。


 そこには、ルアン、ネム、ノイが並んで立っている。

 誰も言葉を発しない。ただ、それぞれの瞳が何かを語っていた。


 感謝。

 信頼。

 願い。


 すべてを背負い、すべてを託して――


 エンドは、少しだけ口元をほころばせた。


 そして、短く、けれどこの上なく温かい声で言う。


「――三人とも、“またな”」


 その言葉は、約束だった。


 別れではない。

 終わりでもない。


 必ず、またどこかで手を伸ばすと――

 互いに信じている者たちだけが交わす、無言の誓い。


 夜風がそっと、彼らの間を通り過ぎる。


 エンドは、背を向けた。

 セレナと並び、二人で歩き出す。


 新しい夜を迎えるために――

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