第38話 魔王と影とふたり分の食事
2章の最後に閑話を投稿しました。時間がある時方は是非読んでみてください。
朝――。
窓の外から、小鳥の囀りがかすかに聞こえていた。
カムシャン連邦の港町。
薄曇りの空の下でも、鳥たちは変わらずに一日を告げている。
遠くで船の汽笛が鳴り、港の活気が少しずつ町を満たしていく。
「……おはよう。私はこれから、魔物の活発化について聞き込みに出るわ。……貴方は、このままここにいて」
目を覚ましたセレナは、いつもと変わらない落ち着いた様子だった。
シャツのボタンを止めながら、鏡も見ずに俺にそう言った。
「……わかった」
陽が高くなるまでは、俺には何もできない。
吸血鬼である以上、太陽の下に身をさらすことは死に直結する。
それは、もう受け入れている現実だった。
「夕方には戻るから」
「気をつけて」
軽く手を振り、セレナはそのまま扉の向こうへ消えていった。
閉まる音が、やけに静かに感じた。
**
部屋に残された俺は、呼吸を整えるように目を閉じた。
外から差し込む光を避けるように、部屋の隅に身を寄せて――
再び、“あれ”に意識を向ける。
(……最近の影の揺らぎが、少しおかしい)
ベッドの端に腰を下ろし、ゆっくりと意識を沈めていく。
影へ、深く深く――
……静かだった。
まるで、水の底で息を潜めるような感覚。
やはり、反応はない――そう思った、その瞬間だった。
――影が、わずかに揺らいだ。
部屋の隅。
壁に押しやられた暗がりが、ぴたりと波打つ。
目を開け、思わずその一点を凝視した。
(……今、確かに……)
試しに、手元の鉛筆に手を伸ばす。
すると――
俺の指先よりも早く、“鉛筆の影”が、微かに動いた。
(反応してる……?)
頭の中で、“掴む”動作をイメージする。
だが、鉛筆は動かない。
影もまた、沈黙を保ったまま。
……それでも、“何か”は確かに目覚めようとしていた。
(新しく生えた尻尾みたいだな……)
思い通りに動かせはしない。
でも、そこにあることは“感じられる”。
そう――これはもう、“俺自身の一部”だ。
“シャドウグリム”。
影を操るこの力は、俺の中に確かに存在している。
(……夜になったら、また試してみるか)
静かに、俺は目を開けた。
カーテン越しに差す光が、壁の影を淡く照らしている。
その影の奥に、微かな脈動があった。
まるで、呼吸を合わせるように――確かにそこに“生きていた”。
**
やがて、夜が訪れた。
小鳥たちの囀りは止み、代わりに人々の生活音が町を満たす。
市場の声、船の荷下ろし、騒がしい通りの笑い声。
異国の夜は、思った以上に騒がしい。
「エンド」
部屋の扉が開き、セレナが帰ってきた。
彼女の表情は変わらない。
けれど、どこか思案を含んだ目をしていた。
「東のテンガン地方で、魔物の活発化が異常だって話を聞いたわ。それに……」
「……新しい“魔王”の出現、か」
セレナは小さく頷く。
「正式な記録はまだ出ていない。でも、物資を運ぶ商隊が“沈黙した”という話があったわ。数日前から、誰とも連絡が取れないそうよ」
魔王――
それは、魔物たちの中でも“災厄”と呼ばれる存在。
ただ力が強いだけではなく、群れを束ね、世界の法則を歪める“異質”の象徴。
「魔王は生まれた時点で、既に“理”を超えているものもいる。若いからといって、油断はできない」
「……神代の言葉も、思い出すな」
“君たちの力じゃ、まだ足りない。だから世界を見て回るといい”
――あれは、警告であり、導きでもあった。
東のテンガン地方。
古代から続く山岳地帯で、未だ人の手が及ばない“魔の領域”があると言う。
そこへ向かうことは、単なる“調査”じゃない。
きっと――“選択”と“覚悟”を試される場所になる。
「準備、整えておくわね」
セレナが短く言い残し、再び部屋の奥へと姿を消す。
俺はその背中を見送りながら、影の揺れる床を見つめた。
(……テンガン、か)
その名を口にしただけで、影がわずかに反応したような気がした。
夜は深まりつつある
「今日の夜はラーメンを食べましょう。……昨日、血を吸わせすぎたせいで、ちょっとフラフラするの」
セレナはふらりと肩を揺らして見せた。
からかっているようで、唇の色はほんの少しだけ薄くなっていた。
「貧血って感じね」
苦笑しながら、俺はその提案を素直に受け入れた。
**
東霞楼――
港町の一角にあるラーメン屋で、どこか懐かしい雰囲気を纏った店だ。
ガラガラッ――
戸を引いて店内に入ると、ふわりと鼻先をくすぐる醤油の香り。
鶏ガラと煮干しをベースにした透き通った出汁の匂いに、焦がしネギと醤油ダレが重なり合う。
カウンター越しに立ち昇る湯気が、まるで胃の奥に直接訴えかけてくるようだった。
厨房では、年季の入った寸胴からスープをすくう音と、チャーシューを炙る香ばしい匂い。
その合間に、店員の威勢のいい声が響く。
「へいらっしゃい! 二名様、お冷どうぞ!」
セレナは空いていた奥の二人席に腰を下ろしながら、そっと足を揃える。
「ほら、座って」
セレナは小さな声で促しながら、自分はさっさとカウンター席に腰を下ろしていた。
その様子に、俺は少しだけ肩の力が抜けた。――楽しみにしていたんだろうな。
テーブルには、古びた木の年輪が浮き出ていて、何年もの時間が染み込んでいるのがわかる。
「醤油にしようかな。今日は、さっぱりしたのがいい気分」
メニューも見ずにそう呟く彼女の横顔は、どこか静かだった。
俺も無言で頷き、同じく「醤油ラーメン」を注文する。
カウンターの奥で丼に注がれていく琥珀色のスープ。
湯気の向こうに、何でもないはずの一杯が、まるで小さな救いのように思えた。
**
湯気が立ち上る中、二人のラーメンがそっと置かれる。
「いただきます」
セレナが小さく呟き、箸を割った。
スープを一口すすると、ふうっと息が漏れる。
「……ん。しみる」
目を閉じて、少しだけ肩の力が抜けるその仕草に、俺もつられるように息を吐いた。
その言葉とともに、彼女の表情がふっと和らぐ。
セレナの表情が、ほんの少しだけ柔らかくなったのを、俺は見逃さなかった。
俺は血以外の味を感じないがセレナが笑っているのが嬉しかった
**
「おっ、エンドゥー! セレナさん!さっそく来てくれたんだねぇ!」
厨房から、どこか明るい声が飛んできた。カナオだ
ラーメン鉢を抱えながら顔を出したのは――カナオだった。
軽いノリの男だが、どこか憎めない笑顔を浮かべている。
その直後、厨房の奥からもうひとつ柔らかな声が届く。
「昨日言ってた、“親友の子”って……この子のことかい?」
現れたのは、エプロンをつけた小柄な中年女性――カナオの母親だった。
俺を見る彼女の目は優しい。
けれど、その奥にはどこか探るような光もあった。
「いらっしゃい、ゆっくりしてってね」
そう言って、湯気の奥に姿を消す。
**
カウンター越しに、カナオがひょいと丸椅子を引き寄せ、俺の正面に腰を下ろす。
肘をつき、顎に手を添えた姿勢のまま、じっとこちらを見つめてきた。
「……あんたさ」
不意に、静かな声で言う。
「笑ってないようで、けっこう“生きたがってる顔”してるよね」
ニヤッと、片口で笑ってみせるその目は――まっすぐだった。
(セレナの顔を見て、少しだけ笑ってたかもしれない。
……生きたがってる顔――自分がそんな顔をしていたなんて、気づかなかった)
その一言が、思いのほか、胸に深く残った。
“生きている”と見なされたことが、なぜか――痛かった。
けれど、それでも――悪くはなかった
俺は箸を持ち直し、湯気の立つ一杯を口に運ぶ。
どこかで、誰かが、俺のことを“生きている”と見てくれた。
――それだけで、今夜の飯は、少しだけ温かく感じられた。
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投稿開始から約4週間。
読んでくださった皆様、評価や感想をいただいた方々、心より感謝申し上げます。
物語はこれから、主人公や登場人物たちの内面の葛藤、そして激しいバトルへと進んでいきます。
バトル描写には特に力を入れていますので、ぜひご期待ください。




