弐:平穏な学園生活
入学式以降、私はヒロインと物理的に距離を取り、一切関わらないようにしていた。
当然、ゲームでは発生していた嫌がらせイベントが起きるはずもなく、至極平穏な日々が過ぎていった。
そんなある時、校内を移動している際に、裏庭でコルトとシャルロットが談笑している姿を目にした。
ふむ、私が何もしなくても、二人の仲は順調に進んでいるのか。
それはそれで良いことだ。
その調子で仲を深め、コルトの心変わりという有責で婚約破棄となれば万々歳だ。
私は鼻歌混じりに足取り軽く、その場を離れていった。
しかし、その翌日には、二人の逢瀬を見たという噂が校内を駆け巡り、私の親しい友人である伯爵令嬢のジェーンが心配した様子で声をかけてきた。
「スカーレット様、大丈夫ですか? ご婚約者が別の女子生徒と親密だなんて噂を聞いたら、ショックだとは思いますけれど、気を確かにおもちくださいませ!」
金髪碧眼で絵に描いたようなお嬢様であるジェーンは、ゲームでもヒロインのお助けキャラとして登場するが、何故か現実ではシャルロットではなく私の方が彼女と親しくしている状況だ。
「ああ、大丈夫よ。心配してくれてありがとう、ジェーン……でも、良いのよ。私は、もしもコルト様に他に愛する方がいらっしゃるのなら、大人しく身を引く覚悟はできているから」
物分かりのいい婚約者を演じてそう答えると、ジェーンは涙目になって「何て健気な……!」とか言い出した。
「……それにしても、シャルロットさんの行動は目に余りますわね」
「うん? そうかしら?」
ジェーンの口振りに、思わず首を傾げる。
関わらないようにしていたこともあり、彼女の日頃の様子は知らなかった。
「ええ。コルト殿下だけではなく、公爵家嫡男のベイル様、騎士学科主席で騎士団長候補のグレイヴ様、魔法学科主席のレイン様、神官候補のミュラー様、手広い商業で国内有数の資産を築いた伯爵家のご子息フランク様、新任教師のジャック先生といった、様々な殿方と親し気にしている姿が目撃されています」
「えぇ……」
今上がった名前、それは全員ゲームの攻略対象キャラだ。
シャルロットはてっきりコルトルートに入ったのだとばかり思っていたけど、他のキャラクターとも親し気にしているということは、まさか裏エンディングの逆ハーレムを狙っているのだろうか。
そうなると厄介だ。
逆ハーエンドでは、悪役令嬢スカーレットは攻略対象全員から恨みを買って、断罪時点で首を斬られ、魔法で焼かれて死ぬという、悲惨な最期を遂げるのだ。
だが、逆ハーエンドは裏エンディングといわれるだけあって、難易度はとても高い。
全員の好感度を百パーセントにし、更にヒロイン自身の魔法レベルも最高に引き上げなければならない。
全ての選択肢を間違わずに進め、あらゆる条件で発生する全てのイベントを網羅することが絶対条件であり、当然ゲームでは悪役令嬢からの虐めに対する選択肢も登場する。
私がヒロインを全く虐めていない以上、その選択肢など登場しないはずだ。だがもしも、虐めていない時点で、不戦勝のように選択せずとも正解を選んだような扱いにされてしまうのだとしたら。
後者だとしたら非常にまずい。既にヒロインは逆ハーエンドへ着実に進んでいることになる。
「……どうしよう……もういっそ逃げ出す……?」
ぶつぶつ呟きつつ頭を抱えた私に、ジェーンがずいと身を乗り出した。
「ご安心ください! スカーレット様! 私がシャルロットさんに苦情を申し入れますわ!」
「ええっ? そんなことしなくて良いのよっ?」
慌てて制止しようとしたところで、教室に噂のシャルロットが入って来た。
まずい、と思った時には遅かった。
ジェーンがつかつかとシャルロットへ歩み寄り、目の前で仁王立ちになった。
「シャルロットさん、もう少し身の程を弁えた行動をすべきでは?」
「身の程を弁えた行動?」
彼女はきょとんと目を瞬いている。
あー、そうそう。いつの時代もモテるのはこういう女だよな、となんだか冷めた気持ちになる。
「コルト王太子殿下には、スカーレット様という婚約者がいらっしゃるのです! それなのに不躾にすり寄るなんて……!」
「ジェーン、いいのよ」
私が彼女の肩を叩いて首を横に振ると、反論しようとしたジェーンよりも早く、シャルロットが声を上げた。
「何でよっ! 良くないでしょうっ? 婚約者に手を出されているのよっ? 何でそんな冷静なのよ! おかしいでしょうっ?」
「……は?」
ヒロインらしからぬ言葉遣いと物言いに、思わず間の抜けた顔をしてしまう。
彼女はだんと足を踏み鳴らした。
「折角憧れのスカーレット様に虐めてもらえると思って、頑張ってコルト殿下にすり寄ってるのに、スカーレット様は全く動じない! どうしてですか! もっと私を罵倒して! 踏んだり縛ったり殴ったりしてくださいよっ!」
「……ちょっと何言ってるかわからないわ……」
思わずドン引きして額を押さえる私に、シャルロットは更に鼻息を荒くする。
「私は! スカーレット様に虐められたいんですっ!」
「何でよ!」
思わず声を張り上げて突っ込んでしまうくらいには意味不明だ。
他の生徒も、彼女のとんでもないぶっ飛び発言に心底驚いている。
私は一度息を整えてから、ゆっくりと口を開いた。
「……私はセレラトス侯爵家の人間として相応しい行いを心掛けています。たとえ相手が自分より身分が低いとしても、罵倒したり暴力を振るったりなどということはいたしません」
至極冷静に答えると、シャルロットはこの世の終わりかと思うくらい愕然とした顔をして、身を翻すと、とぼとぼと去っていってしまった。
「……何だったのでしょう……虐められたいだなんて、とても斬新なことを仰っていましたが……」
ジェーンもかなり困惑している。当然だ。
しかし、シャルロットの奇行はこれから始まってしまった。
顔を合わせる度に何かを期待した目を私に向け、私が素知らぬ顔をすると露骨に肩を落とす。
果ては廊下を歩く私にわざとぶつかって来るという、逆に私が嫌がらせを受ける側に変わってしまった。
「私に虐められたいとか言っておきながら、逆に私を虐めに掛かってない……?」
何が何だかわからずにいると、放課後にコルトから呼び止められた。
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