陸:思わぬ事態
翌日から、シャルロットの態度は更に露骨になった。
スカーレットに虐められていると周りに吹聴する割に、私を見つけるや否や目を輝かせて追いかけてくるので、他の生徒たちも彼女の言動の矛盾に困惑している始末だ。
「……大丈夫ですか? スカーレット様」
放課後になって、気遣わしげに尋ねたきたジェーンに、私は苦々しく微笑む。
「ええ、大丈夫よ。ありがとう」
「シャルロットさんも、一体何がしたいのでしょうか……スカーレット様を追いかけ回して……それに、コルト殿下もこの状況はご存知のはずなのに、シャルロットさんに何も言わないなんて、どういうことでしょう……」
ジェーンが戸惑い気味に首を傾げる。
「……もしかして、最近出回っている妙な噂と、何か関係があるんでしょうか?」
「妙な噂?」
私が顔を上げると、彼女は神妙な面持ちで頷いた。
「ええ。少し前に、訓練用の魔物が脱走した事故がありましたでしょう? その後先生方が検証した結果、人為的に檻の鍵が破壊されていたらしいのです」
「それが妙な噂?」
「いえ、噂というのは、その魔物が飼育されていた檻の近くにいた騎士学科の生徒が、魔物が脱走した直後に、コルト殿下の魔力を感じたと話したということなんです」
「コルト様の魔力を?」
「はい。でもまさか、殿下が魔物を学校内に放つなんて、考えられませんから、その生徒の勘違いだろうと言われています」
「その噂と、コルト様がシャルロットさんに何も言わないのと、どう関係してると思うの?」
「もし本当に殿下が魔物を解き放ったのでしたら、その目的が、スカーレット様を事故に見せかけて殺すつもりだったとは考えられませんか?」
不吉なことを大真面目に語るジェーンに、私は思わず顔を引き攣らせた。
「コルト様が私を殺そうと……?」
「あくまでも仮定の話です。もし殿下が、シャルロットさんと恋仲になっていて、スカーレット様との婚約破棄を狙っているのだとしたら……」
確かに、もしもコルトがシャルロットとの仲を深めていて、私との婚約破棄を望んでいるとしたら、今の状況では私に非はなく、私に対して支払う婚約破棄の慰謝料は莫大になる。
更に、コルトの心変わりが理由なら私の父であるセレラトス侯爵も黙ってはいないだろう。
間違いなくシャルロットの親に苦情を申し入れてそちらにも慰謝料を請求するはずだ。
しかも父はこの国の宰相でもあり、社交界でも顔が利く。
いくら王太子とはいえ、自らの有責で私との婚約を破棄し、多額の慰謝料を支払った上に私の父の怒りを買うのは、次期国王としては避けたい事態だろう。
実際、そのようなことをしては、私の父からだけでなく国民からも不信感を持たれかねない。
当然、シャルロットも、私から王太子を略奪して王太子妃になったと看做され、国民、とりわけ女性たちから冷たい目で見られるのは目に見えている。
彼らからすれば、私に非がある状態での婚約破棄が望ましいが、現実そうはいかない。そうなれば、わたしを消す方が手っ取り早い、という訳か。
勿論、これはあくまでも仮定であり、コルトとシャルロットの仲がそこまで進んでいることが前提の話であるが。
ジェーンの言いたいことを理解した私が額を抑える。
「……いくら何でも、コルト様が私を殺してまで自分に有利に婚約破棄しようとするとは思えないけど……」
いや、そもそも、だ。
「魔物が脱走したと警報が鳴った直前、私はコルト様と一緒にいたわ。コルト様が鍵を破壊するなんて無理よ」
「殿下ほどの魔法の才能がおありなら、遠隔地にいながら鍵を破壊することなど造作もないかと……」
ジェーンの言い方は引っかかる。
まるで、最初からコルト様が犯人だと決めつけているか、確証を得ているかのようだ。
「でも、証拠はないのよね?」
「え、ええ……」
私が真っ直ぐに目を見て尋ねると、彼女は僅かにたじろいだ。
何か後ろ暗いことでもあるかのようだ。
「……心には留めておくわ。でも、このことは不確定要素が多すぎる。他言無用よ。コルト様にあらぬ嫌疑を掛けないこと。良いわね?」
私がそう締め括ると、ジェーンはやや不満そうにしながらも頷いて自分の席に戻っていった。
嫌な予感を覚えて、私は廊下に出る。歩きながら遮蔽魔法を発動させて、姿を眩ませた。
向かうのは訓練用の魔物が飼育されている倉庫だ。
もしかしたら、魔物脱走事故について、何かわかるかもしれない。
と、倉庫に足を踏み入れた時、奥の方から誰かの声がした。
「……今度こそ、失敗は許されないぞ」
「勿論だ。まさか彼女が剣一本であれを倒すとは予想外だったが……今度は流石の彼女でも太刀打ちできずに食い殺されるだろう」
二人の男の声だ。
会話の内容から察するに、どうやら私を狙って魔物を解き放とうとしているらしい。
注意深く足を進めていくが、倉庫の最奥まで見ても誰もいない。
「……っ」
突然血の気が引くような気配がして振り返ると、いつの間にかそこに一人の男子生徒が立っていた。
金髪に翠の瞳、アンニュイな美貌は一度見たら忘れない。
「ベイル……」
公爵家嫡男の彼は、遮蔽魔術をかけて他者からの認識が阻害されるようにしている私を、真っ直ぐに見ていた。
「……そこで何を?」
目を凝らすように細めている彼の様子から、彼は誰かがそこにいることは察知しているが、それが私であるとはわかっていないと悟る。
息を殺してベイルの出方を伺うと、彼はちっと舌打ちした。
「……この私が姿を視認できないほど、精巧な遮蔽魔法を操れる人物……」
ベイルはぶつぶつと何か呟き、それから忌々しげに顔を歪めた。
「ジャック先生かレイン、もしくはスカーレット……」
私の名前が出てぎくりとする。
「……いずれにしても、ここに忍び込んだ時点で終わりだ。悪く思うなよ」
ベイルはすっと右手を掲げた。
攻撃魔法を放つつもりだと、悟った瞬間に私は右手を振り払う。
「防御魔法!」
唱えた瞬間に、私の魔力が渦を巻いて壁となり、ベイルが放った攻撃魔法を全て受け止めた。
このままではまずい。
咄嗟に防御魔法を唱えたため助かったが、そもそも学園内で魔法を使った私闘は禁じられている。
このままベイルと戦えば、大事になりかねない。
「……転移魔法」
私は小さな声で唱えて、その場から一瞬で移動したのだった。
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