表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
63/105

62話 その瞳は春を見送って

 乾いた風が、山脈の稜線を越えて吹き抜けていく。

 春の名残を残したその風は、日差しの温もりすら押し返すように、暖かさを運んできた。


 カムシャン連邦北部、国境近くの寂れた宿屋。

 その一室で、エンドとセレナは背を合わせるようにして、黙って外を見つめていた。


 エンドは仮面を外していた。

 宿の壁に立てかけられたままの黒い面は、静かに彼の背中を見守っている。


 今の彼に必要なのは、“隠す”ことではなく――“見据える”ことだった。

 淡い朝の光が窓から差し込み、頬に落ちる。

 その目元に刻まれた疲労と覚悟は、仮面よりもずっと重い“生の証”だった。


「エンド……」

 セレナが、静かに口を開く。


 彼女の声には、わずかな迷いと、それ以上の決意が混ざっていた。


「中央ヨーロッパから来た旅人が……“スイス近辺で魔眼を見た”って」


「……魔眼?」

 エンドの声が低く響く。


「詳しくは聞けなかったけど……今までの魔眼より、ずっと強力だったらしい。真偽は不明。でも、“これまでのものとは違う”って、そう言ってた」


「……スイスか」

 エンドは口元でその名を繰り返す。


 地図でいえば、カムシャンの北西。

 ヴァチカンの守護国にして、“神の盾”と称される中立国家。


「ヴァチカンの目がある。下手に動けば、奴らに感づかれるぞ」


「分かってる。でも、それでも……行く価値はあると思う」


 セレナは断言した。

 目を逸らすことなく、真っ直ぐにエンドを見つめながら。


「魔眼は、吸血鬼の特異能力。“選ばれた者”にだけ現れる、異形の力。……それを追えば、何かが分かるかもしれない」


「……長い旅になるな」


 エンドが、空を見上げながら言った。

 その声は、どこか遠くを見つめているようだった。

 新たな敵、新たな地、そして“まだ見ぬ答え”を求める、終わりなき旅路。


 傍らのセレナは、わずかに肩をすくめて、口元だけで微笑む。


「……いつものこと、でしょ?」


 その声音に迷いはなかった。

 旅に疲れた素振りも、覚悟の重さを語ることもない。

 ただ、そこに“在る”ように、自然に返した言葉。


 けれど――胸の奥では、静かに強く、想いが燃えていた。


(老師……あなたは、私に剣を教えてくれた。

 光の道を示してくれた。

 幼い私に“力”の意味を教えてくれた、唯一の人……)


 ヴァチカンの聖騎士。“太陽の化身”と称される男。

 その側に立つことが、誇りであり、すべてだった。


(でも……)


 視線の先には、エンドの横顔があった。


 闇を背負い、夜を歩き、血と痛みを引き連れて、それでも前へ進もうとする男。

 ただ守られるだけの光ではない――ともに歩む覚悟を宿す、夜の隣に立つ者。


(それでも私は、エンドの隣に立ちたい)


 それは裏切りではない。恩を忘れたのでもない。

 ただ、自分自身の意志が選んだ“答え”。


 誰かの剣ではなく、自分の手で振るう剣を、今――選んだ。


「……一緒に行くよ、エンド。どこまででも」


 セレナはそっと、その言葉を落とした。


 エンドは振り返らなかった。

 けれど、微かに――確かに、頷いたように見えた。


 風が吹いた。


 遠くの山々に雪が残る春の風。

 その中を、影と光がまた歩き出す。


 足取りは静かでも、確かだった。

 そしてその先には――まだ誰も知らない“選択”が、確かに待っていた。


 太陽が、雲間からゆっくりと顔を出した。


 その光はどこか寂しく、春の終わりを告げるように、地面をゆるやかに染めていく。

 咲き残った花の影をゆらしながら、光はふたりの背にそっと降り注ぐ。



 エンドの足元に伸びる黒い影と、セレナの背に宿る銀のきらめき。

 季節が切り替わるその狭間――ふたりの姿は、まるで**“見届けられている”**かのようだった。


 まるで――空の上から、“太陽の化身”が、ふたりを睨んでいるかのように。


(……ヴィザ老師)


 セレナはわずかに目を細め、空を仰いだ。

 光の先には誰もいないはずなのに、その視線が、確かに“在る”ような気がした。


 教えを受けた背中。

 ともに立った戦場。

 そして、今なお守り続ける“盾”としての覚悟。


(私は貴方の剣だった。……でも今は)


 セレナはそっと、エンドの隣に並び直す。

 その歩幅に、躊躇はない。


 太陽は沈まない。

 それでも、光に照らされるこの背は、もはや“守られる側”ではなかった。



 ――照らされながら、同じ歩幅で共に進む。


 それは、春を終えた者たちが向かう、“夜の先の微かな光”だった

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ