61話 光はなお、剣となりて
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――ヴァチカン、聖務庁地下第三執務室。
かつて神の代理人が歩いたとされるこの地に、今もなお聖なる威光の残滓が満ちている。壁には聖書の一節を描いたモザイク画。空気は冷たく乾いており、香の香りと、わずかな鉄の匂いが混ざっていた。
重厚な石造りの室内には、十字架と聖杯を象った装飾が並び、光を通さぬ窓には、外の現実と隔絶された静謐さがあった。
中央には一つの大きな机。その背後には、長く世界の闇を睨み続けてきた一人の老人がいた。
「ヴィザ様――“獣の王”が討たれました」
報告と共に、緊張した声が響く。報告を行ったのは、聖務庁情報部直属の第七審問官である。ヴァチカンが誇る諜報の精鋭。その男の声には、確かな動揺があった。
玉座に似た高背椅子に座っていた太陽の化身老騎士――騎士の最上位の名を与えられた男。聖騎士ヴィザは、喉の奥から激しく咳き込みながら、ゆっくりと顔を上げた。
「ゲホッ、ゲホ……そうか……若き魔王が……討たれたか……」
声は掠れ、胸を押さえるその手は痩せ細っていた。
しかしその目には、死期を覚悟した者だけが持つ、冷徹な光が宿っている。
「……他に報せは?」
審問官は一瞬言葉に詰まり、しかし静かに口を開いた。
「目撃情報が一つ――銀の光と、血の魔を纏う者。“吸血鬼”と“聖の剣”が、同時に現れたと……」
その瞬間、音を立てて立ち上がった男がいた。
「なに……!?」
怒りのような声とともに、机を強く叩いたのは――
ヴァチカン聖騎士団・上二級騎士、《光の剣》ライアン。
金の髪を短く切り揃え、白銀の礼装の下に戦装束を身にまとった若き騎士は、今やヴァチカン随一の実力者として名を馳せていた。だがその目は、信仰の炎ではなく、明らかな個人の“怒り”を帯びて燃えていた。
「セレナか……! あいつが……っ」
握りしめた拳が震える。
「……そして、あの時の“屍鬼”……セレナを誘惑しやがって……!」
言葉には嫉妬と怒りが混じっていた。
ヴィザはそんなライアンを見て、咳を抑えながら、静かに言葉を重ねた。
「もはやあの吸血鬼、驚異になろうとしている見過ごせないな」
「……ライアン。行けるか?」
「ええ。必ず――セレナを連れ戻します。そして……あの吸血鬼を斃します」
目を伏せ、剣の柄に手を添える。
それはまるで、祈りと呪詛を同時に込めた決意だった。
「……我々が次に警戒すべきは、彼らがカムシャン連邦から進行してくるルート……」
審問官が地図を広げる。
その指先が指し示すのは――中央ヨーロッパ、スイス。
「次の目的地はここ。“ヴァチカンの守備国”……スイスです」
ライアンの眉がぴくりと動いた。
「……スイス……」
「スイスは、カトリックの最高権威であるローマ教皇庁の伝統的守護国。神の代理人を守る“盾”の国であり、我々にとっても要の一角。奴らがそこに踏み込むのなら――もはや黙って見過ごすことはできません」
報告を終えた審問官が、静かに退いた。
部屋には再び、神聖で静かな気が満ちる。
その中で、ライアンは力強く答える。
「……俺が行きます」
「よろしい」
だがその時。
椅子に沈み込んでいたヴィザが、わずかに身体を起こした。
「……いざとなれば、私も出る」
「ヴィザ様――!」
ライアンが目を見開く。
「老師……それは……お体に障ります!」
「……それでも」
ヴィザの声には揺るぎがなかった。
「私は、“騎士”である前に――“盾”だ。ヴァチカンの光が脅かされるのなら……老いぼれであろうと、この命を燃やす覚悟くらいはある」
咳き込みながらも、ヴィザの背は真っ直ぐだった。
その姿は、もはや燃え尽きる寸前の焔――だが、その炎は未だ消えていなかった。
「……だが、今はお前に託そう、ライアン。セレナを連れ戻し、あの吸血鬼を討て」
「――了解しました」
騎士は深く一礼し、踵を返す。
扉の外へと歩み去るその背には、炎のような怒りと、凍てつくような決意が宿っていた。
“光の剣”は、いま再び抜かれた。
この剣は、ただ正義のためだけに振るわれるものではない。
愛ゆえに、怒りゆえに――“奪還”と“断罪”のために。
そして、戦いはすでに始まっていた。
その先で、“夜を継ぐ者”と“聖の後継”が、交わる日が近づいていることを、まだ誰も知らない




