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第88話 聖滅の名のもとに

 聖庁上院セントゥス・ドミヌス――

 そこは、ヴァチカンの中でも選ばれし者しか足を踏み入れることの許されない、神意の最奥とも呼ばれる場所である。


 長い回廊を抜け、重厚な扉の前に立ったセレナは、いつにも増して神経を研ぎ澄ませていた。


 扉が静かに開かれる。


 その先に広がる空間は、まさに“神の謁見の間”と呼ぶにふさわしい威容を備えていた。


 大理石の床には、初代神子を讃える銀糸の文様が光を反射し、巨大なステンドグラスには神々と賢者の伝説が描かれている。天井は高く、天界の星図が精緻に刻まれ、昼でも灯りのように室内を照らしていた。


 室内中央には、三つの玉座。


 そのひとつひとつが、それぞれ“海”、“森”、“糧”を象徴する彫刻で彩られていた。

 それらに腰掛けるのは――ヴァチカン三賢者。


“聖なる海域”を司る青衣の姉、

“恵みの森”を守護する緑衣の妹、

 そして“民の糧”を統べる白金の娘。


 三人は、神子の血を引く「世界と祈りを繋ぐ存在」として、代々ヴァチカンの根幹を支えてきた。

 その影響力は、単なる宗教的象徴に留まらない。

 たった一人が欠ければ、世界の海流が乱れ、大地が枯れ、食の巡りが絶たれるとさえ言われている。


 その場に呼び出されたセレナは、静かに一礼をして立つ。


「セレナ・クレメンティア。光の後継者として、参りました」


 彼女の声が、天に届くように高く響いた。


 ――だが、その奥底には微かな動揺があった。


 エンドの影。夜の王の足跡。

“赦されなくても進む”という、あの報告書の一文。


 それをこの聖なる空間で思い出すたびに、胸が締め付けられる。




 それぞれが天蓋のような大きな法衣を身にまとい、顔の大半を隠す異形の姿は、まさに“神託を守る者”そのもの。


 ――顔のほとんどは法衣に隠されているはずなのに、セレナは確かに“見られている”という圧を感じていた。

 視線ではない。“魂”を覗かれているような――そんな錯覚すら覚えた。


 頭上には尖塔めいた飾りを頂き、法衣の前面には、それぞれの役割を象徴する意匠――


 海を彷彿とさせる水紋、

 森を象徴する緑葉の織り柄、

 糧と祈りを象る黄金の聖印――が刻まれている。


 姿勢はまっすぐで、まるで人形のように微動だにしない。

 だが、その静けさの奥から伝わってくる“圧”は、まるで神の声そのものだった。





 やがて、柔らかでありながら空間を支配する声が響いた。


「セレナ・クレメンティア――」


 中央の賢者がゆっくりと口を開く。


聖騎士パラディンとしての執務を授ける」


 そして、次に発せられた言葉は――鋼のように冷たく、容赦がなかった。


「“夜の王”と名乗る穢者けがれものを、聖滅せよ」


 ――空気が張り詰める。


 セレナの口が、わずかに開かれた。


「……えっ!」


 心臓が跳ねる。

 耳を疑った。

 けれど、間違いなく――その名が呼ばれた。


(夜の王……エンド?)


「これは、三賢者の総意である」


 今度は、右側の賢者が告げる。

 その声には重みがあった。民意も議論も、すべてを黙らせるような権威が宿っていた。


 セレナは膝をついたまま、唇を噛みしめる。


「……ですが!」


 その声は震えていた。

 けれど、抑えきれなかった。


「“夜の王”は、人を襲っていないと――報告があります!」


「むしろ、各地で自称魔王たちを討伐し、結果的に人々を守っています……!」


「今は、日本やカムシャン連邦、他地域での防衛線のほうが――」


 左側の賢者が、まるで“天の論理”を語るように告げる。


「人を襲っていなくとも、穢者は穢者」


「そは、聖滅の刃をもって、“神域を穢す者”を浄めよ」


「いかに人を襲わずとも、夜を名乗る者に救いはない。“赦し”は神のみが与えるものゆえ――」



「その血脈、その存在。それ自体が“神の摂理”に背くもの」


「ならば、正しき光の剣にて――裁かれねばならぬ」


 正義という名の裁き。それは、例外を許さない。


「今回は民間人の混乱を避けるため――」

 中央の賢者が続ける。


「そなた一人で、“聖滅”を執行せよ」


 その声には、“異議”を挟む余地すらなかった。

 神意を代弁する者の声――それは即ち、絶対。


 セレナの拳が、震えた。


 ――彼は、夜を歩いていた。

 誰にも気づかれず、誰も巻き込まず。

 赦されなくても、進んでいた。


(それでも、あの人は……)


(誰よりも、“人間”だった)


 神の意志に従うことが“正義”だと教えられてきた。

 けれど――今、この命令が、それに思えなかった。


 目を伏せる。

 光がまぶしい。

 それはもはや、祝福ではなく――審判のようだった。


「……謹んで承ります」


 静かに頭を下げたその姿は、もはや“少女”ではなかった。

 それは、“剣”として生きる者の、覚悟だった。


 そして――


 それが、彼女と“夜の王”との、避けられぬ再会の幕開けだった。

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