Common Sense and Nuclear Warfare
なんとはなしに、ステージ上の「彼」を見つめる。
この距離、周りはスタンディング状態でも、座ったままで見ようとすれば見れるのだから、よくできた構造である。
「カラフル」な音楽の中で思考を回す。
キラキラな「ギタリスト」。
まあ、少なくとも、やり方とか考え方ってのはあるし、相手のことを考えてないとは思わないけど、たぶん、この人、大幅に考え方がズレているんだろう、と、どことなく思う。
「チキンゲーム」における最適行動は、相手の行動に依存することである。「最適解」を「選択する」。gamblerでなければ「負けなければ勝ち」である。最後まで「生き残る」。
その意味で、この「ギタリスト」は「ビジネスにおける最適解」を選択し続けていける才覚は間違いなくあるのだろう。
大量に消費される情報社会。音楽的才能、努力だけでは生き残れない。「神に愛される」か「時流を読み切る」か「最適解を選択し続ける」か。
2人目以降のボーカリストに、他のギタリスト、みんなこのギタリストを「わがまま」と言っている。
そういえば、かのバートランド・ラッセルは、「亡くなる1週間前」のアインシュタインに「彼」の「意志」を汲んだとはいえ、署名を迫っていたな、と思い出した。
空気を読めない、というか、なら端から「わがまま」だと思って付き合えばいいのに。部下や上司、同僚が選べない会社員とは違う考え方なのだろう。誰だって、選べるなら選びたい。
ネット上で批判を浴びた「自殺した他のバンドのギタリストの代表曲」を持ち曲のようにしたという件も、視点を変えれば歌い継ぐことで忘れない、忘れないでほしい、という意思表示とも取れる。
他の言動が「ビジネス発言」すぎて忘れられているが、この「ギタリスト」、普通に「ロマンチスト」だと思う発言も多い。
なんというか、典型的な「誰が言ったか」案件としか思えない。ヴォーカリスト様がやったら許すんだろ?としか思えないところが、なんともはや、という感じである。
「ビジネスマン」としての「彼」。
「ギタリスト」としての「彼」。
「夢を追い続ける少年」のような「彼」。
確かに「多面的」だ。「わがまま」としか言えない。
まあ、日頃の行いってやつなんだろう、たぶん。