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第36話 ウェルカム、ミー・トゥー

 灰色の海を切り裂くように、船が港に近づく。


 真っ先に目に飛び込んできたのは――高くそびえる朱塗りの楼閣と、そこに連なる白壁の街並み。

 潮風に混じって、香辛料と油の匂いが鼻をかすめた。


 商人たちの怒号、呼び込みの声、道ばたに座り込む楽師の音――

 港には確かに、人の営みが戻っていた。


 だがそのすぐ裏側に、濁った空気もまた確かに存在していた。


 楼閣の屋根には、魔除けとされる鉄の杭が打ち込まれ、

 街の角という角には、祈祷札や呪符が風に揺れている。

 行き交う人々は賑やかだが、腰には短剣やお守りを携え、

 時折、空を見上げて何かを警戒する素振りを見せた。


 それはまるで、“祭りの最中に、棺を抱えた人間が歩いている”ような、

 明るさと恐れが交差する、奇妙な日常だった。


「……想像より、ずっと活気があるな」


 思わず漏らした俺の言葉に、セレナは小さくうなずく。


「この街は、“生きること”に貪欲なのよ。

 どれだけ壊されても、また立て直す。それでも……死の影は、消えない」


 彼女の言葉が終わる前に、どこか遠くで銃声のような音が響いた。

 港の空気が、一瞬だけ静止する。

 だが誰も立ち止まらず、音が消えると、再び日常が動き出す。


 生きている。

 この港は、確かに今も――“生きて”いた。





「セレナ、ここからは君を頼ることが多くなると思う。あの時のように」


 もう、頭しか残っていなかったあの瞬間――

 俺はセレナに助けられ、彼女の血を吸って生き延びた。

 あの時から、全てが変わった。


 ……もう、否定はしない。

 俺は、吸血鬼ヴァンパイアだ。


「分かった」


 セレナの瞳は揺れることがなかった。

 覚悟を共有した、ただそれだけの一言。それが、何よりも力強かった。


「とりあえず宿を取ってくるから……エンド、あの噴水の前のベンチにでも座ってて」


「……ああ」


 港の広場の中央に、風化した石の噴水があった。

 龍をかたどった石像が、口から静かに水を吐いている。

 午後の湿った陽光がその水面をきらめかせ、街の空を反射していた。


 ただ、よく見ると――

 水底には、お札、硬貨、そして小さな刃物が沈んでいた。

 祈りと諦めが、同じ場所に捧げられている。

 この街がただの観光地ではなく、“生き延びることを祈る土地”なのだと感じさせた。


 俺はベンチに腰を下ろし、一冊の本を開いた。

『Bad Life』――船旅で読んでいた、どこかの古本屋で手に入れた本だ。

 古びた装丁に似合わず、中身はどこか現代的で、救いの言葉が静かに綴られていた。


 ――読むこと、数分。


「“It’s just a bad day, not a bad life.”」


 ふいに、そんな声が耳に届いた。

 その瞬間――春風がひとすじ、ベンチを撫でて通り過ぎた。

 湿り気を含んだ港の空気の中に、どこか懐かしい土と花の匂いが混じる。

 まるで、この男が風に乗って現れたかのように思えた。


「いいよねー、その本。なんか、暗いんだけどさ。慰めてくれるというか……“あ、まだ終わりじゃないんだ”って気にさせてくれるっていうかさ」


 突然話しかけてきたその男は、陽に焼けた肌に、どこか緩んだ目元をしていた。


「その言葉の全容、分かる?」


 問いかけると、彼は楽しげに首を傾け、口ずさむように言葉を紡いだ。


「When it feels like the whole world is pressing down on your shoulders,

and even your own heart is too heavy to carry—

you start to fear that this pain will never end.

But the truth is… it was just a bad day, not a bad life.――だよ?」


 優しく、歌うように。

 まるで誰かを――あるいは自分を慰めるように、そっと言った。


 訳すとこうだ。

「世界が全部、自分の肩にのしかかってくるみたいで……自分の心の重さすら抱えきれなくなったとき

 ずっとこんな日々が続くんじゃないかって、怖くなるけど……

 今日は、ただ“悪い一日”だっただけ。“悪い人生”じゃない」


「……」


 不思議なやつだ、と思った。だが、なぜかその言葉が、胸の奥で波紋のように広がっていく。


「……あっ!俺としたことが、自己紹介忘れてた!」


 突然立ち上がり、何かを思い出したように指を鳴らす。


「ミー・イズ・俺、可納カナオ!ウェルカム、ミー・トゥー!」


 あまりに勢いのある自己紹介に、つい言葉を失う。


 ……多分、アホだ。


「ね、一発ギャグやっていい?」


 何も返していないのに、懐から何かをゴソゴソと取り出す。

 出てきたのは――鉄製のハンマー。


(え、待って……)


 次の瞬間、そのハンマーを自分の頭に向かって勢いよく振りかざす……フリをして、


「鈍器でドン!!」


 キメ顔。


 ……面白いかどうかは別として、確信した。


 間違いなくアホだ。




 セレナが戻ってきたのは、それから数分後のことだった。


 宿の鍵と思しき札を片手に、歩く速度はいつも通りの無駄のないリズム。

 だが、ベンチに座る俺の隣――いや、そのさらに隣に座っている奇妙な男を見つけた瞬間、

 彼女の足が、ほんのわずか、止まった。


「……エンド。もう友達、できたの?」


 その問いかけには、ほとんど感情がこもっていなかった。けれど、それが逆に怖い。


「はい!わたくしエンドゥー君の親友、ミー・イズ・俺、可納カナオ

 ウェルカム、ミー・トゥー!と申します!」


 カナオが勢いよく立ち上がり、元気よく胸を張った。

 エンドゥー君とは誰のことだ。お前だろ。


「……は?」


 珍しく、セレナが一言で動揺を表現した。


「一発ギャグやります!」


 すると次の瞬間――


 まるで春風が突拍子もなく吹きつけるみたいに、カナオが勢いよく叫んだ。


 ふぅ、とわざとらしく深呼吸をしてから、

 カナオは懐からまたしても鉄製のハンマーを取り出した。どこに入ってたんだそれ。


「鈍器でドン!」


 まさかのリピート。しかもセレナの前でやるあたり、肝が据わっているのか、ただの馬鹿なのか。


 俺とセレナの間に、変な沈黙が流れる。


「以後、お見知り置きを、美しきお嬢さん!」


 カナオは礼儀正しく(なぜか仰々しく)一礼しながら、手を差し出した。


 セレナは一瞬、その手を見つめた。


(やるのか? 本当にその手を取るのか?)


 俺が心の中でハラハラしていると――


 セレナは静かに言った。


「……握ったら、次のギャグは自重してくれる?」


「え? いや~それはちょっと難しい相談でして~……」


「じゃあ、握らない」


 ズバッと言い放つセレナ。


 カナオは肩を落とした。


「オゥ、セレナ嬢ちゃん……クールビューティすぎるよ……」


「その呼び方、二度としないでくれる?」


「りょ、了解いたしやした……!」


 小さく縮こまるカナオ。その姿を見て、セレナはようやく、ほんのわずか――口元を緩めた。

 ……たぶん笑ってた。すごく分かりづらいけど。


 俺は確信した。


 セレナも思っただろう――こいつ、アホだと






かなり味が出てるキャラ登場です。

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