表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
94/105

第92話 独りじゃないと知る夜

 鋼がぶつかるたび、夜が震える。


 刃と刃が交差し、飛び散る火花は、まるでふたりの過去が焼け落ちていく音のようだった。


「どうして、そこまで一人で背負おうとするのよ!」


 セレナの声が、剣に乗って突き刺さる。


「私は……何度だって言うわ、私も背負うって!」


「……それが、できたら苦労しねえんだよ!」


 エンドの刃が激しく軌道を変える。

“咎”の一閃がセレナの肩を斬り裂いた。血が舞う。だが彼女は怯まない。


 セレナの剣が返す。その切先が、エンドの頬をかすめた。

 紅が線を描き、彼の仮面の下へと染みていく。


 痛みはあった。けれど、それ以上に――


「背負いたいんだ、貴方と“夜を歩くって”! あの日、共に歩くって誓ったでしょう!?」


「じゃぁ俺の前に立つんじゃねぇ!!」


「それしか、今のあなたに届く方法がないからよ!!」


 咆哮。剣戟。血飛沫。呼吸。


 夜の空気が揺れ、風が唸る。


 ――セレナの「背負う覚悟」と、

 ――エンドの「背負わせまいとする覚悟」が、

 ふたりの剣の中で激しく衝突していた。


 どちらも“優しさ”だった。

 どちらも“祈り”だった。


 けれど、だからこそ、それは最も痛ましい形で――互いを傷つけ合う。


「赦されなくていい。俺はそれでも、進むしかねぇんだよ!」


「なら、問うわ――」


 セレナの刃が、エンドの“咎”を押し返す。


「――誰が、貴方を“赦していい”と決めるの?」


 その言葉に、エンドの足が止まりかけた。


「それを決めるのは、貴方じゃない。ましてや、神でもないわ」


「私が、私自身の意志で――あなたを赦す。だから……!」


「その罪を、私にも背負わせて!!」


 刃が火花を散らしながら、再びぶつかり合う。


 その音は、剣戟でありながら、まるで“対話”のように響いていた。






 その瞬間、影が揺れた。


 彼の足元から滲み出た黒が、夜に溶けるように蠢き、空間そのものを歪ませる。そして――



 一瞬にして姿を消す。


 次に現れたのは、セレナの背後。

 影から現れたその右腕は、人のものではなかった。


 白く変異し、毛並みの逆立つ獣の腕――


 それを振るう、瞬間――


浄光じょうこう!」


 セレナの叫びとともに、右手から迸る“光”。


 まばゆい白光が衝撃波のように拡がり、地面に這っていた影を一瞬で“祓った”。


「……!」


 エンドの右腕に走った獣の変質も、光に焼かれるように霧散していく。

 影と共に、彼の戦術が“霧散”した。


「何回……貴方と肩を並べて戦って来たと思ってるの?」


 セレナは静かに、剣を構え直していた。

 その声音には怒りも誇りもない。ただ、確かな“理解”があった。


「貴方の影の動きも、右手の変化も――全部、分かってる」


「……っ」


 エンドが無言で仮面の奥で歯を食いしばる



「私はね……あなたの“強さ”の使い方も、全部覚えてるの」


「……だけどそれだけじゃない」


 セレナはそっと瞳を細め、言葉を続けた。


「私が本当に知ってるのは、貴方が誰より優しいってことよ」


 風が吹く。

 散った光粒が、なおも空中を漂っていた。


 そのひとつひとつが、まるで過去の祈りの断片のようだった。




「……じゃあ、そろそろ――ケリ、つけるしかないな」


 エンドが低く呟く。

 その声は乾いていたが、確かに“決意”を帯びていた。


「ええ、私も……覚悟はできてる」


 セレナの瞳には揺るぎない光が宿る。


 次の瞬間、エンドの足元を夜風が巻き上げる。

 闇を裂いて、彼の身体が跳躍する。飛翔ではない――それは、咎と孤独を背負う者の“飛び立ち”だった。


血剣六対けっけんりくつい


 背から咲いたのは、禍々しくも美しい六枚の“血の剣”。


 ざん――過ちを裁く者。

 しゃ――罪を受け入れる者。

 けつ――選択と覚悟を示す者。


 三種の想いが、二対ずつ羽根のように彼の背に展開し、闇夜に紅を描く。


 その対となるように、地上に立つセレナは、静かに祈るように剣を掲げた。


「――六輪の祈り(ろくりんのいのり)


 彼女の持つ光の刃を中心に、六つの光輪が宙に現れる。

 それはまるで聖なる天蓋のように、彼女の周囲に浮かびながらゆっくりと回転する。


 祝福――生を信じる祈り。

 守護――すべてを守る盾。

 断罪――偽りを裁く刃。

 浄化――穢れを祓う輝き。

 赦し――罪を受け止める光。

 救済――終わりではなく、始まりを告げる鐘。


 六輪は音もなく回り続け、空気そのものが聖域へと変わっていく。

 それは“彼を救うため”の、たったひとりの祈り。


 そして――


 闇と光が、空と地が、悲しみと祈りが、真っ向から交差した。


 咎と赦が羽ばたき、

 祝福と断罪が衝突し、


 決意と祈りが、空でぶつかる。


 バァンッ――!


 大気が引き裂かれ、天地を貫くほどの轟音が鳴り響く。

 爆風が広がり、遠くの木々を薙ぎ払い、空を仰いでいた者たちの視界を白と紅が覆う。


 それは、世界が“二人の想い”に震えた瞬間だった。


 **


 時間が止まったかのような静寂のあと――


 二人は、立っていた。


 呼吸は乱れ、衣は裂け、剣の切っ先は震えている。

 光輪は淡くなり、血剣も数本が砕けていた。


 けれど――それでも。


 どちらも、まだ“立っていた”。



「お前は――一体なんなんだよ!」


 掠れた声が、夜に響く。


「なんで……なんで俺に構うんだよ……!」


 振り上げた声は、怒りではなく――悲鳴だった。


「独りにしてくれよ……!」


 その叫びは、震えていた。


 仮面の奥の瞳が揺れる。唇がわなないて、かすかに息を呑む音がこぼれる。


「じゃないと、お前が……傷つくだろ……」


 その言葉は、まるで願いだった。

“だから、もう俺に近づかないでくれ”と――

“俺が壊れる前に、お前が壊れるから”と。


 **


 セレナは黙って見つめていた。


 傷だらけの身体。

 血に塗れたその手。

 そして、“誰も近づけないように”張り巡らされた孤独の仮面。


 ……それでも、彼は優しかった。

 自分よりも、誰かのことを案じて――その優しさで、自分を罰していた。


 だから。


「何故って……」


 セレナは、一歩、彼に近づいた。


 その瞳はまっすぐで、揺れていなかった。


「――貴方が好きだから」


 一瞬、風が止まったようだった。


 その言葉が落ちた瞬間、世界が音を失う。


 エンドが目を見開いた。

 理解が追いつかないのか、仮面の奥で感情が渦を巻く。


 だが――その直後。


「だから……!」


 セレナの拳が、まっすぐに振るわれた。


“言葉”という名の一撃。

“想い”という名の刃。


 その拳は、ただの衝動でも、怒りでもなかった。


「勝手に“独り”になるな!」


 感情のすべてを乗せたその一撃は――


 バンッ!


 仮面の中心に、正確に届いた。


 砕け散ったのは、“孤独”という名の壁。

 その奥に閉じ込められていた“弱さ”も、“優しさ”も――すべてが溢れ出すように、静かに、落ちていった。


 エンドの身体が一歩、ふらりと揺れる。

 だが、彼は倒れなかった。




 エンドの身体が、ついに力尽きたように地面に崩れ落ちた。


 膝をつき、両手を支えにしながら、重く荒い呼吸を繰り返す。


 そして――


 仮面にそっと指をかける。


 カシャン……


 静かな音を立てて、顔から仮面が外された。


 そこにあったのは、“夜の王”でも、“吸血鬼”でもない。


 涙に濡れた、ただのひとりの男の顔だった。


 ぐしゃぐしゃに歪んだ表情。

 抑えようとしてもこぼれ落ちてくる涙。

 喉の奥で震える嗚咽が、ようやく“人間”としての彼の声を引き出す。


 それは、“エンド”という名を背負ってから、初めて流した涙だった。


 忘れたはずの“祐”の記憶が、涙と共に静かに零れ落ちていく気がした。


「……俺を……」


 声がかすれ、そして崩れるように続いた。


「僕を……独りにしないでくれ……」



 その言葉は、まるで誰かに許しを乞うような、あるいは救いを乞うような――

 けれど確かに、“初めての本音”だった。


 涙が一筋、また一筋と地面に落ちる。


 それは、長い旅路の果てにようやく零された、救われたかった叫び。


 **


 セレナは、そっと近づいた。


 その姿を、何も言わずに見つめながら――


「……うん」


 ただ一言だけ、優しく、あたたかく。


 そして、静かにその身体を抱きしめた。


 血と涙にまみれた彼の背中を、まるごと包み込むように。


「独りにしないよ、絶対に」


 その囁きは、どんな祈りよりも深く、優しかった。


 夜の風が、ふたりをそっと撫でる。


 赦しも、罰も、正義も、すべてを越えて――ただ、ふたりの心が寄り添った瞬間だった。


 そして、遠く――夜の果てに、かすかな光が射し始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ