六、
「げ」
碧斗はぎょっとする。見つかってしまった。
「神楽様……」
吉野は狐から、小袖におさげ髪の少女に戻る。
「まさか、演技だったなんてね。僕としたことが完全に油断したよ。吉野まで手なずけるなんて」
口調こそ穏やかだったが、怒りが見え隠れしているのが分かる。嫌な予感しかしない。
「まぁいいや。時間が少し早まっただけだ。ねぇ、吉野?」
神楽に睨まれ、びくりと吉野の肩が震える。碧斗は吉野を庇うように前に出た。
「今から僕を楽しませてよ」
神楽が横に手をかざすと、木々からみしみしと嫌な音がした。神楽の手のひらに吸い込まれるように、長い氷柱が飛んできた。
「げ、何あれ」
何となく想像ができてしまい、碧斗は震えあがった。
「ねぇ神楽くん。それさ、投げつけてきたりしないよね?」
「言ったでしょ? 僕を楽しませてって」
神楽は案の定、氷柱を投げてきた。
「ひっ」
碧斗はすんでのところで避けた。
「まだまだいくよ」
今度はいくつも飛ばしてくる。
「吉野さん、危ない!」
とっさに碧斗は吉野を庇う。碧斗の頬を氷柱がかすめていく。
「え……」
鋭い痛みと、ぬるっとした感触にぞわりと恐怖が背筋を駆けていく。
「神楽くん、なんてことを……! 顔は役者の命!」
碧斗は本気で叫んだ。めまいがする。春には公演が控えているというのに! ……ちょい役だけれど。
「は? 知らないしそんなの」
馬鹿にしたようにあざ笑う神楽に、碧斗は雪玉を作って渾身の力で投げつけた。ひょいっと軽くよけられてしまう。
「抵抗しても無駄だよ」
神楽は、両手に氷柱を呼んだ。碧斗は怯む。
「大丈夫、すぐに殺しはしないよ。そうだなぁ、まずは両手両足を串刺しにしようかな」
不敵に笑うあやかし相手に、勝ち目などない。碧斗はとうとう覚悟を決める。夢だってあるのに。まだ鳴かず飛ばずだけど、主役を張れるくらいの、舞台俳優になりたかった。そして何より。
深世に会いたかった。最後に、一目だけでも。
「よけようとしないでね。――心臓に刺さったら、死んじゃうから」
神楽が容赦なく氷柱を投げつけてくる。一直線に碧斗へ飛んできた。
(深世、ごめん。君はもう俺のことを何とも思ってないかもしれないけど!)
碧斗は目を閉じて衝撃に備えた。
「……っ!」
痛々しい小さな声で、碧斗は目を開けた。
「吉野さん!」
吉野が碧斗の前に両腕を広げて立ちはだかっていた。ぐらりと後ろへ華奢な体が傾いた。碧斗は彼女を支え、両膝をついた。
「吉野さん! どうして、こんなことを!」
氷柱は吉野の肩を貫いていた。鮮血がとめどなく溢れてくる。
「神楽様に……これ以上、罪を重ねてほくなかったのです……」
苦しそうに息をしながら、吉野は言う。
「そんな……」
碧斗はとっさに傷口を押さえた。しかし血は真っ白な雪を染めていく。
「神楽!」
碧斗は神楽に顔を向ける。彼はさすがにたじろいでいる様子だった。
「……身を挺して人間を守るなんて、馬鹿なのか」
「馬鹿は君だ! どうして分からないんだよ! 吉野さんが倒れたのは、君のためだろ‼」
「……し、知らない! 吉野が勝手にしただけだ!」
神楽は吐き捨てるようにわめく。
「神楽様は……ちゃんと分かっていますよ。私が前に飛び出した時、氷柱の軌道を変えてくれました。私がどんくさくて、一本だけ刺さってしまいましたけれど」
吉野からどんどん血の気が引いていく。こんな状況になっても、主のことを庇うなんて。吉野の健気さに、胸が詰まった。
このままでは本当に死んでしまう。吉野を支えながら、碧斗はどうすることもできない。
「神楽! 君は強いんだろ。どうにかして、吉野さんを助けてよ!」
「……無理だ。傷をふさぐ妖術なんて、僕は知らない」
「くそ!」
碧斗は必死で傷口を押さえる。吉野の目から少しずつ光が消えていく。
「吉野さん! しっかり!」
碧斗が叫んだ時だった。しゃらんと鈴の音が聞こえた。
しゃらんしゃらん。
鈴の音は雪を踏む音ともにゆっくりと近づいてくる。碧斗は集落のほうへ目を向ける。誰かがこちらへ向かってきていた。