第49話 影に咲いた傘、太陽に咲いた笑顔
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「んじゃ――俺も行くよ」
カナオの声は、焚き火の火が揺れる音に混じって、さらりとこぼれた。
「えっ……?」
セレナの声と、俺の声がほとんど同時に重なった。
彼はそんな俺たちの反応を見て、少しだけ眉を下げて、笑わなかった。
珍しく――その表情に、冗談も軽口もなかった。
「……俺も、“なってやる”よ」
焚き火の影がカナオの頬を照らす。
その目が、いつになく真っすぐに、俺を捉えていた。
「お前の、共犯者に」
静かなその言葉は、冗談めかした響きとは裏腹に、胸の奥に深く沈んだ。
そして――数秒の沈黙のあと、ふっと口元を緩めて笑った。
「なーんてな。……でも、本気だぜ」
風が吹いた。けれど、その笑顔は揺るがなかった。
「だってさ、あったかい飯、作れるやつが――一番、強いだろ?」
それはどこか、信念のような響きだった。
戦う力も、血の力も、呪いも、何も持たない彼が、それでも言える“力”だった。
「腹、減ったら言えよ。俺が、クソうめぇラーメン作ってやるからさ」
火の粉が小さく弾ける。
その背中は、どこか頼もしくて、少しだけ切なくて――
でも確かに、俺の隣に立っていた。
たとえこの先、どれだけ夜が深くても。
“共犯者”と呼ばれたその男は、きっと俺たちのそばにいて、
また「腹減ったか?」って笑うのだろう。
そしてその時だけは――
俺も、少しだけ“救われている”気がするのかもしれない。
「次の町から出発した商隊が、テンガン地方にあるテンガン山近辺で行方不明になったらしい」
セレナが地図を見ながら、低い声で言った。
「もうテンガン地方には入ったからな、気を引き締めないと」
カナオが湯気を立てるカップを手に、真剣な眼差しで辺りを見渡す。
俺は、ふたりの会話にうなずきながらも、少し離れた場所で地面に映る自分の影をじっと見つめていた。
「エンド、さっきから何をしてるの?」
「……前の戦いで、影を動かせたんだ。だから今度は、影を別の形に変えたり、掴んで持てたりできないかなって思って」
「なるほどね」
セレナは納得したように頷きながらも、俺の足元に伸びる影を見つめている。
(掴む……)
掴むという動作には、ただ手に取るだけじゃない意味がある。
意志を込めて、欲しいものを、自分のものとして選び取る行為。
(持つ……)
持つというのは、掴んだものを放さないこと。
守り続けること。背負い続けること。
重さも、形も、全部を。
(形を変える……)
それには、もっと細かく、繊細なイメージが必要だ。
思考の糸を集中させ、輪郭を描くように――
「まず、どれから試す……?」
そう呟いた時だった。
「影を……傘の形にしたら?」
セレナが言った。
「日傘みたいにして、日の下でも歩けるようになったら便利じゃない?」
その一言に、俺は目を見開いた。
「傘か……」
そうか、なるほど。
単なる武器じゃない。
攻撃でも防御でもない、けれど確かに“役に立つ”形。
俺はゆっくりと手を影の中にかざす。
そして、イメージする。
細く、しなやかな柄。
丸く広がる布地。
自分の頭上に、影がやわらかく覆いかぶさる様子を――
影が、ふるりと震えた。
そして少しずつ――本当に少しずつ、俺の頭上に向かってせり上がる。
カナオが口を開けて見ている。
「……おぉ?」
「……まだ形になってないけど、動いてる。確かに、動いてる」
セレナがわずかに目を細める。
「……すごいわね。本当に“傘”になるかも」
「なるかも、じゃなくて――するんだよ」
俺は、影にもっと集中した。
風に揺れるような感覚が、手のひらの下に伝わってくる。
(これが“俺の影”……“俺自身”の一部なら)
(俺が望む形に、なってくれ――)
夜明けは、まだ先だった。
けれど、影の下に差し込む未来の光を、俺は確かに信じ始めていた。
日が昇った次の日、エンドは木の影の下にいた。
朝の光は柔らかく、空は穏やかに澄んでいる。
けれどその陽の気配は、どこか昔の痛みを思い出させた。
焼かれ、朽ちかけたあの日の恐怖が、皮膚の奥に残っていた。
「エンド、早くこっちおいで」
セレナが、木漏れ日の向こうで手を振っている。
その笑顔はいつもどおりクールで、それでいてどこか子どもみたいだった。
(いや……本当に、できるのか?)
たしかに影を傘の形にはできた。形は、きれいに整った。
けれどそれを“信じて一歩踏み出す”というのは、別の話だった。
あの日、俺の肌を焼いた太陽の下へ――
もう一度、出るということは。
「大丈夫。影は、どこまでも濃くて深い。
太陽の光なんか、通すと思う?」
セレナの声は優しかった。でもそれ以上に、強かった。
「おいで」
たったそれだけの言葉が、不思議と背中を押す。
――一歩目。
木陰を離れた足が、太陽に触れる。
肌が、熱を思い出す。
――二歩目。
視界が白くにじみ、あの眩しさが胸の奥をつく。
――三歩目。
視線の先にセレナの笑顔が見えた。
太陽の下で、まっすぐ俺を見ている。
「やったね、エンド! 太陽の下に出れたよ! ……出れた!」
彼女は声を弾ませて笑っていた。
ほんの少しだけ、はしゃぐように、嬉しそうに。
その顔は、夜には決して見えなかった光を宿していた。
(初めて……太陽の下で、セレナと並べた気がする)
影の傘は、しっかりと頭上を覆っていた。
細く、しなやかな柄。けれど影は濃く、太陽の圧にすら揺らがない。
その漆黒は、“太陽なんかに敵ではないと”という俺の意志そのものだった。
「……だけど、やっぱり太陽の下だと、だるいな。あと、自分の影がなくなるから……人前じゃ使えないかも」
「それでも、大きな一歩」
セレナがぽつりと返す。
その声には、静かな確信と――少しの誇らしさが混じっていた。
確かに、これは大きな一歩だった。
誰かにとっては些細でも、俺にとっては“生きる道”を広げる、一歩。
太陽の下に立つ。
たったそれだけのことが、まるで世界が変わったように思えた。
そして、セレナの笑顔が――
そのすべてを、肯定してくれていた
(あぁ、やっぱりセレナには敵わないな)
太陽に向けてそう言った。
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