第72話 正義が全てを奪う夜
セレナは、微かな違和感で目を覚ました。
隣にあったはずの気配が――ない。
「……エンド?」
低く呟きながら身を起こし、あたりを見渡す。
だが、そこに彼の姿はなかった。
「エンド……?」
嫌な予感がした。
毛布をめくり、ベッドから飛び出すように立ち上がる。
室内をざっと見回して――すぐに窓辺へ駆け寄った。
「……ッ!」
その目に映ったのは、遠く、山の向こうで爆ぜる“光”だった。
――夜にあるまじき、あまりにも眩い光。
それは、ただの光ではない。“あの男”が放つ裁きの炎。
ヴィザの“陽”だと、セレナにはすぐに分かった。
「まさか……エンド……!」
血の気が引いた。
次の瞬間、彼女は外套も羽織らずに宿を飛び出す。
夜気が肌を刺すほど冷たかったが、そんなものは今の彼女には関係なかった。
「エンド……エンド!!」
叫びながら、光の方角へ走る。
そして――彼女の身体がふわりと宙に舞った。
眩い光粒が、セレナの全身を包むように舞い上がる。
「お願い、間に合って……!!」
彼女は自らの身を“光”へと変える。
純粋なる光の粒子となり、空を駆ける。
――その先に、彼がいる。
たとえそこが地獄の淵だとしても、彼女は飛び込むつもりだった。
たとえ、その光の先が――“断罪”の果てだったとしても。
夜空を裂く一筋の光が、戦場へと走る。
それはまるで、祈りの矢のように。
セレナの想いが、風を切って彼のもとへ向かっていた。
だが、光の中を駆け抜け、ようやく辿り着いたその場所で――
セレナが目にしたのは、あまりにも残酷な現実だった。
「……っ」
焼け焦げた大地の中央。
そこに“彼”の姿はなかった。
ただ、かすかに燻る黒灰と、仮面の一部が風に舞っているだけだった。
太陽に灼かれ、命ごと“塵”にされたエンド。
その名残すら、風にさらわれようとしていた。
「うそ……」
膝が崩れた。
その場にへたり込み、何かを否定するように首を振る。
「嘘でしょ……なんで……」
言葉が、呼吸が、感情が、バラバラに溢れて止まらない。
「何故……!? どうして……!?」
その声は、地面に届くようなかすれ声だった。
「……セレナ」
かすれた声に反応して振り返ると、ライアンが肩をシリルに貸されながら近づいてきた。
その姿は、全身ボロボロで、戦いの痕が刻まれていた。
「……ライアン」
セレナの瞳が揺れる。
「――何故?」
その声には、怒りと、悲しみと、崩れかけた信念が宿っていた。
「エンドは……何かしたの!? 誰かを殺した!? 何かを壊した!?」
立ち上がり、叫ぶ。
「誰も……誰一人として、傷つけてない! それでも、あなたたちは……“化け物”だと決めつけて、勝手に被害妄想して、エンドを――!」
叫びが、空気を震わせる。
「――あなたと違って、生者を殺したりなんか、してないッ!!」
「そして、吸血鬼でありながら1番人間味があった...」
その一言が、ライアンの胸に深く突き刺さった。
「ぐっ……!」
彼は表情を歪め、何も言い返せずに、ただ苦しげに唇を噛み締めた。
静寂が訪れる。
そこへ――
「……セレナ」
その名を呼ぶ、重く、荘厳な声。
振り向くと、白き光を背に纏った男――ヴィザが、無言で彼女を見下ろしていた。
「……ヴィザ様……」
「貴方には、ヴァチカンへ戻ってもらいます」
その言葉は、“命令”だった。
「これは三賢者からの正式な通達です」
セレナの瞳が細くなる。
「……もう、私の信じる“正義”はどこにもありません」
そう呟くように言ったセレナの声には、これまでになく深い哀しみが宿っていた。
「“正義”は、ただ一人の“夜”を焼き殺した」
「貴方には、“世界”のために――光になってもらいます」
ヴィザは静かに、だが抗えぬ重さで言った。
「貴方の光は、これからの秩序にとって欠かせない。私情を捨てなさい。貴方には、選ばれし者としての“義務”がある」
セレナは何も答えなかった。
セレナは俯いたまま、小さく拳を握った。
みたいなやつ。
風が吹く。彼女の銀の髪が、彼が残した塵の上で静かに揺れていた。
その中で、心の奥で、何かが確かに――音もなく崩れていった。
それは“信じていたもの”か、“愛したもの”か。
あるいは、自分自身か――その瞬間、彼女はまだ知らなかった。




