表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/105

第55話 狐影を超えて

 ――その日、

 闇は静かに、影の中で呼吸していた。


 その影に潜む者がいた。

 その手に握られていたのは、“咎”と“赦し”の二本の刃。


 罪を裁き、赦しを選ぶ。

 それはまるで、暗殺者のような無言の誓いだった。


 静かに、門兵の背後に回る。

 影が吸い込まれるように延び――

 音もなく、命を断つ。


 死さえ気づかせないまま、ただ一閃。


 そのまま、廊下へと足を踏み入れた。

 どの足音も、どの吐息も、夜に溶ける。

 やがて、止まる。


 仮面を取り出し、ゆっくりと顔に当てる。

 それは“殺す覚悟”を纏う儀式だった。


「……終わらせに行くか」


 ギィィ……。


 扉が軋む音と同時に、冷たい空気が吹き抜ける。


 そして、その先に――


 待っていたかのように立つ、“王”。


 玉座に座っていたはずのライネルは、すでに立っていた。

 その全高は、見上げるほどに高く。

 漆黒のマントが大地に影を落とす。


(……立つとさらにデカいな)


 エンドがそう呟いた瞬間、ライネルが口を開いた。


「やはり……来たか」


 その声は低く、だが嘲るように響く。


「問おう。なぜ我に牙を剥く?

 貴様もまた、世界に興味があるのか?」


 だが、エンドは笑った。


「興味なんてねぇよ。

 ……お前がいると、俺に“あったかいラーメン”作ってくれる奴がいなくなるからだ」


 言葉と同時に――踏み込む。


 影が軋み、風が巻く。

“咎”の刃が、空間ごと切り裂くように閃いた。


 ライネルの腕を裂く。


 はずだった。


「……切った感覚がねぇ」


 その瞬間、ライネルが笑った。


「――戯言を」


 まるで羽虫でも払うかのように、腕を振り抜いた。


 その一撃は、剣ではない。爪でもない。

 ただの――“拳”。


 にもかかわらず。


 エンドは反射的に腕をクロスする。

 骨が砕ける直前、人狼の力を右腕に集中させる。


(っ……重い!)


 衝撃が全身に突き刺さる。

 壁に足がめり込み、床が軋む。


(それに……あの身体で、なんで“この速度”だ)


 巨躯に見合わぬスピード。

 質量と技術、両方を持ち合わせた、まさに“王の暴力”。


「“拳”が通るだけで、死ぬぞ?」


 ライネルが言う。

 その目は、まるで“試している”かのようだった。


「その“覚悟”――どこまで持つか、見せてみろ」


 


 仮面の奥で、エンドの赤い目がわずかに燃えた。


 次の瞬間、影が揺れる。


 ――渡る。


 ライネルの背後に、一閃の黒が現れる。


 そのまま、右腕を変化させる。

 人狼の血が宿った爪が、空気を裂いて振り下ろされる。


 ガリッ――。


 確かな手応え。

 分厚い肉の奥に、わずかに食い込んだ。


(……通った)


 しかし、すぐに獣が振り向いた。


 唸り声と共に放たれた反撃を、エンドは即座に霧へと変化しかわす。


 その体は宙を滑り――次の瞬間、足元へと滑り込む。


(狙いは――顎)


 顎を狙って跳び上がる。


 振り上げた人狼の腕が、風を裂き、まっすぐにライネルの顎を捉えた。


 ――ゴッ。


 鈍く、重い衝撃音。

 刃でも拳でもない、骨と骨がぶつかる音。

 巨躯の首がわずかに仰け反る。


「ぐっ……!」


 ライネルが低く唸った。


(……効いた!)


 エンドの目がわずかに細められる。

 王の皮膚は鉄よりも硬い。

 だが、急所ならわずかでも通る。

 そう、わずかでも。


 次の瞬間、ライネルの両腕が振り下ろされる。


 それは反撃ではなく、“制圧”。


(……っ!)


 エンドは跳ねるように後退するが――遅い。


 地面が砕け、衝撃波が広がる。

 巻き上がった破片がエンドの体を削る。


 影へ逃げようとした瞬間、床が崩れた。


(チッ……“読まれてる”)


 立て直す暇もなく、ライネルの足が地を踏み鳴らす。

 ただ歩いてくるだけなのに、圧が違う。


「お前の能力は、実に多彩だな」

 ライネルの声は、静かだった。

 だが、その足取りはまっすぐに、こちらへと向かっていた。


「影。霧。呪い。変化。そして、獣の力――」


 一歩、また一歩。

 まるで獲物にじわじわと迫るように。


「だが……そのどれもが、“深さ”に欠ける」


 次の瞬間、ライネルの腕が動く。


 速い――!


 咄嗟に“咎”の刃で受けるが、腕ごと弾き飛ばされた。

 鉄を叩いたような衝撃。

 全身の骨がきしむ。


(……くそ……俺が、押されてる)


 視界の端で、仮面がわずかに割れる。


 仮面の奥。

 赤い瞳が、わずかに焦りをにじませた。


(ここまでか――いや)


 足元の影が、わずかに脈打つ。


(まだ……手は、ある)


 


 だが、ライネルはそれすら見透かしていたように笑った。


「さあ、どうする?

 “牙”の一本や二本では、王は殺せんぞ」


 エンドは、影に沈みながら、僅かに口角を上げた。


「――だったら、全部で喰らってやるよ。

 牙も、影も、呪いも、全部使ってな」


 両の手を、ゆっくりと合わせる。


 その動きは静かで――まるで祈るようだった。


 だが、内に秘められたのは“祈り”ではなく“断罪”。


 エンドの掌の中心に、血が集まる。


 ただの血ではない。

 濃く、重く、黒ずむほどに濃縮されたそれは、

 体内から絞り出すように、強い“意志”で形成されたものだった。


(――削るんじゃない。貫くんじゃない。

 “裂く”……鉄すらも)


 圧力をかけていく。

 血が震える。

 熱を持つ。

 蠢き、唸り、殺気を帯びた液体が、まるで生き物のように鳴いた。


「……裂け」


 その一言と共に、掌が開かれる。


 ――シュウゥウッ!!


 刹那、空気が裂けた。


 細く鋭い血の刃が、音を超えて放たれる。

 まるでウォーターカッターのように、

 一点から放たれた血流が、空間ごと切り裂き、一直線に敵を穿つ。


 視界が赤に染まり、

 飛び散った血飛沫が――まるで霧のように宙を漂う。


 それは、まさに“紅の裁断”。


 ライネルの肩口を斜めに裂く。

 わずかだが、肉が削げ、皮膚が裂けた。


 一瞬、ライネルの動きが止まる。


 だが――


「ほう……面白い」


 次の瞬間、再び笑いが響いた。


 傷など、ものともせず。

 その巨体が、再び迫ってくる。


 だが、確かに。


 あの鉄のような肉に、初めて“明確な傷”が刻まれた。


 エンドの指先からは、まだ熱を帯びた血が、ポタリと一滴落ちていた。


 血の一閃を放った瞬間、エンドは迷いなく動いた。


(今しかない――!)


 足元に力を込める。


 右脚が、形を変える。

 獣の爪が蠢き、筋肉が隆起する。

 骨が軋み、肌が裂け――だが、それを痛みとすら感じていなかった。


 グールとしてのリミッターを外し、

 吸血鬼としての脚力を解放し――

 それはまるで、瞬間移動にも近い加速。


(右後ろ――裂けた肩口を“仕留める”)


 気配を断ち、風を裂く。

 音よりも速く、影よりも鋭く――

“咎”と“赦し”、両の刃が同時に閃く。


 だが。


 ――バゴォン!!


「ッ!?」


 衝撃が、先に来た。


 視界が歪み、身体が吹き飛ぶ。


「……なっ」


 叩きつけられる前に影で受け身を取ったが、体内に残った衝撃が喉まで這い上がる。


 ライネルは――振り向いてなどいなかった。


 ただ、右腕を上げていた。


 まるで、“そこに来ることなど当然”というように。


「一瞬の読みと、総力の出力……見事だ」


 重く、響く声。

 その口元に、またしても笑みが浮かぶ。


「だが、“見える刃”など、我には届かん」


 エンドの足元が揺れる。

 自らの一撃――“咎と赦し”を束ねた全力が、たった一撃で退けられた。


 それも、振り向きすらせず。


(……読まれてた。完全に)


 息が乱れる。

 仮面に亀裂が広がる。

 肩で息をする中、エンドの目は鋭さを失ってはいなかった。


 血が滲む手で、刃を再び握る。


 もっとスピードを上げろもっとだ


 ――空を刻む。


 影を蹴り、空中に跳ぶ。


 空中で軌道を変えながら、エンドは獣のように旋回する。

 刹那、左手の“赦”が一閃。間髪入れず右手の“咎”が追う。


 一撃。二撃。三撃――いや、すでに視線が追いつかない。


 残像が幾重にも重なり、空気が悲鳴を上げる。

 飛び散る血は斑模様となり、空中に紅の円が描かれる。


 その姿は、まるで刃の風車。

 美しく、そして――狂っていた。


 空中を紅が舞い、夜そのものを染め上げる。

 誰もが、それが勝利の印だと錯覚した。


「ッッ……!」


 わずかに効いた。


 ライネルの肩に、胸に、足に――薄く裂けた痕が浮かび、赤が滲む。


 だが。


「……それだけか?」


 低く、響く声。


「お前は美しい。だが――美しいだけの牙など、王に届かぬ」


 風が止まったかと思った瞬間――


 ライネルの巨腕が、音を置き去りにして振るわれた。


(――来る!)


 エンドは身を翻す。だが、間に合わない。

 その一撃は、もはや“振るう”という概念すら超えていた。


 視界が反転する。

 空気が弾け、肋骨がきしむ音が内側から響く。


 叩きつけられた壁が砕け、粉塵が舞う。


「ッ……!」


 喉の奥から、熱い血がこみ上げる。

 身体が重い。視界が二重にぶれる。


(この速さで、あのパワー……化け物かよ)


 立ち上がろうとするエンドに、ライネルの気配が迫る。

 一歩ごとに、床が軋む。

 その巨躯が、まっすぐに歩を進めてくる。


「速さは認めよう。斬撃も美しい」


 その目は笑っている。だが――その笑みは、見下ろす者のそれだった。


「だが、風を刻むだけでは……“王”には届かん」


 一瞬、空間が歪んだ。


 ライネルの足元に溜まっていた力が爆ぜ、

 重力すら跳ね上がるような踏み込み。


 その拳が、直撃する寸前。


「ッ……!」


 エンドは咄嗟に影へ沈み込む――


 だが、避けきれなかった。


 拳が地を抉り、

 その余波が空間を割り、影の中のエンドをも揺らす。


「お前は美しい。だが――美しいだけの牙など、王に届かぬ」


 そう言って、ライネルはその巨大な手で――エンドの身体を掴み上げた。


 骨がきしみ、空気が抜ける音がした。

 鋭い爪が背中を裂き、仮面が――また一部、音を立てて砕け落ちる。


 血が、口元を伝う。

 滴り落ちた赤が、石の床に静かに染み込んでいった。


 だが。


 その瞳は、死んでいなかった。


 むしろ――ますます、燃えていた。


 仮面の奥。

 割れ目から覗く、紅い光。


 エンドは、真っ直ぐにライネルを睨みつける。


「最初から……」


 低く、静かな声。


「1人で勝つと思ってないさ」


 


 その瞬間――


 夜空が揺れた。


 ――今宵は、新月。

 本来なら、空に光はないはずだった。


 だがその夜空に、ありえない銀光が――静かに、確かに、浮かんでいた。


 圧倒的な速度で――“銀の月”が、城に到達する。


 それは――光。


 否、それは――煌滅。


煌滅こうめつッ!!」


 城の天井を突き破るように、銀光が舞い降りる。


 ライネルの目が見開かれる。

 その手がわずかに緩んだ隙に、エンドの身体が解き放たれる。


 重力すら断ち切る、閃光。


 白銀の刃が、王の腕を焼いた。


「……お待たせ」


 立ち上がるエンドの背に、

 月のような光が――寄り添っていた。


 


 この夜。

 影と光が並び立つ。


 いま、“戦場”が変わる。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ