失われた感情
私の親はかなり変だった。家庭と親とひとつしか体験出来ない。よそのうちを眺めてもうちがどう変なのかは説明出来なかった。
40歳の私が感じるのは安心が欠けていた事だった。
精神科に呼ばれる様に通っていた頃確かに不安という言葉をよく使っている。薬の名前も抗不安薬、目に入る位置に不安が転がっている。安心できる薬と名前を変えても良いはず。
不安の対義語は安心だろうと思う。安心は経験してみないとわからない。家族以外との関わりの中に安心を感じたのでそれからは安心って何かなと思っている。
あたしんちというアニメ(まんが)をみたことはありますか。あのアニメに地に足が着くそのイメージで生活の根底に安心がしっかり土台としてある、と感じます。日々の様々な出来事は家族が想定内である事やその雰囲気から安心の上に乗った出来事として感じる。だから結局大丈夫って言う。例えあのアニメの中で誰か不慮の事故で死んだりしてもそれを受け止める安心が敷かれている気がする。
この揺るぎない感じはちびまるこやサザエさんといった家庭のアニメ、そこには感じない。
たまに見たくなります、あたしんち。
さて、私も実家に帰るとこの匂いほっとするとか(言ったこと一度もないですが)そんな年や立場でもなく、新しく実家を作る側にいます。
不安だった女の子だったお母さんは、娘たちからだいすき!をもらい長いこと空だった感情が涙と共に洗い流されたっぷりと新しいものが注がれていくのを体で感じます。本当にそんな毎日です。
努力よりも我慢よりも1番大事だった安心という背中を守ってくれるもの。私が私の帰る場所であり、それは家族に支えられて見守られています。
ここで区切りにしてみます。
読んでくださってありがとう。
たくさん書いて上手くなれば良いと思って続けています。