喜怒哀楽
怒りの表現方法を私は知らない。苦手としていた。怒りたいはずなのにぼろぼろと溢れる涙。これじゃあ怒りが相手に伝わらないじゃないかと自分が情けなかった。近年SNSなどでHSPの説明に私と同じ状態が載っていたりする。毒親育ちに詳しいカウンセラーのブログなどにも。
逆に楽しく無いのに笑ってしまう私もいる。もちろん自分でも笑顔を浮かべて世間を乗り切ったことを自覚もしている。
そして作り笑いであると気づいていない事も何個かあった。
私が冗談飛ばして笑っているのに1人だけ笑わずに私の目を心配そうに見ていてくれた人がいた。何人か居たのに笑わないのはその人だけだった。私はその人に自分を取り繕うと言うことをしないでいられると気づいた。髪がぼさぼさでも普通に笑顔が溢れる日もどちらも普通に会える人だ。(髪ぼさぼさの時は大抵人を選ぶ。閉じモードと呼んでいる)
そんな事も思い出しつつ笑顔の癖と怒りの表現について本を読んだりして探っている。それは今も続いている。
実母は認知症なのかも知れない。
私と会話がままならない日が続いたのち夜中に立ち上がって叫んでいたのだ。いつまで喋らないつもりだ!と。おそるおそる階段を降りて確かめると布団に入って寝ていた。
感情を刺激される出来事が続いて疲労した私は会話しないことにした。するとずいぶんと楽だった。今まで気を使い過ぎていたことにも気づけた。どんな話も持論にオチをつけられてとても会話では無かったなと思う。母の持論は暗かった。
女は結局子供を産むから男みたいな大仕事は出来ない。芸術家は男しかいないだろ、とか。ただ歩いた街並みなのにこの家の娘は駆け落ちして出て行っただの、未亡人になって家を建てただの本当にくだらない。何もかも自分の話に持っていかれる。最初の話はどこへ行ったんだ?と言う具合だ。
結局金があればいいんだ、とか。金がある方がいばれるんだとか。
私と兄が会話を楽しんでいると、母はやって来て
2人は芸術家同士だからなと言って去って行った。兄弟共に絵は好きだけど、絵の話してなかったけど。
普通の会話というのが母は出来ない。次第にやきもちも発生させる。兄と母はいまや長年暮らした老夫婦のコミュニケーションをとっている。私はそこへ子連れで来てしまったわけだ。