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第48話 優しい器

「……腹、減ってんだろ」


 カナオの声は、風が吹き抜けるように静かだった。

 それは問いかけではなかった。

 まるですべてを“見てきた”者が、あたりまえの事実を口にするような口調だった。


 それなのに――彼は、何も聞かない。

 戦いの理由も、誰が傷ついたのかも、どうしてそんな血に塗れているのかも。

 何ひとつ詮索せず、ただそこに立っていた。


「俺が……うんめぇラーメン、作ってやっからな」


 その言葉には、誇りも慰めもない。

 代わりに何かを背負うわけでも、同情を押しつけるわけでもない。


 ただ、そこに“腹を空かせた誰か”がいて、

“食わせる”ことができる自分がいる――

 それだけの、まっすぐで静かな肯定だった。


 カナオは、すべてを見ていたのだろう。

 エンドがどれだけ血を流したのか、セレナがどれだけ傷ついたのか。

 そして――それでも彼らが、まだ生きているということも。


 けれど彼の瞳には、一切の“重さ”がなかった。

 まるでそれが自然の営みであるかのように、当たり前のように、彼はそこにいた。


「……店の味には、程遠いけどな」


 そう言って微笑んだカナオの顔には、どこか懐かしさすらあった。

 壊れた世界の片隅で、誰にも見つけられないような小さな灯火を絶やさずにいるような――

 そんな温もりが、確かにそこにあった。


 彼は手早く鍋を取り出し、水を汲み、火を焚いた。

 割れた石の上に簡素な鍋が置かれ、じゅう……と小さな音を立てながら、ゆっくりと湯気が立ちのぼっていく。


「腹が減ったら、力も心も落ちちまうからな!」


 湯気越しに、カナオが無邪気に笑ってみせた。

 その笑顔は、世界の苦しみを跳ね返すような強さはない。

 けれど、誰かをそっと受け止めるだけの柔らかさが、そこにはあった。


「ほら、出来たてだ。食え食え」


 湯気の中から差し出された丼――

 割れかけた器の中に、濁りのないスープと縮れた麺が静かに揺れていた。


 その香りは懐かしく、

 その熱は、戦いの余熱とはまるで違っていた。


 一口、すする。


 スープは、確かに“味”なんてしなかった。

 傷だらけの身体と、焼け焦げた神経がそれを受け取るには、もう余白がなかったのかもしれない。


 けれど――


 それは確かに、“優しい味”がした。


 どこか懐かしくて、

 誰かに許されたような、そんな温度だった。


「……美味しい」


 隣でセレナがぽつりと呟いた。


 その頬には、かすかに笑みが浮かんでいた。

 血に濡れた指先で器を包み込みながら、彼女もまた、黙ってラーメンをすすっていた。


 火も灯りもない夜の中で――

 ただ湯気だけが、あたたかかった。


 それは、春風のような温もりだった。

 どこまでもささやかで、けれど確かに心の芯に沁み込むものだった。


 ――戦いは終わらない。

 けれど、今だけは。


 ほんのひとときだけは、何かを“取り戻せた”気がした。



 カナオは、鍋の後片付けもそこそこに、ぽんっと手を打った。


「……んじゃ俺の新しい一発ギャグ、行きます!」


 いきなり宣言されて、俺とセレナは同時に視線を向ける。

 満月の下、彼はどこか誇らしげに胸を張り、ふーっと深く息を吸い込んだ。


「帰る途中に――カエルと、ちゅう!」


「は?」


「カエルとちゅう!」


 勢いよく繰り返すその顔は、本気だった。

 何かを狙っているようで、何も狙っていないような、そんな無邪気さがにじんでいた。


「……いや、カエルと“ちゅう”はしないだろ」


 思わず突っ込む俺。


 だがその瞬間――


「ぷっ……」


 隣から、微かに笑い声が漏れた。

 見ると、セレナが手を口元に当てて、肩を小さく震わせていた。


「え、笑った? セレナさん、今笑ったよね?」


「……ちょっとだけよ」


 彼女は照れ隠しのようにそっぽを向いたが、その頬にはかすかに紅が差していた。


 まるで、ほんの少しだけ“平穏”が戻ったみたいで――

 俺は、少しだけ肩の力を抜いた。


「よっしゃあ、俺、やっぱ才能あるな!」


 カナオが両手を挙げてガッツポーズする。


 夜はまだ冷たかったけれど、

 この笑いだけが、妙に温かく、胸に残った




 俺は、自分のことを――少しだけ、話した。


 全部じゃない。

 語れることだけ。

 語っていいと思えることだけ。


 けれど、それでも言葉は重かった。


 こんな風に自分のことを話したのは、久しぶりだった。


 カナオは、黙って聞いていた。

 茶化すでもなく、深刻ぶるでもなく。


 ただ、焚き火の火を見つめるような目で。


 そして――一呼吸置いた後、

 彼はゆるく肩を回して言った。


「そうか〜」


 それは、まるで天気の話でも聞いたかのような、何気ない口調だった。


「そりゃみんな、いろんなもんを抱えてるよ。背負ってるもんの形も重さも、人それぞれだろ」


 焚き火が小さくパチ、と弾ける。


 カナオはその音に紛れるように、続けた。


「でもな、それを他人と比べることはできないんだよ。俺はエンドじゃないし、エンドも俺じゃない」


「痛みだって、後悔だって、たぶん同じ形にはならない。でも――」


 彼は、ふっと笑って夜空を見上げた。


「それでも俺は、笑いながら生きてく。そう決めたんだ」


 言葉に熱はないのに、不思議と強さがあった。


 俺は、何も言えなかった。

 言葉が喉に詰まって出てこない。


 ただ、気づけば――


 目の奥が、じんわりと熱くなっていた。


 セレナがそっと隣で座っている気配だけが、温かかった。


 カナオは笑ったまま、夜風に吹かれていた。

 まるで、全部を受け入れて、風とともに歩いていくように。


 それが、どこまでも優しかった

ここ書いてて自分でも泣きそうになりました。


ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。


この物語は、“孤独”や“赦し”と向き合いながら歩く少年の旅です。

ただの冒険譚ではなく、痛みや迷いを抱えた人の心に、何か一滴でも届くようにと願いを込めて綴っています。


感想や評価、ブックマーク――それら一つひとつが、

この物語を紡ぎ続けるための灯になります。

よろしければ、あなたの“痕跡”を残していただけたら、とても励みになります。


今はまだ夜の途中。

それでも、カナオ、エンド、セレナの3人で空を見上げる瞬間が、いつか訪れると信じて。


――また、次のページでお会いしましょう

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