表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/97

第9話 銀の神子の赦し、そして闇の継承者

「皆の憧れのお前らが……生者を殺すのかよ!!」


あの言葉が、ずっと耳に残る――

耳を塞いでも、胸の奥から響いてくる。まるで、自分自身の心が責めているかのように。


**


幼い頃、私は両親を目の前で魔物に殺された。

血の匂い、肉が裂ける音、父と母の叫び声――

世界が崩れる音を、私は確かに聞いていた。


あの瞬間から、世界は音を失った。

耳に届くはずの悲鳴すら、遠く霞んでいった。


気がつけば、私は光に包まれていた。

暖かく、優しく……けれど、どこか悲しい光だった。

その光にすがるようにして、私は初めて“救い”を知った。


その日、私は“聖なる力”を手に入れた。

ヴァチカンはそれを“神の奇跡”と称え、私は特別な存在になった。

選ばれし者、神の子、救世主――

世界は私に、光の名を与えた。


訓練の日々は過酷だった。

心を殺し、涙を捨て、ただ“正しさ”を学び続けた。

「弱き者を守るために」

「闇を払うために」

――そのためならば、自らの感情すらも切り捨てろと教えられた。


でも、私は忘れられなかった。

困っている人を見るたび、あの日の自分を重ねてしまう。

泣きながら助けを求めていた、あの時の“私”を。


震える手を、私は無視できなかった。

たとえそれが規律違反であっても。

その手を振り払うことが――どうしても、できなかった。


**


「セレナ、貴女は優しすぎる。それは規律違反に繋がる」


ヴィザの冷たい声が、胸を突いた。

彼は間違っていない。

私たち聖騎士は、秩序を守る存在でなければならない。


――けれど。


光では救えなかった。ならば私は――あの闇に、手を伸ばす

あの時の屍鬼の叫びが、何よりも“人間らしかった”。

私の中の“聖性”が、軋んでいた。

……もう、割り切れない。切り捨てられない。


玲の首が落ちたあの瞬間。

その瞳に浮かんでいたのは、怒りでも恐怖でもなかった。

まるで……安堵に似た、悲しい微笑みだった。


「間違っていたのは……私だったの?」


**


「……あの日、私が助けられたように……

 彼女にも、光を与えられたはずだったのに……」


胸の奥が、焼けるように痛んだ。

私のこの手は、聖なる力に満ちているはずなのに。

なのに、彼女を救うことは――できなかった。


正しさとは、いったい何だったのか。

救いとは、誰のためにあるのか。


――あの場で、最も“正しかった”のは、あの屍鬼だったのではないか?


下位のアンデッドに意思はない。

それが、私たちが教えられてきた“常識”だった。

だが――彼は違った。


あの屍鬼は、玲を庇い、何度もその身を投げ出した。

痛みを感じ、傷を負いながらも、ただ彼女を守ろうとしていた。

誰よりも、真っ直ぐに。


**


「……私たちこそ、間違っていたの?」


その問いが、胸の奥にずっと居座っていた。

揺らぐ信仰、崩れる正義。

聖なる光は――本当に“救い”だったのか?


私には、もうわからない。



**


声が聞こえる――



それは、死んだはずのトレイナの声だった。

もう滅びたはずの、あの歪んだ存在の、嘲るような声。


「エンド……玲も死に、お前も太陽が昇れば塵となる……哀れだなぁ……」


その言葉に、胸の奥が冷たく凍る。

だが――それ以上に、目の前の光景が信じがたかった。


セレナの聖光で滅せられたはずのトレイナの亡骸――

その傍らに、ぽつりと転がる一つの核。

宝石のように、妖しく輝きながら脈動している。


それは、ただの魔石ではなかった。

魔力の核――トレイナの魂の残滓。

あれが、この世と彼の存在をかろうじて繋ぎとめていたのだ。


「フフフ……あの時、儀式を受け入れていれば玲はまだ生きていたかもしれんのに……」


「哀れだ……全てはお前の選択の結果だ……」


その言葉は、傷口を抉るように胸へと突き刺さった。

だが、怒りや後悔に呑まれている時間は――もう残されていなかった。


「……うるさい……」


俺は、唸るように呟いた。

喉は焼け、声は掠れていたが、それでも確かに響いた。

怒りと悲しみと、祈りにも似た強い意思が――声に宿っていた。


ジリ……ジリ……

肌を焼く音がする。太陽が、昇る。


焦げた肉が剥がれ落ち、煙が立ち上る。

もう歩けるはずの身体じゃない。

だが――それでも、俺は進んだ。


「せめて……わしの器となれ……」


トレイナの囁きが、耳元で響くたびに、

魂が少しずつ削られていくような感覚に襲われる。


足はもう、残っていない。

地を這い、指を焦がし、骨を軋ませて――


一歩、また一歩。

焼かれながら、僕は核に手を伸ばしていく。


(玲……僕は……まだ……)


胸の中に残る、彼女の最期の瞳。

守れなかった悔いが、背を押していた。


**


そして、指先が核に触れた瞬間――


「終わりだ、トレイナ……!」


喉を裂くように叫んだ。

そして、全ての力を込めて――その核を、握り潰した。


パリン――!


高く、乾いた音が辺りに響き渡る。

同時に、核は砕け散り、漆黒の瘴気が爆ぜるように空へ舞った。


その闇の一部が、逆流するように――僕の中へと流れ込んできた。


**


「ほぉ……」


内側から響く声――トレイナの残響。


「進化を飛ばして……もう、なったか……『あれ』に……」


俺の身体が――変わり始めた。


骨が悲鳴を上げ、血が沸騰し、皮膚の下で神経が軋む。

焼け落ちたはずの肉が、ねじれながら再構築されていく。


「――ッ!!」


喉が裂けそうな叫びを上げるが、声はすでに声ではなかった。

それは、断末魔にも似た――再生の咆哮だった。


**


視界が、闇に沈む。

意識が歪み、世界の形が変わっていく。

光も音も、触れられるはずの感覚も、すべてが遠のいて――


(これは……進化……? それとも……)


**


「だが哀れだ……」


再び耳に届く、あの声。


「もう……太陽が、森の闇を照らす……」


**


太陽が昇る――


そして、僕を焼き尽くす。


**


ジリ……ジリ……


血肉が炭となり、煙となって昇っていく。

再生と崩壊が交錯し、限界を超えていた身体が――ついに、沈み始める。


「くそ……まだ……やれる……のに……」


声が、届かない。

視界が揺らぎ、心が千切れるように遠ざかっていく。


「玲……すまん……墓、作ってやれそうにない……」


**


僕の身体は――

太陽の光に包まれ、ゆっくりと、確かに塵へと変わっていった。


――魂すら、炎に溶けるようにして。


「……これで、終わり……か……?」


その瞬間、見えたのは――

太陽に揺れる、木々の影。

あの日、夢見た“平和”のような、静かな光景だった。


**


――だが、運命はそう簡単には終わらなかった。



「……これで、終わり……か……?」


意識が朦朧とするなか、口をついて出た言葉だった。


身体の感覚は、もうほとんど残っていなかった。

焦げた肉体はひび割れ、砕け、風にさらわれるように崩れていく。

魂までもが、太陽の熱に溶かされ、空へと還ろうとしていた。


――不思議と、怖くはなかった。


あまりにも静かな、死。

焼け焦げる音すら、もはや遠く感じる。

光に包まれ、視界の端に、揺れる木々の影だけが残っていた。


それは、かつて見た“理想の世界”に似ていた。

血も争いもない、ただ風が通り、葉が揺れるだけの、静かな場所。


(……玲……ごめん……)


約束を守れなかった。

守りきれなかった。

何も――届かなかった。


自分が信じた“正義”も、“愛”も、“希望”も、何ひとつ救えなかった。


(……それでも……)


どこかで、まだ誰かが――誰かだけは、生きていてくれたらと思った。


そうして、ゆっくりと、すべてが白く染まり始めた。


**








――だが、その“白”の中に、ふと――

ひとすじの“銀”が差し込んだ。


「……お待たせ。」


微かに、耳に届いた声。

柔らかくて、優しくて、けれど、どこまでも悲しげだった。


それは夢か、幻か――


(……誰……?)


もう何も見えないはずの視界に、ひらひらと揺れる銀色が映り込む。


――光の中、銀髪が揺れていた。

まるで陽炎のように、ぼやけた世界に滲んでいる。


「セ……レナ……?」


言葉にするのもやっとだった。

けれど、それでも確かにそう感じた。


彼女は、祈るように、壊れかけた僕の身体を抱き上げる。

その目に、涙はなかった。ただ――強い決意があった。


両腕で抱えたのは、首から下をほとんど失った、僕の“骸”。

だが、彼女はまるで宝物を扱うように、静かにその身体を支えた。


「もう……我慢しなくていい。」


そう囁きながら、セレナは自らの首筋を、僕の唇へと静かに導いた。

その指先に、ほんのわずか震えがあった。けれど、その瞳には、迷いがなかった。


唇が肌に触れた瞬間――


“カチリ”と、口の奥で何かが変わった。


朽ちかけた肉体の奥で、疼いていた本能が静かに目覚める。


ゆっくりと、犬歯が伸びていく。

上顎も下顎も、鋭く長く、まるで獣のように――

だがそこにあったのは、飢えではない。ただ、彼女の赦しに応える“覚悟”だった。


そして、僕はそっと牙を沈めた。


皮膚を破る感触と共に、温かな血が舌に触れる。

それは、かつて知ったどんな味よりも深く、どこまでも優しかった。


彼女の鼓動が、僕の内側に流れ込んでくる――

まるで、生きろと願われているように。


胸の奥で、何かが弾けた。

消えかけていた鼓動が、微かに脈を打つ。


“生きたい”と願ったわけじゃない。

“死にたくない”と泣き叫んだわけでもない。

ただ――この温もりが、あまりにも懐かしくて、あまりにも――救いだった。


最後にもう一度、彼女の名を、声にならぬ声で呟く。


「……頂きます。」


**


そして、世界が反転する。



**


溢れる。

脈打つ。

全身の隅々まで――それが満ちていく。


それは命ではなかった。

それは、祝福ではなかった。


――呪いだった。


**


焼け爛れた肉体が音もなく再生していく。

骨が軋みを上げて組み直され、筋肉がひとりでに盛り上がっていく。

焦げた皮膚は剥がれ、血の気を取り戻した白い肌が露わになっていく。


けれど、それは“人の形”をなぞっただけの何か。

肉体の再生ではなく、構造そのものの“作り替”だった。


**



目が深紅に染まり、夜そのものの輝きを湛える。

視界が鮮明になりすぎて、世界が異様にゆっくりと見える。

空気の振動、音の波、セレナの脈打つ鼓動――

すべてが肌に、骨に、魂にまで突き刺さる。


**


そして、髪が揺れた。


もともと黒だった髪は、音もなく、滑らかに――

まるで雪が落ちるように白く染まっていく。


それは死の象徴。

けれど同時に、夜を統べる者の印。


かつて僕を包んだ“光”とはまったく異なる、

静かで、冷たく、どこまでも深い――“闇の力”。


**


「……これは……」


呟いた声は、自分のものとは思えなかった。

低く、冷たく、内側で反響するような響き。

言葉ですら、もはや“生者の声”ではなかった。


**


「貴方は……なったのね……」


セレナの声が震えていた。

それでも、そこに恐れはなかった。


すべてを受け入れた人の顔で


**


僕は――感じていた。


胸の奥に渦巻く、かつてないほどの“力”。

それは熱ではなく、冷気のような静けさを持っていた。


怒りも悲しみも、すべてを凍てつかせるような、深い力。


それは、誰かに与えられたものではない。

僕自身が“選び、背負った結果”として、この身に刻まれた進化だった。


**


「『吸血鬼ヴァンパイア』に――」


呟いたその言葉は、祝福でも呪詛でもない。

ただ――始まりを告げるためのものだった。


**


“死”の先にあったのは、“終わり”ではなかった。


生きながら死に、死にながらなお生きる――

そんな存在として、僕はここに立ち上がる。


この力で、あの日の正義に、終止符を打つために。


この力で――もう一度、彼女に誓うために。


**


そして、“夜”が静かに始まった。


ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。


この物語は、“孤独”や“赦し”と向き合いながら歩く少年の旅です。

ただの冒険譚ではなく、痛みや迷いを抱えた人の心に、何か一滴でも届くようにと願いを込めて綴っています。


感想や評価、ブックマーク――それら一つひとつが、

この物語を紡ぎ続けるための灯になります。

よろしければ、あなたの“痕跡”を残していただけたら、とても励みになります。


今はまだ夜の途中。

それでも、空を見上げる瞬間が、いつか訪れると信じて。


――また、次のページでお会いしましょう

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
Xでご紹介有難うございます。 心までは怪物にならないと足掻いてきた結果の吸血鬼。これは新たな再生か、それとも絶望への幕開けか。エンドさんの行く末が気になります。 応援☆しました。これからも頑張ってくだ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ