捌:黒幕
周りに景色が戻った時には、全く別の場所にいた。
薄暗いが、高そうな調度品が並んでいるのが見え、貴族の屋敷の中であることが窺える。
強制召喚魔法か。
強い魔力を持つ私を強制的に呼び付けられるなんて、相手もかなり強い魔法使いだということ。
警戒しつつ辺りを見回すと、少し離れたところに術者であろう人影が見えた。
「……マリクス、殿下……?」
そこには、先程劇場で別れたばかりの第二王子が立っていた。
「やぁ、スカーレット嬢、さっきぶりですね」
昏く微笑む殿下を見た瞬間、背中を氷塊が滑り落ちたような心地がした。
私が知っているマリクス殿下は繊細な印象で、こんなヤンデレ感満載の表情を浮かべるような人物ではなかった。
ゲームの続編をプレイできていないことが悔やまれる。彼の公式設定はどうだったんだろうか。
「……私に、何か御用でしょうか?」
「ええ、本来はきちんと手順を踏んで、貴方の父君に婚姻の申し込みをすべきところを、少々事情が変わりまして……手荒なことをしてすみません」
「婚姻の申し込み?」
眉を顰める私に、殿下は何故か恍惚の表情を浮かべた。
「ええ、兄上との婚約が破棄された今、貴方を妃にするのは僕です」
「何故私を? 殿下には婚約者の候補が何名もいらしたはずです」
「僕は貴方が良いんですよ、スカーレット嬢……完璧な淑女である貴方こそ、僕に相応しい」
ええ、まさかのマリクスはヤンデレ属性のメンヘラだったのか。
それで一作目の悪役令嬢にご執心とは、流石に公式のシナリオにもないだろうに。
さて、この状況をどうするか。
相手は第二王子。下手なことをすれば不敬罪になりかねない。
「……お言葉ですが、マリクス殿下、私はコルト殿下との婚約が破棄となった時、父から次の結婚相手は自分で決めて良いと言われています」
それは事実だ。
あの後、父からの手紙で、婚姻の申し込みをしてきている貴族の名前が一覧で届いた。
そして、その中からでなくても良いので、相手は自分で決めなさいと記されていたのだ。
「私は、私より強い人と結婚したいと思っています」
「スカーレット嬢より、強い……?」
マリクス殿下は目を瞬き、そしてふっと笑った。まるで馬鹿にするような笑い方だ。
「……なら、僕は問題ありませんね」
「そう思いますか? 魔力の強さのことではなく、剣や拳を交えた戦闘での強さのことですよ?」
問い直すと、マリクス殿下は怪訝そうな顔をして私を見た。
彼はどうやら、私が剣を扱えることを知らないらしい。学園の生徒ではないから当然といえば当然か。
「スカーレット嬢は、剣の心得がおありなのですか?」
「心得という訳ではありませんが、少なくとも騎士学科の生徒と互角以上に渡り合えるくらいの腕はありますわ」
嘘だと思ったらしく、殿下は鼻を鳴らした。
「……いずれにしても、王命という形を取れば、貴方は僕のモノになる。それまで、貴方にはここにいていただきます」
王命、つまり国王陛下からの命令。
今のマリクス殿下の言葉から察するに、まだ国王陛下はマリクス殿下と私の結婚を認めていない、もしくはその話自体を聞いていないのだろう。
国王陛下の許可が下りる前に私が他の誰かと正式に婚約したら、いくら王命と言えど無理矢理引き離してマリクス殿下と結婚させるのは難しい。
厳密には、別の誰かと婚約していたとしても王命となれば従わざるを得ないのだけど、マリクス殿下にも婚約者候補がいる中で、私を婚約者から奪うような真似をすれば、他の貴族からの不信感を招きかねない。
だから、私が他の人と婚約する前に、マリクス殿下は私を手に入れようとした、ということか。
「……では、また後程迎えに来ますので、それまでどうぞ寛いでいいてください」
マリクス殿下はにっこりと微笑んで、部屋を出て行ってしまった。
何とかしてここから逃げ出し、父に報告しなければ。
父は現宰相だ。流石に、私の意思を無視した王命など、発令させる前に国王を説得してくれるはず。
しかし、気配を探る限り、この部屋には結界魔法が施されていることがわかる。
中から魔法を使って出るのは難しそうだ。
どうしたものか。
視線を巡らせた、その刹那。
ドアが開き、誰かが入って来た。
金髪碧眼の見慣れたその姿は、友人のジェーンだった。
助かった。彼女が助けに来てくれたのか。
一瞬そう思ったが、すぐにそれが疑念に変わる。
何故彼女がここにいるんだろう。
私が強制召喚によって攫われたのは、ほんの数分前。
それを知るのは、現場に居合わせたグレイヴと、あの猟師の男、そして呼び寄せた張本人のみ。
「……ジェーン? どうして、ここに……?」
「ここはプロディトル伯爵家の別荘ですの」
「……え?」
つまり、プロディトル伯爵家は、第二王子派だったということだろうか。
あの魔物脱走事件で私の暗殺計画があったことが露見し、父が第二王子派に属している貴族を調べ上げていたが、プロディトル伯爵家の名前はなかったはずだ。
「……何をするつもり?」
警戒して彼女から距離を取りながら尋ねる。
と、彼女は忌々し気に顔を歪めた。
「邪魔なお前を殺すのよ! お前さえいなければ、マリクス殿下は私と結婚してくださるはずなの! コルト殿下の婚約者だったから、未来の義姉になると思って我慢して友人関係を維持していたけど、コルト殿下との婚約がダメになったからってマリクス殿下と結婚しようだなんて、絶対に許さない!」
いつもの丁寧な口調とは打って変わった攻撃的な言葉遣いに驚く。こちらが本性か。
「……まさか、ミュラーとフランクと一緒に、私の暗殺計画にも関わっていたの?」
「ええ。あの間抜け共、肝心なところで失敗して……コルト殿下の婚約者でいるうちは殺すつもりもなかったのよ。貴方の暗殺未遂でコルト殿下が廃太子となれば、それで良かったのに、まさか王太子は継続のまま婚約破棄になるなんて……!」
なるほど、だからコルト殿下との婚約が破棄されてから、私への殺意が芽生えたのか。
「私はマリクス殿下と結婚するつもりなんて微塵もないわ」
「わかっているわ。お前はあのグレイヴがいいんでしょう? あんな緋眼のどこがいいのかわからないけど、お前があれと上手く行くならそれでいいと思っていた……まさか、マリクス殿下が、そうなる前にお前との結婚を決めてしまおうだなんて言い出さなければ……!」
それで私を殺そうとしたのか。
急ぐあまり、プロの暗殺者に依頼する余裕がないほど。
伯爵令嬢といえど、ジェーンは学生だ。急遽暗殺者を雇うだけの金は用意できない。
あの猟師に依頼したローブの男というのは、おそらくジェーンが変化魔法で姿を変えたのだろう。
魔法学科でも比較的成績優秀なジェーンなら可能なはずだ。
そして、劇場でシャンデリアを落としたのは、おそらくジェーン自身。
気配を絶って忍び込み、攻撃魔法をシャンデリアに当てたのだろう。劇場を経営している家の令嬢なら、劇場に入り込むのも容易だ。
「……私を殺すと? ここで?」
「そうよ。ここなら、全ての証拠を消せる」
ジェーンは右手を掲げた。
その刹那、部屋の床に魔法陣が浮かび上がった。
「殲滅魔法!」
「な……!」
それは超強力な攻撃魔法だ。
標的を焼き尽くし、骨まで残さないとされているが、強力過ぎるあまり制御が難しく、国が禁術と定めているほどの。
彼女の声に呼応して、魔法陣が更に光を強めた。
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