漆:裏側
転移魔法は、膨大な魔力消費と引き換えに空間を移動する大技魔法だ。
かなり高難度で、移動する距離や人数に応じて魔力消費も大きくなるという特性があり、この学園内でもこの魔法が使えるのは教師を含めても数人しかいない。
私でも、数十メートル程度移動するのが精一杯だが、あの状況から逃げ出すには十分だ。
私は転移先を魔物の飼育庫から程近い図書室にし、一番奥まで行って周りに誰もいないことを確認してから遮蔽魔法を解除した。
「……ふぅ」
一度ゆっくり呼吸して、思考をフル回転させる。
訓練用の魔物を飼育している倉庫で、ベイルは何をしていたのだろうか。
そして、彼が現れる直前に聞こえた会話の二人は、一体誰だったのだろう。
彼らの会話から察するに、先日以上に強い魔物を解き放とうとしていたようだった。
急がないと、大変なことになる。早くあの会話の主二人を突き止め、捕えなければ。
しかし、ひそめられた声では男子生徒であることはわかっても、誰の主までは判別がつかない。
ただ、話し方から察するに、会話の主とベイルは別人と見て間違いないと思う。
あの倉庫に入ることができるのは、本来騎士学科の生徒と教師だけだ。
ちなみに、私とコルト、シャルロット、ジェーンが魔法学科の一年生、レインが二年、ベイルは三年生で、グレイヴが騎士学科、フランクは商業学科、ミュラーは神官育成のための神聖学科だ。
そしてジャック先生は魔法の授業の担当である。
メジケスコーレ魔法学園は、魔法学科でなくても魔法の授業はあるし、そもそも入学するに当たって魔法の試験がある。
つまり、在校生は少なからず魔法が使えるということである。
「……魔物の飼育庫は、こないだの脱走事故を受けて、ジャック先生が厳重な結界魔法と施錠魔法を掛けていたはず……」
それなのに、ベイルは飼育庫にいた。
魔法学科所属の彼が、魔物の飼育庫にいること自体不自然だ。
彼が魔物を解き放った犯人なのか。
それにしても、彼が、遮蔽魔法を掛けていた私の存在に気付いたのは引っかかる。
遮蔽魔法を見破る方法はただ一つ。眼に魔力を込めて視るしかない。かなりの集中力を要するので、それを常時行うのは不可能と言われている。
そのため、相手が『遮蔽魔法で忍び込んだ者を探す』つもりでいない限り、見つかることはほとんどない。
魔物を解き放とうとして忍び込んだ者が、他に忍び込んでいる者がいないかどうか、魔力を込めて注視したと考えれば理解できるが、もしそうだとしたらベイル自身が遮蔽魔法を行使していなかったことが不自然だ。
「ベイルは、あの場所に誰かが隠れているのを察知していた……?」
そして、そこそこに強い魔力をもつ私の遮蔽魔法を見破るとは、ベイルが私とほぼ同格の魔法使いであるということを示している。同時に、彼が私の姿までは視認できていなかったことを鑑みると、僅差で私の方が上ということになる。
ちなみに魔法の実力については、ゲームの設定上で名前を挙げると、レイン、私、コルト、ベイル、グレイヴ、ミュラー、フランクの順である。ちなみに、ジャック先生は新任だが実力は折り紙付きで、レインよりも遥かに上と見て良いだろう。
そんなジャック先生の張った結界魔法や施錠魔法を掻い潜って飼育庫に入り込める実力者となると、現状私以外はレインかコルトなら間違いなく可能、ベイルはギリギリどうかというくらいだが、あの場にいたことを考えると可能だったようだ。
シャルロットも、ゲーム終盤であれば実力も上がっていただろうが、まだ入学して一ヶ月ほどしか経っていないことを考えると、今の彼女実力では無理だろう。
では、やはりベイルは魔物を解き放とうとしていたのか。
そこまで考えて、不吉な可能性が胸を過ぎる。
まさか、ジェーンの言う通り、コルトが私を邪魔に思って、ベイルに魔物の解放を命じたとか。
「……コルト様が命じたとしたら、ベイル様は従わざるを得ないわよね……」
いくら何でも、コルトはそこまで非情ではないと思いたい。
しかし、ここはゲームの世界。何らかの強制力が働く可能性を考えると、絶対にあり得ないとは言い切れないのが悲しいところである。
「……っ!」
唐突に魔法の気配を感じて、廊下に出た。
窓から外を覗き込むと、中庭でベイルとレインが対峙しているのが見えた。
「え、何で?」
ベイルがレインに詰め寄って何か言っている。
そうこうしているうちに、ベイルが右手を掲げた。攻撃魔法を使う気だと察し、私は咄嗟に窓から飛び出した。
飛翔魔法を唱えて、彼らの元へ向かう。
と、その直後、ベイルが放った攻撃魔法を、突然割り込んできた誰かが一刀両断した。
銀色の髪の青年、グレイヴだ。
「ベイル様! これは一体どういうことでしょうか!」
剣を鞘に納めなら声を上げるグレイヴに、ベイルは眉を顰めた。
「グレイヴ・エクエス、騎士学科の君には関係のない話だ」
「学園内での攻撃魔法の行使は禁止されています。現場を見てしまった以上、見て見ぬフリなんてできませんよ」
強い眼差しで言い放ったグレイヴが、レインを振り返る。
「何があったんですか?」
「私にもわからない。ベイル様が、先日の魔物脱走事故は私が引き起こしたのだろうと仰って……」
ベイルはどうやら、先程魔物の飼育庫に侵入していたのは私ではなくレインだと思ったらしい。
まぁ、ジャック先生の結界魔法を掻い潜って入り込める実力者なんて、レインかコルトか私くらいしかいない。ベイルにしてみれば、消去法でレインしかいないと判断した訳か。
だが、これで疑われたのでは、レインが可哀想だ。
「ベイル様、私からも質問させてください。学園内で攻撃魔法を行使する正当な理由はなんですか?」
私が着地してそう尋ねると、ベイルはぐっと言葉を詰まらせた。
その時、警報が鳴り響いた。
『緊急事態発生。訓練用の魔物が脱走しました。全校生徒は教室へ避難し、緊急用の施錠を行なってください』
緊迫した声色で、先日と同じ内容の放送だ。
ベイルを見ると、彼は忌々しげに舌打ちし、レインを睨み付けた。
「やはりお前が……!」
「私じゃないっ!」
「飼育庫には、先程ジャック先生と私で施錠魔法を施した。この学園内で、それを掻い潜って入り込める実力者など、お前の他にはいまい」
その言葉に、彼が飼育庫にいた理由を理解した。
公爵家嫡男のベイルなら、確かにジャック先生に指示されて飼育庫に施錠魔法を掛けるというのも頷ける。
「ベイル様、今はそれより、脱走した魔物の処理が先決です」
グレイヴの言葉に、ベイルは舌打ちして頷いた。
「グレイヴ、騎士学科の君を見込んで、レインの見張りとスカーレット嬢の護衛を頼む」
「わかりました」
ベイルはそれだけ言うと、飛翔魔法を唱えて飛んで行ってしまった。
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