弍:気晴らしの誘い
その日から、常に周囲を警戒する毎日が始まった。
これがなかなか神経をすり減らすため、非常に疲れる。
「……スカーレット様、大丈夫ですか? 随分お疲れのご様子ですけれど……」
週末を直前に控えた今朝、登校した私の顔を見たジェーンが心配そうに声を掛けてきた。
「ええ、大丈夫よ。ありがとう、ジェーン」
私が笑みを浮かべて返すと、彼女は何か言いたげな顔をし、それから何か思い出した様子で顔を上げた。
「そうでしたわ! スカーレット様、明日のご予定は空いてらっしゃいますか?」
「明日? ええ、試験勉強をしようと思っていたくらいで、特に何もないけど……」
そう答えた私に、彼女は二枚の紙切れを差し出してきた。
「もし良かったら、気晴らしにどうぞ」
「……これ! 今話題の演劇じゃない! 予約待ちでチケットなんて全然取れないって聞いていたのに……」
それは今王都で流行っているという劇団の最新公演のチケットだった。公演日は明日。
何でこんなものを、と思った矢先に思い出す。ジェーンの生家であるプロディトル伯爵家は、王都の劇場を経営しているのだ。
「最新公演がたまたまうちの劇場でしたので、お父様が融通してくださったんです。私は先週観劇しましたので、スカーレット様は是非、グレイヴ様とどうぞ」
「な、なんでそこでグレイヴが出てくるの?」
思わぬ提案に驚くと、ジェーンはふふ、と微笑んだ。
「最近のスカーレット様に言い寄る男子生徒の中で、唯一スカーレット様があしらうことなく普通に接していらっしゃるんですもの」
何だか私の気持ちまで見透かされた気がして恥ずかしくなる。
と、噂をすればなんとやら。グレイヴが私を訪ねて魔法学科の教室までやってきた。
「おはようございます、スカーレット様。ジャック先生からの伝言ですが……」
連絡事項を伝えようとしてくれたグレイヴに、ジェーンがすっと近寄ってチケットを渡す。
彼はそれを受け取りつつも、訳がわからない様子で首を傾げる。と、ジェーンは何かを囁いて微笑んだ。
察したグレイヴがぱっと笑顔になり、私にずいと詰め寄ってくる。
「スカーレット様、是非俺と行きましょう! 明日の朝十時に、集会棟まで迎えに行きます!」
「え、えぇ……?」
驚いて声が漏れたのを肯定と受け取ったのか、グレイヴは満足そうに頷き、去っていってしまった。
「……外出申請しなきゃ」
思わず呟いた私に、ジェーンが待ってましたとばかりに申請用紙を突き出してくる。全く準備がいい。
基本的にこの魔法学園は全寮制で、許可がなければ外へは出られない。
だが、週末になれば買い出しに行く者も多く、基本的には申請さえすれば許可はすんなり降りるものである。
「グレイヴ様と、初デートですわね」
してやったり、とばかりに笑うジェーン。
まだグレイヴからの告白の返事もしていなければ、婚約の申し込みも受けていない。私とからの関係は非常に曖昧だ。
一応、あの後父から連絡がきて、グレイヴの家であるエクエス伯爵家から正式に婚約の申し出があったと聞いた。
ただそれをしばし保留にしてもらっているのだ。
保留の理由、それは、ここが恋愛シミュレーションゲームの世界で、彼は主人公であるシャルロットの攻略対象であり、一方の私は悪役令嬢であるためだ。
ゲームのどのシナリオにも、悪役令嬢スカーレットが、騎士団長候補のグレイヴと結ばれるルートは存在しない。
それなのに、私が彼と結婚して良いのか、まだ踏ん切りがつかないのだ。
本音を言えば、推しキャラからの熱烈な求婚、舞い上がって即承諾したいくらいだが、そうすることで彼の身に悪いことが起きないとは限らない。
うーん、と唸る私にジェーンはにっこりと微笑む。
「あまり難しく考えず、まずは演劇を楽しんでいらしたら良いと思いますわ」
「……それもそうね」
実際、既にゲームのシナリオからは完全に逸脱している。
誰のどのルートにもなかった魔物脱走事件が起き、最終的にヒロインが誰とも結ばれていないのに、私と王太子であるコルト殿下の婚約は破棄された。
しかも、魔物脱走事件の犯人は、主人公の攻略対象であるはずの、神官候補のミュラーと、資産家伯爵家の息子で商業科のフランク。
彼らを抱き込んだのは、第二王子マリクス殿下を次期国王にと推す派閥だという。
それら全て、ゲームの中では起き得なかったことだ。
もし私とグレイヴの婚約、結婚がシナリオにないことだとしても、そもそもその前の時点から逸脱している以上、もう私にはどうにもできないのではないだろうか。
そこまで考えて、ふと思い出す。
ヒロインのシャルロットも、私と同じ前世もちで、ゲームのことを知ってるらしい。
前世の彼女がゲームをプレイしていたかどうかまではわからないが、もし死んだタイミングが私とはずれていたら、続編に関する記憶を有している可能性があるかもしれない。
後でシャルロットに聞いてみよう、そう決めて、朝の授業の準備を整えるのだった。
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