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63話 春の果て、夜の始まり

 ――あの日、春は終わった。


 戦いの火が消え、風が乾き、血の香りだけが微かに残っていた。

 それは季節の終わりではなく、“在り方”の終焉だった。


 俺たちは背中に夜を、胸に光を抱えて――歩き出した。


 そこから始まった、終わりなき旅。


 


 


 ――緑に沈む国境の村で、俺は名もなき少女の骸を抱いた。


 その眼は、誰にも看取られなかった希望の色をしていた。


 顔も名も知らないその子は、静かに目を閉じていた。

 焼け落ちた村の片隅で、ただひとつ残った花のそばに倒れて。


 セレナは黙って祈りを捧げ、俺は何も言えなかった。


 彼女の手のひらが土を撫でた時、少しだけ春の匂いがした。

 それが、今年最後の春だった。


 


 ――雪に閉ざされた谷で、獣の軍勢とすれ違った。


 牙を剥かれたら終わりだ。けれど、その日はただ、腹をすかせた彼らが俺たちを見送っただけだった。


“殺さなかった”という事実が、むしろ胸を抉った。


 敵でさえも、もう戦いたくなかったのかもしれない。

 この旅路のどこかで、誰もが疲れ果てていた。


 


 ――山間の炭鉱跡で、互い助け合って生き延びた夜。


 冷えた水、崩れかけた坑道、焼けた鍋の中身すら貴重だった。


 熱に浮かされたセレナが、夢と現の間で俺の名を呼んだ。


 その声に、俺は息を止めて耳を澄ませた。

 名を呼ばれることが、これほどまでに“生”を繋ぐのだと、あの時初めて知った。


 


 道中、何度も死にかけた。


 何度も喪った。


 何度も、もう終わりだと思った。


 それでも、止まることはなかった。


 セレナがいた。

 光があった。

 そして、俺には――夜があった。


 世界から背を向けても、生き延びる意味がそこにあった。


 


 それらを重ねて、削って、編んで、俺たちはようやくここにたどり着いた。


 スイス。


 ヴァチカンの影が最も濃い地にして、“光”の中枢。


 世界の“祈り”が集中する国――その背後に潜む“影”を暴くために。


 信仰と理性、恩寵と断罪。

 あらゆる“正義”が交差するこの場所で、俺たちはまた――選ばされる。


 


 山々はすでに雪を脱ぎ捨てていたが、冷たさだけは残っていた。

 冬の断末魔が、春の外套に隠れたまま蠢いていた。


 俺たちは今、国境を越える峠道の途中にいる。


 乾いた風が頬を撫でる。遠くで教会の鐘が、微かに揺れていた。


 鐘の音は祈りか、それとも警告か。


 それすら分からなくなった俺たちは、ただ前を見つめていた。


 


 この二年の旅は、終わりではない。


 ここからが、本当の始まりだ。


 


 そして今、俺たちはまた、選ばされる。


 光の剣か、影の刃か。


 誰かのために振るうのか、それとも、自分自身のために抜くのか。


 


 それでも構わない。


 なぜなら――この二年で、俺は知った。


 たとえそれが、夜の果てであろうとも。


 俺たちは、選び続ける。


 歩き続ける。


 その一歩の中に、かつて失ったものすべてを、少しずつ抱えながら。


 


 


 ――あの日から、春はもう来ていない。


 だが、この胸に、確かに残っている。


 あの夜、セレナと並んで歩き出した、


“はじまりの夜”の、あたたかさが。


 そして今――


 その“あたたかさ”こそが、俺たちの武器だ


 俺たちの歩みも、鐘の音の中へ溶けていく

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