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第50話 旅路、血に濡れる

「……だいぶ進んだな」


 エンドが背後の山道を一瞥しながら呟く。

 荒れた獣道に足跡が重なり、折れた枝や踏み荒らされた草が、これまでの旅路の長さを物語っていた。


「それに、魔物も多い」

 隣を歩くセレナが、小さく息をつきながら応える。

 草木のざわめきに混じって、時折、何かの気配が風に乗って耳をかすめていく。

 視線の先には霧がかかり始め、昼間だというのに辺りはどこか薄暗く感じられた。


 テンガン地方の中腹――

 この地に近づくほど、空気そのものが“重く濁って”いくのがわかる。


「……そろそろだと思う」

 セレナの声が低く、芯を持って響いた。


 エンドも同じ方角へと目を向ける。


「……セレナ、あれは?」


 視界が少し開けた丘の先、谷間を抜けた向こうに――

 荷を積んだ一団の姿が見えた。


 毛織物や穀物らしき袋を背負わせた馬、そしてそれを引く人々。

 遊牧民のような風貌の商人たちの列が、静かに大地を進んでいた。

 だが、彼らを囲むように歩く数人の護衛の存在が、場の空気を引き締めていた。


 彼らは、粗布を巻いた槍を肩に担ぎ、腰には魔物の素材をあしらった刃を携えている。

 その視線は常に辺りを警戒し、まるで空気の揺れにすら反応するかのようだ。


「あれが商隊。周りにいるのが、護衛をしている人たちよ」

 セレナの目が鋭く細められた。


 ――G.O.Dは“レヴナント”。

 ――光滅騎士団は“光滅の剣”。

 ――そして、彼らのような独立した護衛団は、魔物の素材を武具に織り交ぜて使用している。


 素材の質や加工法によるが、基本的にはG.O.D製の兵装には劣る。

 それでも彼らは、自らの生存を賭け、こうして命を守るための道具として武器を磨いている。


「……夜まで待とう」

 セレナが低く呟く。「商隊もそろそろ止まるだろうし、エンドの影が目立つとまずい」


 エンドは黙って頷いた。

 昼の太陽の下では、影の能力を使えば即座に目立ってしまう。夜が来るまで――じっと待つしかなかった。


 **


 日が暮れ、霧がさらに濃くなる中で、商隊は動きを止めた。

 テンガン地方では夜に移動するのは命取り――魔物の視界が利く時間に踏み込めば、生きて帰れない。


 護衛たちは火を囲み、周囲の気配に神経を尖らせていた。


 その時だった。

 彼らの視界の端に、三つの影が現れる。


「ッ……!」


 数人の護衛がすぐに武器に手をかけ、身構えた。

 だが、姿を見てすぐに警戒が緩む。


 ――白髪の青年。

 ――銀髪の少女。

 ――そして、見るからに軽薄そうな口調の男。


 その軽そうな男――カナオが、ひょいと手を上げた。


「どうもどうも〜。そちらの商隊に混ざりたいのですが〜?」


 護衛の一人が鼻で笑うように答える。


「あぁ? お前らが来たって、守る手間が増えるだけだろ」


「これでも?」

 カナオが引き下がらないまま言うと――


 その瞬間、セレナがふっと現れ、護衛の背後に忍び寄っていた魔物の首を一閃で断ち切る。


 ゴッ――という鈍い音と共に、魔物の身体が崩れ落ちた。


「わ、わかった。隊長に話してくる……!」


 顔を青くした護衛が早足でその場を離れていく。


「上手くいきそうだね」


 カナオがグーサインを出し、口元にいたずらっぽい笑みを浮かべる。


 **


 その後、俺たちは問題なく商隊に加わることができた。


 カナオは持ち前の明るさと“うまいラーメン”で、商隊の中にあっという間に馴染んでいった。

 彼の存在は、殺伐とした旅の中に一瞬の笑いと温かさを灯していた。


 **


 その夜――

 俺とセレナは人目を避け、薄暗い林の中にいた。


「エンド、早めにね」


 セレナが、ほんの少しだけ白い肌を見せる。


 その首筋に浮かぶ静脈。

 たった数秒の吸血で済むはずなのに、なぜか躊躇してしまう。


(……ただ吸うのは、もったいないな)


 そう思った瞬間――


「ちょっとエンド、匂いとか嗅がなくていいから!」


 小声で、だが本気のトーンで怒られる。


 でも俺の鼻は正直だった。

 どこまでもフルーティーで、奥深く、それでいて澄んだ香り。

 甘く、ほんの少し鉄の苦味が混じった、命の匂い。


(……こんなの、理性が保てるわけないだろ)


 牙が皮膚を割り、温かな血液が口内に広がっていく。


「んッ……」


 セレナが、左手で口元を押さえる。

 耐えるように、声を殺していた。


 その血は、まるで熟れた蜂蜜のように甘く――

 口の中から喉へと広がり、神経の先まで満たしていく。


 **


 吸血が終わると、セレナはやや赤くなった頬を膨らませて俺を睨んだ。


「……早く終わらせてって言ったじゃん」


「ごめん」


 反省してる“風”に言って、俺は少しだけ笑った。


 その空気に、セレナもため息をつきながら、少しだけ口元を緩める。





 そして――血を吸ったばかりだから、気づいた。


 複数人分の“血の匂い”を。


 甘く、濃く、けれど生温かさを欠いたそれは、間違いなく――死の匂いだった。


 急いで商隊に戻る。

 そこに広がっていたのは、惨状だった。


 荷馬車は横倒しにされ、焚き火は血飛沫で消えていた。

 地面には、引き裂かれた肉と、ちぎれた布の残骸。


「エンド、セレナさん!」


 カナオが助けを呼ぶように叫ぶ。

 荷の影から、血に濡れた服で手を振っていた。


 護衛の半数以上が、すでに魔物の群れに殺されていた。

 動かぬ死体。呻く者。微かに息をする者。


 空気は、血と鉄の匂いで満ちていた。

 夜が静かに、崩れていく音がした

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