第83話 仮面に走るひび
森の深奥で発見された魔王《黙王》は、“音”そのものを封殺する力を持っていた。
空気が凍りつくような沈黙の中、配下の魔物たちは音もなく忍び寄る。
「ノイ、任せるぞ」
エンドが指先で影を払うと同時に、ノイが一歩前に出る。
「……この静けさ、逆にやりやすいです」
膝を折る構え――掴む者の姿勢。
ノイの右目が光る。
瞬間、魔物たちの配置が一瞬で反転し、互いの攻撃が味方に命中する。
「位置を“返す”。それが僕のやり方です」
続けざまに、左目が輝く。
引力が発動し、密集した敵ごとサイレントロードを自分の元へ吸い寄せる。
その中心に、血の棘が放たれる。
「貫通します、覚悟を」
紅の十字が森を裂き、魔王の体を真っ二つにした。
次に現れたのは、図書館跡地に拠点を構えた魔王《夢獣王》。
すべての侵入者を“幻”に閉じ込め、永遠の夢に沈める力を持っていた。
「へぇ……面白いじゃない」
ネムは幻に囚われたフリをしながら、自身の毒素で幻影の構造を破壊していく。
「夢? そんなもん、悪夢に変えてあげる」
無数の魔物たちが現実と幻想の狭間をさまよう中、ネムの毒霧が脳を麻痺させ、肉体だけを崩壊させていく。
「おやすみ。二度と起きなくていいわ」
夢の中の魔王に、眠りの死が訪れる。
断崖地帯で迎え撃ったのは、音波を利用した咆哮で物質を破壊する魔王《吼王》。
その咆哮で岩を粉砕し、空気を震わせる異形。
「……うるさいのは、嫌いなんだよ」
ルアンは低く呟いた。
次の瞬間、脚が地を割り、咆哮の方向に突撃する。
拳が振るわれた瞬間、吼王の顎が吹き飛んだ。
「喉元潰せば、吠えられねぇだろ?」
そのまま背後に回り、首を両腕で締め上げ――
「黙れ」
ボキリと、骨の軋む音がした。
最後に現れたのは、墓所を支配する魔王《屍王》。生と死の狭間に自らを置き、永遠の死を求めながら生きていた。
「貴様……何者だ?」
「“夜の王”だ」
エンドの声が冷たく響く。
「貴様の“死”は、俺が与える」
咎と赦しの刃が交錯し、“決”が喉元に突き立つ。
「死は贖いだと思うな。これは“罰”だ」
“血の五月雨”が再び空を覆う。
赤き雨が墓を濡らし、“死にたい”と願った魔王は、何も言えぬまま絶命した。
静寂が戻った戦場には、血と土の匂いがわずかに残っていた。
“夜の王”と呼ばれる存在――エンドは、斃れた魔王の亡骸を見下ろしていた。だがその眼差しには、勝利の余韻も、高揚もなかった。
ただ、空虚だけがあった。
風が吹いた。
仲間たちは、既に後処理に向かっていた。
ルアンは死体を焼き、ネムは毒の霧を消し、ノイは遠くで次の気配を探っている。
誰も、彼の背を見ていなかった。
いや、見ていても――“その奥”は、誰にも見えていなかった。
「……終わったな」
誰にも届かない独白だった。
返事を求めるつもりもなかった。
視線を落とす。
血に濡れた足元には、まだ消えきらない敵の断末魔の影が残っていた。
「これで、また“正義”が救われるな」
仮面の下で、ふっと笑った。
――けれど、それは笑顔ではなかった。
皮肉でも、達成感でもない。
痛みに慣れた者が、ただ、何も感じぬふりをしているだけの“無”だった。
戦いを終えた帰り道――焼け焦げた草原に、まだ熱が残っている。風が吹けば灰が舞い、沈黙が続く。
その静寂を、引き裂くように声が飛んだ。
「――エンド!」
背後から、叫ぶような声。振り返る前に、その声が誰のものか、エンドはもう分かっていた。
「僕...俺と戦えよ……エンド!!」
仮面をつけたノイが、駆けてきた。足音が荒い。息が荒い。いつものように尊敬を込めた眼差しではない。
怒りと――痛みと、絶望の混ざった目だった。
「いつまで一人で背負うつもりだよ……!」
「俺たちがいるだろ!何のために、俺が……!ルアンが……ネムが……あんたの後ろにいると思ってんだよ!」
ノイの魔眼が光る。
エンドは身構えない。いや、構えすら捨てていた。
次の瞬間、空間が歪み――エンドの身体がノイの目の前へと引き寄せられる。
「うおぉぉぉッ!!」
――バシィッ!!
ノイの拳が、思い切り頬に突き刺さった。
仮面が軋み、赤い飛沫が散る。
それでもエンドは倒れない。よろめいて、ただ立っていた。
「反撃しろよ!!」
再び拳。
「……何で、何も言わないんだよ!!」
また一発。
「ずっと見てたんだぞ……!ずっと、憧れてたんだぞ……!!」
三発目、四発目。
エンドはされるがまま殴られていた。
痛みを感じていないわけじゃない。だが、それを「受けること」さえ、もう彼には意味を失っていた。
「この夜の中で、ずっとヒーローでいてくれたろ!」
「なのに何でだよ、何で俺達を突き放すんだよ……!」
ノイの拳が、仮面を叩き割るように振るわれる。
「お前の強さが孤独でも、いいよ!」
「でも!後ろにいる俺たちを――“いなかったこと”にすんなよ!!」
胸ぐらを掴む。
至近距離で叫ぶ。
「……お前の中にヒーローがいなくても、いいんだよ」
ノイの目から、涙が零れる。
「だから俺がなるって言ってんだよ……お前の、ヒーローに……!」
そして、最後に。
――バシッ!!
もう一度、拳を振り抜く。今度は渾身の一発。
エンドの身体がよろめき、地面に膝をつく。
仮面の隙間から、血がぽたぽたと落ちた。
そして、沈黙の中――
「……すまん」
その声は、途切れ途切れだった。
言葉じゃなかった。泣き声でもなかった。
“崩れかけた心”が、ようやく震えた音だった。
ノイは拳を下ろした。
怒りも、悲しみも、全部握りしめたその手が、わずかに震えていた。
「……やっと言った」
その一言に、沈黙が降りた。
風が吹く。
灰が舞い上がり、二人の影がゆっくりと重なる。
その夜――
誰よりも孤独だった男の“仮面”に、初めて、ひびが入った。




