玖:乱入
魔法陣がくっきりと浮かび上がる。古い魔術書で見た、殲滅魔法の魔法陣だ。
呪文の詠唱前に魔法陣が反応したことからして、魔法陣は事前にジェーンが仕込んでいたのだろう。
禁術とされる高等魔法でも、下準備がきちんとされていれば成功の可能性は上がる。
しかし、それでも高等魔法だ。完全に発動するまで、少し時間が掛かるらしい。
とはいえ、既に標的と定められた私が逃げ出したとしても、殲滅魔法が発動したら何処まででも追ってくるだろう。
まずい、このままでは、本当に骨も残らずに死ぬことになる。
最大出力の防御魔法で、果たして殲滅魔法を防げるだろうか。
わからないが、やるしかない。
「防御魔法……!」
私が唱えると同時に、ジェーンの殲滅魔法が発動した。
超強力な魔力の刃が、一撃で私の防御魔法を貫通する。
駄目だ、死ぬ。
魔法の刃が私の眼前に迫る。
まさに、その時。
凄まじい魔力の塊が、剛速球のように屋敷の外から飛んできた。
それは轟音と共に壁をぶち破り、大きな穴をあけてこの部屋に光をもたらした。
「……シャルロットっ?」
その穴の中心に立っていたのは、意外にもシャルロットだった。
「スカーレット様! ご無事ですか!」
飛び散った瓦礫が床の魔法陣を乱したからか、いつの間にか殲滅魔法の効力が消えていた。
魔法陣を乱せば発動した後でも殲滅魔法の効果は無くなるのか。知らなかったが、覚えておこう。
「え、何で貴方が、ここに……?」
「寮の前で、グレイヴ様が血相変えていらしたので事情を聞いて……グレイヴ様も間もなくいらっしゃると思いますよ」
ここはマリクス殿下が張った結界の中なのに、私の居場所を突き止めただけでなく、結界諸共壁をぶち破って入ってくるとは。
ゲームの公式の設定では、シャルロットは類稀な魔力の持ち主であるとなっていたが、実際のところ、魔法の授業の成績はイマイチだったはず。
とはいえ、それはあくまで技術の話。
もしかしたら彼女は、緊急事態に火事場の馬鹿力的に能力を開花させるタイプなのかもしれない。
「しゃ、シャルロット……!」
ジェーンが愕然と後退る。
「っ! 邪魔をするなっ!」
再び右手を掲げる。だが、魔法陣が崩れた今、殲滅魔法はもう使えないはずだ。
しかし何かしでかす可能性を考慮して、私は脚に魔力を込めてジェーンとの間合いを詰めた。
そして、その頬を思い切り引っ叩く。
「ぶっ!」
「いい加減にしなさい! アンタの自分勝手な考えで、私だけでなく、劇場に来ていた他の人まで危険に晒されたのよ!」
渾身の力で叩いたこともあり、彼女は吹っ飛んで床に転がった。顔を上げた時には、左頬は真っ赤になっていた。
伯爵令嬢である彼女が頬を叩かれるなんて、間違いなく人生初体験だろう。
私の背後でシャルロットが「ああっ! なんて羨ましい! ジェーン様だけずるいですっ!」とか言っているのが聞こえたけど、気のせいだと言い聞かせて無視する。
当のジェーンはというと、一瞬唖然としてから、状況を理解したらしく、わなわなと震え出した。
「よくも……! 私の顔を……! 許さないっ! 攻撃魔法!」
右手を振り払って唱えてきたのは、、シンプルな攻撃魔法だった。魔力が刃と化して私に襲いかかる。
が、私は後ろへ飛び退き、防御魔術でそれを難なく防ぐ。
と、その時。
「何をしている!」
聞き覚えのある声と共に、私の前にひらりと誰かが立ちはだかった。
その人に、ジェーンの魔力の刃の一つが掠り、頬から一筋の血が流れた。
それを目の当たりにしたジェーンの目が、大きく見開かれる。
「……あ、ぁ……で、殿下……!」
そこに立っていたのは、先程出て行ったマリクス殿下だった。
「プロディトル伯爵令嬢、スカーレット嬢に何を?」
マリクス殿下の声色はこれまで聞いたことがないくらい、低く冷たい響きを帯びていた。
彼の姿を見たジェーンが、青褪めて震え出す。
「で、殿下、ち、違うのです……! こ、これは……!」
「僕を差し置いてスカーレット嬢に頬を叩かれるとは許し難い……!」
なんだか既視感を覚えるセリフだ。
まさか、マリクス殿下が私に執着していた理由って、シャルロットやコルト殿下と同じなのだろうか。
だとしたら非常に嫌だ。残念極まりない。国の王子二人が、どちらも女に殴られたり罵られたりしたいというドMの変態だなんて。
「マリクス殿下……? 何を……?」
おずおずと口を挟むと、彼ははっとして一度咳払いをした。
「……どのような理由があっても、君は王族である僕に怪我を負わせた……この意味はわかっているな?」
王族に対する暴行や障害行為は、不敬罪も適用されるため、原則極刑だ。
攻撃魔法の範囲に飛び込んで来たくせにそれをいうのか。とんだ当たり屋じゃないか。
そう思ってもこの状況では流石に口には出せない。私が成り行きを見守っていると、シャルロットがさっと私とマリクス殿下の間に割って入った。
「……君は? どういうつもりかな?」
「マリクス殿下にご挨拶申し上げます。シャルロット・プリンシパルと申します」
「……例の男爵令嬢か。僕は君に感謝しているんだよ。君のおかげで、兄上とスカーレット嬢の婚約が白紙になったと聞いているからね……だから、今退くなら不敬罪には問わないであげるよ」
頬の血を手の甲で拭いながら、マリクス殿下はゆっくりとこちらに歩み寄って来る。
そんな彼を、シャルロットはきっと睨みつけた。
「スカーレット様が望まれていない以上、私は反対します!」
シャルロットはどうやら、マリクス殿下が私を誘拐した理由を知っているらしい。
「君に反対する権限なんてないと思うけど……どうするつもりだい? まさか、王族である僕にたてつく気かな?」
自分に反抗的な態度を取れば不敬罪とみなす、と言外に匂わせる殿下に、シャルロットは小さく舌打ちした。
おいおい、相手は王族だぞ。舌打ち一つで下手したら不敬罪になりかねないのに、何してんのよ。
と思ったが、幸い殿下の耳には届かなかったらしい。
「スカーレット様のお相手は、スカーレット様自身がお決めになります! それと、言い忘れましたが、私は今、コルト殿下の勅命を受けてここにいるんです」
最後、シャルロットはにっこりと笑って右手を突き出した。
「束縛魔法!」
刹那、マリクス殿下は体の自由を奪われてその場に硬直した。
まさか王族である自分にそんなことはしないだろうとタカを括っていたらしい殿下が言葉を失う。
「な!」
「コルト殿下の命令はこうです。『スカーレットを誘拐した犯人を捕らえろ。相手が誰であっても。抵抗する場合は多少痛めつけても構わない。僕が許可する』……つまり、これは正当な魔法行使です」
王太子が命じてそれに従ったのだとしたら、シャルロットが罪に問われることはないだろう。
マリクス殿下が私を誘拐したのは事実なのだから。
と、そこへ、飛翔魔法で飛んで来たらしいグレイヴが壁の穴から入って来た。
「スカーレット様! ご無事ですか!」
駆け寄るグレイヴを見て、心底ほっとする。
「ええ、大丈夫よ」
「よかった……コルト殿下もすぐにいらっしゃいます」
「コルト殿下も……?」
グレイヴの言葉通り、すぐに王立騎士団を率いたコルト殿下が、プロディトル伯爵家の別荘だというこの屋敷までやってきた。
屋敷は制圧され、マリクス殿下に怪我を負わせたジェーンは逮捕、侯爵令嬢である私を誘拐した罪で、マリクス殿下も城へ連れ戻されることになった。
国王以外の王族が罪を犯した場合、罰を下せるのは国王のみだ。
国王陛下は、私とコルト殿下の婚約破棄の時も、事情を聞いてコルト殿下に怒ってくださったから、きっと今回もマリクス殿下にはそれなりの沙汰を下すことだろう。
私はようやく、深々と息を吐き出したのだった。
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