第30話 雪は、誰のためにも降る
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夜は深く、空には雲が垂れこめていた。
焦げた鉄と血の匂いが、風に乗って街の隅々にまで染みついている。
かつて喫茶店《Yume》があった一帯は、もはや戦場だった。
瓦礫が転がり、倒壊しかけた建物の隙間からは、赤く染まった煙が立ち昇っている。
「……終わらせる時だな」
黒瀬が呟いた。
その隣で、冴島がわずかに顎を引いて頷く。
互いに傷だらけだった。
レヴナントはすでに限界を迎え、装甲は剥がれ、武器もひび割れている。
けれど――足は止まらない。
すでに撤退はない。
後に残るのは勝利か、死だけだ。
そして――
その瞬間、吸血鬼の背に、再び血の鎧が盛り上がった。
黒い蒸気のような霧が立ち上り、肉の裂け目から血が溢れ出す。
それを喰らうように纏う“鎧”は、もはや自我を失った本能そのものだった。
まるで死を悟った“それ”が、自らを限界まで燃やしているかのようだった。
その肉体は、もはや戦士のそれではなかった。
血と肉が混ざり合い、関節は逆に折れ曲がり、両腕の刃は骨を突き破って伸びていた。
全身を蝕む痛みすら、もう感じていない――そんな、“最期の爆発”だった。
「まだ動けるのかよ……!」
黒瀬が吐き捨てた瞬間、吸血鬼の身体が霞のように揺らめいた。
地を裂く一閃。
音よりも先に、冴島の盾に衝撃が突き刺さる――
ガギィィィン!!
鋼が裂ける耳障りな音と共に、冴島の身体が吹き飛ぶ。
背後の瓦礫に激突し、全身を激しく打ちつけた。
それでも立ち上がる冴島。
だが、左腕は明らかに折れていた。盾は真っ二つに割れ、役目を終えたかのように地面に転がっていた。
「冴島ッ!」
黒瀬が駆け出すが、その前に吸血鬼が躍り出る。
黒瀬の斧槍が咄嗟に振るわれた――
ギャリィッ!!
火花が弾け、黒瀬の肩が裂ける。血が噴き出し、彼の片膝が崩れた。
(速い……重い……! さっきまでの動きじゃない――)
吸血鬼の血の鎧が脈動するたび、空気が震える。
背から無数の“血刃”が咲き乱れ、鞭のように暴れ出す。
それはもはや技術ではない。怒りでもない。
“滅びゆく者の咆哮”だった。
「止まれ……止まれよ……!!」
黒瀬が叫び、斧槍を振り上げる。
だが、その一撃は吸血鬼の鉈のような腕に弾かれた。
冴島が後ろから突進する。
戦鎚が振るわれる――
吸血鬼は受けるでも躱すでもなく、そのまま真正面から衝突した。
ゴガァッ!!
肉が裂ける音、骨が砕ける音が重なり合い、地面が砕けた。
冴島の鎧にヒビが走る。だが、それでも――
風が止まった。
一瞬、街の音も、血の気配も、すべてが凍りついたようだった。
「俺は止まらねぇッ!!」
折れた盾の破片を拾い、左腕で無理やり防ぎながら吸血鬼に再度突撃する。
黒瀬が再起し、再び前に出る。
「お前だけには……! やらせてたまるかッ!」
二人が交錯する。
一撃。
二撃。
三撃。
全身の骨が悲鳴を上げる。
血の刃が皮膚を裂き、レヴナントの装甲が次々と砕け落ちる。
吸血鬼も同じだった。
血の鎧はもはや形を成しておらず、赤黒い肉がむき出しになっていた。
それでも前に出る。何かを振り切るように、ただ“前に”跳ぶ
その時――
「終わらせるぞ……!」
冴島が跳躍。
逆さに振り下ろされる戦鎚が、吸血鬼の胸元を粉砕する。
ゴギィィィッ!!
衝撃が地面を貫き、粉塵が宙を舞う。
黒瀬が吼えるように、折れた斧槍の柄を吸血鬼の顎に叩き込み、首筋へ――最後の刃を突き立てた。
静寂。
血の鎧が音もなく崩れ、風に溶けていく。
やがて、その場に倒れた吸血鬼の肉体が、地面に沈み込むように力を失った。
――戦いは、終わった。
冴島が叫ぶ。「やった……! 黒瀬、やったぞ!!」
黒瀬は肩で息をしながら、立ち尽くす。
「……ああ、今度こそ……倒した……」
二人の顔に、確かな達成の色が浮かぶ。
冴島は膝をつき、空を仰いだ。
「……夜明けが来るかもな」
「冬だぞ。まだ真っ暗だ」
黒瀬が冗談めかして返し、わずかに笑い合う。
だが――その静寂の向こうで。
やがて、粉塵の向こう――
崩れた瓦礫の中に、吸血鬼の亡骸が沈んでいた。
もはやその姿は、人のものでも、戦士のものでもなかった。
血と肉が混ざり合い、関節は逆に折れ曲がり、両腕の刃は骨を突き破って伸びている。
全身を蝕む痛みすら、もう感じていなかった。
それは、“最期の爆発”。
命の残滓を燃やし尽くして、ただ――何かを守るように、立ち向かっていた。
ふと、崩れた瓦礫の隙間から、赤く染まった一枚の紙が風にめくられた。
それは――色褪せた、小さな家族写真だった。
ぼやけた笑顔。手をつなぐ影。
どちらが吸血鬼だったのか、それはもう誰にも分からない。
ただ一つ言えるのは――
その死を悼む者は、もうこの街にはいない、ということ。
静かに、白いものが空から降りてきた。
東京の夜空に、初雪が舞い始める。
冷たく、やさしく、名もなき骸に降り積もる。
白は、何色でも覆い隠す。
それが“血”であっても、“記憶”であっても。
誰にも知られぬまま、音もなく。
それはただ、終わりを包むように――静かに、降り続けた。
ゴールデンウィーク、少しでも楽しい時間のお供になれたら嬉しいです。




