第71話 正義の終着
「はっ……はっ……」
ライアンは肩で息をしていた。
血の針が深く肉を裂き、左の太腿からはじわじわと鮮血が滲んでいた。だが、それでも眼光は衰えていない。いや、逆に研ぎ澄まされていた。
「……お前は……生者を殺した。無垢な人間をだ」
エンドの言葉には、怒りと――微かな、哀しみが滲んでいた。
「俺はただ……罰を下してやっただけだ」
剣を地面に突き立て、膝をつきながらも、ライアンの手が光を掴む。
「《光断流閃〈こうだんりゅうせん〉》!」
剣の周囲に淡く光が宿る。細い剣気が数本、雷のように空を裂いて伸びる。セレナの“光の奇跡”のような純粋さこそないが、それは研ぎ澄まされた技術と経験による、実戦の剣閃だった。
「チッ……!」
エンドは素早く身を翻し、地を滑るように後退する。
しかし、一条の閃光が肩をかすめ、仮面に赤い線が走る。
ライアンの技は、セレナの“光”ほど神々しさはない。
けれど、彼は騎士として、闇に堕ちた友を討つ“決意”だけで立っていた。
「お前の“赦し”なんて、ただの独りよがりだ!」
再び構えを取りながら、ライアンが叫ぶ。
「……正義を、殺すなッ!」
そして、地を蹴る。
だが、その動きには少しだけ迷いがあった。
彼の剣が誰かのためではなく、もはや“自分を証明するため”のものになっていたことに、気づいていないまま――
エンドは、静かに一歩、踏み込んだ。
「じゃあその正義、今ここで試してみろよ」
空気が震えた。
「うおおおッ!!」
ライアンが吠えるように地を蹴る。
エンドもすぐさま応じる。“咎”と“赦し”の双剣を交差させるように構え、一気に距離を詰める。
ガキィィィンッ!!
二本の刃と一本の剣が、火花を散らし激突した。
地面が揺れ、風が弾ける。その中心で、互いの目が交差していた。
ライアンの剣は重い。鍛えられた騎士の膂力に裏打ちされた、直線的で無駄のない一撃。しかし――エンドはそれを斜めに受け流し、体をひねると同時に、背中から回り込むように“咎”を振るう。
「っ……!」
ライアンは即座に反転、刃の軌道を読んで剣を戻す。
間一髪で受け止める。
だが、そこに“赦し”が続けて突き出される。
「バン」
距離を取らせない――その一言と共に、至近距離から放たれた血の弾丸がライアンの顔面へと迫る。
「煌刃ッ!!」
咄嗟に剣を光らせ、回転させるように払う。
斬撃と共に弾丸は弾かれるが、光の中で一条の“爪痕”が仮面のすぐ横をかすめる。
(速い……こいつ、前より遥かに……)
ライアンが後退しようとした刹那、エンドの脚が彼の脇にめり込むように蹴りを叩き込む。
「ぐぅっ……!!」
体が浮くほどの衝撃。
だが、ライアンは空中で一回転しながら地面に足をつけ、姿勢を崩さずに剣を振るう。
「光断流閃!!」
空気を裂く閃光が連続して走る。5本、6本、7本――
だが、エンドはそれをすべて読み切っていた。
「遅いよ、ライアン」
影と霧の境界線を舞うように、彼は光の軌道を滑るようにすり抜ける。
(こいつ……人間の動きじゃねぇ)
ライアンの脳裏に、一瞬、恐怖が走る。
だが――それでも剣を握るのをやめなかった。
「俺は“光滅騎士団”の騎士だ……!」
彼の剣に再び光が宿る。今度は、踏み込みと共に放たれる一閃。
「斬光――!」
斬撃が、エンドの胸元を穿たんと走る――
だがその瞬間、エンドの“赦し”が、斬撃を内側から裂くように放たれた。
ガギィィィン――!!
剣が弾け、金属の悲鳴と共にライアンの腕が大きく仰け反る。
そこを逃さず、エンドの“咎”が下から突き上げるように迫る。
「ぐっ……!!」
ライアンは肘で無理やり受ける。血が飛ぶ。痛みが走る。
だが、それでもまだ立っていた。
「お前にだけは……負けられねぇッ!!」
「俺はもう、誰にも勝とうとしてない。ただ、立ち塞がるものを斬ってるだけだ」
エンドの瞳は、紅の中に静けさを宿していた。
――再び、剣が交差する。
戦場の空気が赤く染まり、夏の巡礼地に“正義”と“夜”の本当の意味が刻まれようとしていた。
「はっ……はっ……!」
ライアンはもはや、立っているのが奇跡だった。
血に濡れた騎士服は破れ、肩口には深い裂傷、左脚は引きずるように動かすのがやっと。何発の血の弾丸を受けたのか、何度地に叩きつけられたのか――もう数えることすらできない。
それでも、彼の眼だけは消えていなかった。
「……やっぱりお前は、“化け物”だよ……」
呻くように呟きながら、地面に片膝をつく。
エンドは静かに彼を見下ろしていた。
「なら……倒れろよ、ライアン。もう終わりにしよう」
「うるせぇよ……俺は、俺はまだ……!」
ライアンの手が、最後の力を振り絞るように剣を握り直す。
「――“正義”を信じてるんだッ!!!」
その叫びと同時に、光が爆ぜた。
刃に宿るのは、もはや奇跡ではなかった。
信仰でもなければ祝福でもない――それは、騎士としての“執念”が形を成した《断閃》だった。
ライアンの身体が、爆ぜるように加速する。
「《終閃・光絶斬〈しゅうせん・こうぜつざん〉》――!!」
空気が張り詰める中、ライアンの身体が閃光を引きながら加速する。
「……ッ!」
エンドも即座に反応、“咎”で迎撃に出る。
だが――間に合わなかった。
ライアンの剣が、“咎”のガードをすり抜け、エンドの胸部を大きく抉った。
「がっ……!」
鋭く、深く。切り裂かれた胸元から、鮮血が噴き出す。
だが、攻撃はそれだけでは終わらない。
なおも突進を止めないライアンが、回転と共に刃を返す。
「……ッ!」
腹部へ横薙ぎの斬撃。
エンドの体が再び弾けるように吹き飛んだ。背中から地面に叩きつけられ、石畳が砕け、血が霧のように舞った。
呻くように立ち上がる――その顔には、仮面越しでもわかるほどの苦悶が滲んでいた。
「ぐ……はっ……」
息を吐くたび、口の端から赤がこぼれる。
左肩が動かない。内臓にも裂傷が届いたのか、呼吸のたびに痛みが胸を貫いていた。
それでも――
「……まだだ……」
エンドは震える手で“赦し”を握り直す。
だが、その足取りは確かに鈍っていた。
ライアンの一撃は、“傷”ではなく、“限界”そのものを突き崩していた。
――このままでは立っていることすら、もう長くはもたない。
全てを出したライアンは膝が崩れ、片手で地面を支えた。
その姿は、もはや立ち上がる力すら残されていないことを物語っていた。
その夜、戦場に“太陽”が落ちた。
山岳の巡礼地――血に染まったその地に、突如として“光の神威”が降臨した。
ヴィザ。
太陽の化身と呼ばれた男が、その身に“白炎”を纏いながら現れた瞬間、大地の空気が一変した。
「……やはり強いですな、君は」
彼は、静かに語りかけるようにそう言った。
エンドの身体はすでに限界だった。ライアンとの激戦で肉体は深く裂かれ、左腕には力が入らない。肺から血が滲み、意識も霞んでいた。
だが――その足は、まだ折れていない。
「その強さ、その理想、その憎しみ……すべてが“脅威”となる」
ヴィザの目は揺るがなかった。
「だからこそ、私は命を削る。これは“選ばれし者”の責務――」
白銀の剣を掲げ、彼は叫んだ。
「――陽審の剣!」
その瞬間、剣先に“太陽”が宿った。
いや――本当に、太陽が降りてきたかのようだった。
眩く、膨大で、逃れられぬ密度の光。
その中心に宿るのは、“世界の裁き”の意志。
――これが、ヴィザが“英雄”と呼ばれるに至った所以。
この一撃で滅ぼしてきたものは数知れない。
そして今、その光は――エンドを照らす。
「……!」
エンドは即座に影へと沈もうとする。
それが彼の“生き延びる”術だった。闇に溶け、すべてをかわす。
だが――太陽は影すらも許さない。
ヴィザの剣が振るわれた瞬間、巡礼の地の影という影が、焼き焦がされていく。
「……な……っ」
逃げ場などない。
光が、影をも呑み込み――
その刹那。
エンドの身体が、光に包まれた。
“命”が、“形”ごと灼かれていく。
「この光の先に、未来を……!」
ヴィザの叫びが、雷鳴のように山々に反響する。
彼の背には、“死”が刻まれていた。
病に侵された身体――剣を振るうその肉体は、既に限界を超えていた。
だが、それでも。
“断罪の刃”は、英雄の名の下に振り下ろされる。
光の奔流に呑まれ、エンドの姿は、太陽の“塵”と化して――
巡礼の地に、沈黙が訪れた。
それは、誰にも踏み込ませぬ“聖域”のような静けさだった。
――そして、夜が終わった。
この戦いに“勝者”などいない。
ただひとつ確かなのは――あのままヴィザが現れなければ、
“正義”は、その夜で終わっていた。




