表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/105

第14話 夜に灯る、一杯のぬくもり

 部屋の扉が静かに開き、セレナが姿を見せた。彼女の銀髪は外の月明かりを受けて淡く輝き、その瞳は心配の色を帯びていた。


「エンド、無事だったのね。待ち合わせ場所に来ないから……心配したのよ」


 セレナの声は落ち着いていたが、僅かに揺れるその響きに、僕への気遣いが滲んでいた。


「ごめん。……吸血鬼に遭遇して、やられた。気を失って、目が覚めたらここにいたんだ。それに……信頼できると思って、全部話した」


 僕の言葉に、セレナは一瞬だけ眉をひそめたが、すぐにその表情を引き締めた。


「……そう」


 短く答えたその声音には、何かを考え込むような静けさがあった。


 沈黙が満ちていく中、ふいに奥の方からゆっくりと足音が近づいてくる。そして、小さなカップから立ち上る香ばしい香りが部屋に満ちた。


「コーヒーができたよ。少し話をしようか」


 柔らかな声とともに、白髪の老人がトレイを手に現れた。深い皺の刻まれた顔には、どこか穏やかな微笑みが浮かんでいる。


「君の中の認識では、吸血鬼は人間を“餌”としか思っていない……そうだろう?」


 老人は僕の前にカップを置きながら、静かに言った。湯気の立ち上るその液体は、どこか懐かしい香りがした。苦みと、わずかな甘みが混じった、深い夜を映すような匂い。


「確かに、そういう吸血鬼は多い。人を狩り、恐怖を撒き散らすような者もな。でもね、全てがそうとは限らない。戦いたくない者もいる。暴力を望まない者、自ら食料にありつけない者も……」


 老人はゆっくりと椅子に腰掛け、僕の目を真っ直ぐに見つめて続けた。


「ここは、そういった吸血鬼たちの“憩いの場”なんだ。人を傷つけることなく、ただ静かに夜を生きたいと願う者たちの、ね」


 彼の言葉は不思議な温かさを持っていて、僕の胸に、ほんの少しの安堵を灯した。闇に生きる者たちに、こんな場所が存在するとは思ってもみなかった。


「私はここの店の店長をしてる、芳村という者だ」


 老人――芳村は、穏やかな眼差しを向けたまま言った。その瞳の奥には、夜の長さと重さを知る者だけが持つ深みがあった。


「どうだい? ここで働いて、吸血鬼のことを学んでみるのは。表向きは喫茶店、だが裏では……夜を生きる者たちの交差点だ。君のような者にとっては、学びも、救いもある場所だと思うよ」


 芳村の提案に、僕は自然と視線を落とした。思考が絡まりながらも、どこか安心感が胸に灯るのを感じていた。ここには闇がある。だが同時に、誰かが誰かを思いやる、そんな温度もあった。


「……少し、考えさせてください。とても……いい提案だと思う。でも、その場合……」


 僕は隣に座る彼女に目を向ける。


「セレナ、君は……どうする?」


 一瞬、彼女の瞳が揺れた。だがすぐに、決意を宿した瞳が僕をまっすぐに捉えた。


「受けた方がいい。……それが一番、あなたのためになる」


 迷いのない声だった。僕の中に渦巻いていた不安を、言葉の端から少しずつ剥がしていくような、優しくも強い響きだった。


「でも……その間、君は?」


 セレナは一呼吸置いたあと、静かに言った。


「一時的に、G.O.Dに入るつもり。光滅騎士団の所属だって名乗れば、歓迎されると思うから。情報も手に入るし……この先、何が起きるか分からない今、外から繋がりを持っておくのは必要でしょ?」


 その言葉に、僕の胸が僅かにざわめいた。光滅騎士団。あの夜、僕から全てを奪った組織。その名を聞くだけで、喉の奥に苦いものが込み上げる。


「……危険じゃないか?」


「ええ。でも……それでも、やらなきゃいけないの。あなたを助けるためには、私も動かなきゃ。だから、お願い。あなたもここで……前に進んで」


 その瞳には、一片の迷いもなかった。けれど、僕にはわかる。彼女もまた、心のどこかで震えているのだと。怖くないはずがない。だけど彼女は、僕を守るために、その恐怖さえ呑み込んで前を向いている。


 そう言ってセレナは微笑んだ。月光の中、その微笑みはどこか哀しげで、そして優しかった。


 僕は一つ、深く息を吐いた。胸の奥で、何かが動き出す音がした。セレナの言葉が、芳村の言葉が、僕の中の“止まった時間”を、少しずつ動かし始めていた。


「……わかった。僕は、ここに残って吸血鬼のことを知る。セレナ、君がそう言うなら……信じるよ」


 セレナの目が、わずかに潤んだように見えた。それでも彼女は、静かに頷くと、言葉を噛みしめるように返す。


「ありがとう、エンド。きっと……この選択が、未来を変えるから」


 芳村がにっこりと目を細めた。


「いい返事だ。夜はまだ長い。君の“始まり”は、これからだよ」


 芳村が差し出したコーヒーの湯気が、天井に向かってゆっくりと昇っていった。それはまるで、停滞していた闇に、わずかな希望の煙が立ち上っていくかのようだった。

よろしければ評価・ブックマーク頂けたら励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ