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《エンド : 夜を継ぐ者 ― 孤独と赦しの果てに》  作者: you
Chapter V: Throne of the Forsaken
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第87話 ひとりにしない

 エリシアの体が崩れ落ちたあの瞬間――

 世界から“音”が消えた気がした。


 ノイは動けなかった。

 膝が震えて、ただその場に立ち尽くしていた。


 視線の先にあるのは――

“母だったもの”。


 けれどそこには、もう“母親”の気配はなかった。

 あったのは、ただ一人の吸血鬼としての“敵”。


 **


(僕は……今、本当に……母さんを……)


 喉の奥が焼けるように熱い。

 息が詰まりそうだ。


 目の奥が痛むのは、戦いの疲れのせいじゃない。


 **


「ノイ……」

 エンドの声が、背中越しに届く。


 けれど、ノイは振り向けなかった。


 **


(あの人は、僕を“子供”として見ていなかった)

(でも、僕は……あの人を、“母”として見てた)


 たとえ言葉が冷たくても。

 たとえ心が離れていても。


 ほんの少し、どこかに、“あの人が戻ってくる可能性”を――

“母親に戻ってくれる可能性”を、信じていた自分がいた。


 **


「……バカだな、僕……」


 声にならない声が、喉で崩れる。


 歯を食いしばって、泣くまいとする。

 でも、肩が震えていた。


 剣を振るったのは自分だ。

 引き金を引いたのは、自分だ。


 赦されることのない選択を、自ら下した。


 それでも――


 **


「母さん……ありがとうなんて……言わないよ」


「でも、さよならは……言わせて」


「さようなら、“僕の母さん”」


 **


 空を仰ぐ。

 夜の闇はどこまでも深く、静かだった。


 けれど、ノイの中ではずっと、血の記憶が燃え続けていた。


 ――それは、少年が“ヒーロー”へと進むために背負った、

 最初の“喪失”だった






 セレナがドイツ・バイエルンの森に到着したのは、すでに“戦いの終焉”を迎えた数時間後のことだった。


 ノイシュヴァンシュタイン城の尖塔には、まだ薄く煙が残っていた。

 地面は抉れ、魔力の余韻がうっすらと漂っている。


 だがそこに、“主”の気配はなかった。


「……遅かったか」


 セレナは、ひとり呟いた。


 足元に崩れた石の上には、乾きかけた鮮血の跡。

 壁に刺さったままの赤黒い剣の欠片。

 そして――


「これは、“血剣”……?」


 その形状に見覚えがあった。

“赦し”とも“咎”とも違う――第三の刃、“決”に酷似した残滓。


 彼の力。

 彼の気配。

 彼の戦いの痕跡。


 セレナは息を呑む。


(……先を越された)


「子爵級吸血鬼――それも、単独で?」


 その難易度は、騎士団の中でも最上級に位置する討伐任務。

 それを誰が、どうやって……?


(……そんなこと、できる人間は限られている)


(まさか、エンド……)


(あなた、本当に――生きてたの?)


 胸の奥で何かが強く揺れた。

 生きていてほしいと願いながらも、もし生きているのなら、なぜ自分の前に現れてくれないのか。


 すれ違いの記憶が疼く。


 そのとき、部下の騎士が駆け寄ってきた。


「セレナ様、現地では民間人の避難が完了しております。付近の証言者情報もヴァチカン本部に集約されています」


「……分かった。1度戻るわ」


 そう告げて彼女は振り返る。

 その瞳は、どこか遠く――夜を仰ぐような色をしていた。


 **


 ヴァチカン本部・中央記録室。


 冷たい光の差し込む閲覧室で、セレナは一人、魔王討伐地の記録ファイルをめくっていた。


 数々の報告書の中に、ひときわ異質な“証言”が残されていた。


 民間人の目撃談。


 それは、ノイシュヴァンシュタインの近隣村の少女の言葉だった。


『仮面の男が、崩れる城の中から出てきて……誰にも気づかれないように歩いてたんです』

『私、怖くて声かけられなかったけど――でも、あの人はこう言ってた』


『“赦されなくても、俺は進む”って』


 その一文を見た瞬間――


 セレナの指が止まった。


 そして、震えた。


 手にしていた書類がわずかに揺れ、思わず胸元に抱きしめてしまう。


 心臓が、音を立てて跳ねた。


「……あなた、なのね」


(どうして……)


(どうして、私の前に現れてくれないの?)


 セレナは、静まり返った記録室の中で、胸元に抱えた報告書を見つめていた。

 そこに綴られていた言葉――「赦されなくても、俺は進む」。

 それはまるで、彼の“決意”が言葉になったようなものだった。


(私が……怖かった?)


(それとも、私がもう“光”の側にいるから?)


 彼女の瞳が伏せられる。長い睫毛が、震えるように影を落とした。


(でも、違う……)


(貴方は、きっと――)


 指が、そっと胸元を押さえる。


(……きっと、“私に被害が及ばないように”って、それだけの理由で)


(だから、一人で全部背負って)


(だから、私を巻き込まないように、何も言わずに――)


「……バカ」


 唇から零れた言葉は、怒りではなく、哀しみに近かった。


(そんなの、誰も幸せにならないのに)


(私が、どれだけ貴方のことを想っていたかなんて――気づいてないんだ)


(一緒にいたかった。側にいたかった。たとえ夜の中でも、私は……)


(“一人にしない”って、誓ったのに)


 再び彼の言葉が、胸の奥に蘇る。


『赦されなくても、俺は進む』


 その“覚悟”が、どれほど痛みに満ちていたのか。

 どれほど孤独に満ちていたのか。


 それがわかってしまうからこそ、セレナの心は軋んだ。


「……そんな理由で、私から離れたのなら――」


 小さく息を呑む。


「……貴方の優しさは、誰よりも残酷だわ」


 静かに、机の上に書類を置いた。

 まるで何かに別れを告げるように。


 だが――それでも、彼女の中で“消えない想い”があった。


(私が、貴方を見つける)


(そして今度こそ、もう二度と、ひとりにさせない)


(――たとえ、赦されなくても)


 その瞳は、決意の光を宿していた。

 それは“聖騎士パラディン”のものではなく――ただ、一人の少女としての“祈り”だった。


 彼の“夜”に、必ず辿り着くために


 ――そして、“赦されぬ者たち”は、それぞれの祈りを胸に、再び歩き出す。

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