伍:修羅場
コルトは、その碧の瞳を細めて、私に向けて声を荒らげた。
「シャルロットがここまで懇願しているんだ! 希望を叶えて虐めてあげたっていいじゃないか!」
「……は?」
「そして、その次は僕だっ! シャルロットの熱意に免じて、一番手は彼女に譲ろう! でも、二番目は譲れないっ!」
ずいずいと詰め寄って来るコルトに、私は思わず後退る。
「ええ……そんなことを言われましても……」
困り果てて、他の面々を見るが、彼らも完全にドン引きしている。
自国の王太子の御乱心を目の当たりにすれば当然の反応である。
「……まぁ、ご本人たっての希望であるなら、一発くらい引っ叩いて差し上げても良いのでは?」
とんでもないことを言い出したのはミュラーだ。
呆れた様子で頬を掻き、私をちらりと一瞥する。
「なっ! 何を仰るのですか!」
「ん-、でも、王太子殿下がここまで言うなら、それしか方法がない気も……」
そう言って唸るのはフランク。無責任にいじめを助長するようなことを言うなよ。
それにしても、この流れはまずい。非常にまずい。
その気になれば二人を引っ叩くなんて造作もないが、そうした瞬間に「シャルロットを虐めた」「王太子に暴力を振るった」ということが事実になってしまう。
婚約破棄、不敬罪で処刑されるには充分な理由だ。
もしも、実はコルトとシャルロットが想い合っていて、私に責を負わせて婚約破棄することを目論んでいるとしたら、この懇願に応えてはいけない。
応えた瞬間、自分の首を絞めることになるのだから。
「……コルト様は、そうまでして、私を悪者にしたいのですか……?」
私が、絞るようにそう尋ねる。
自分でも、泣きそうな顔をしているのがわかった。
コルトがシャルロットに想いを寄せるのは仕方がない。ゲームではそれが王道のシナリオだったのだから。
しかし、それで私がシナリオ通りに動かないからといって、虐めるように命令してくるなんて、私を馬鹿にするにもほどがある。
「……私には、できません。そんなことをなさらずとも、婚約破棄なら、どうぞご自由にしてください……」
私はそれだけ言い捨てて、逃げるように生徒会室を飛び出した。
「スカーレット様っ!」
誰かが私の名を呼び、駆け出して来るのを感じた。
私は咄嗟に、廊下の窓を開けて飛翔魔法で空へ逃げる。
情けない。悔しい。悲しい。
そして何より、意味がわからない。
色んな負の感情が綯い交ぜになって、収拾がつかない。
とにかく今は、一人になれる場所へ行きたい。
しかし、魔法学校の生徒は、校則によって、原則外へ出ることはできない。
強大な結界魔法が施されており、外出の際には必ず学校側の許可を得なくてはならないのだ。
仕方がないので、私は学校の敷地内で一人になれる場所へ行くことにする。
「……ふぅ」
降り立ったのは、校舎の中心にある、鐘楼の屋根の上だった。
先程放課後を告げる鐘が鳴ったので、次に鳴るのは明日の朝だ。しばらくは静かである。
屋根の上に座り、膝を抱えて額をつける。
「どうしろっていうのよ……シャルロットを虐めて? その次はコルト様を虐める? そんなこと、できる訳ないじゃない……そんなことしたら断罪まっしぐらよ……」
「本人たちが望んでいるんだから、流石にそれで断罪はされないんじゃないですかね」
「っ!」
急に声が降ってきて、ぎょっとして振り返る。
そこには銀髪に緋色の瞳の長身の青年、グレイヴが立っていて、私を見下ろしていた。
「ぐ、グレイヴ様……!」
彼は伯爵家令息なので私の家よりも身分は下だが、彼の父君は現役騎士団長として指揮を執る優秀な人物であり、彼もその後継の呼び声が高いため、敬意を表して様付で呼んでいる。
「ど、どうしてここに……?」
「飛翔魔法くらいなら俺でも使えますから。すみません、追いかけてきたりして」
彼は少しだけ申し訳なさそうに眉を下げた。
「いえ……でも、一人にしてくださいませんか?」
「わかりました。でも、これだけ聞かせてください」
「……何でしょうか?」
「以前生徒会室の前で呼び止めた時に聞こうとしていたことなのですが……スカーレット様は、コルト殿下のこともシャルロット嬢のことも虐めたことはなく、今後もそのつもりはないということでよろしいですね?」
「え、ええ、それは勿論……」
「では、俺が責任を持って、シャルロット嬢が流した噂は訂正しておきます」
優しく微笑んだ彼に、思わず目を瞬いてしまう。
「え……グレイヴ様が、どうしてそんなことを……?」
「シャルロット嬢の言動は、正直完全に常軌を逸している。貴方がそれに巻き込まれて傷つくところを、俺が見たくないんですよ」
真摯な眼差しでそう言い、彼は身を翻して屋根から飛び降りて行ってしまった。
「ええ……ずるいよ、そんなの……」
推しキャラにそんな風に優しくされて、好きにならない訳がない。
次に会う時、どんな顔をしたら良いのだろう。
私はまた別の原因によって、混乱してしまった頭を、必死に整理する羽目になってしまったのだった。
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