四、
「はい、神楽様」
「ちょっと待ってよ。さっき君、その羽衣踏んづけてたよね、思いっきり」
表情がない少女を見て、碧斗は抗議する。
「知っててわざとやったの?」
「ああ、そうだけど?」
「どうして。かわいそうだろ!」
「たかが奉公狐に優しくしてどうすんだよ。だから人間は嫌なんだ。自分たちのことを棚にあげて、きれいごとばっかり言うんだから。……何ぼうっと突っ立ってんだよ。さっさと持ってこいよ」
「はい、申し訳ございません」
吉野と呼ばれた少女は、表情一つ変えないまま姿を消す。
「……何だよ、その顔」
「絶対に勝負に勝ってやるからな」
勝ったら、吉野にもっと優しするように言わなければ。
神楽はふっと馬鹿にしたように笑う。いけすかない美少年だ。
少しして、吉野が戻って来た。胸に壺を抱えている。
「遅いよ、のろま」
「申し訳ございません」
「神楽くん、駄目だよ、そんなこと言っちゃ。――全然遅くないよ。大丈夫」
碧斗がフォローを入れても、彼女は無反応だ。
神楽は碧斗を嫌そうに一瞥した後、壺のふたを開ける。ぽんっという小気味いい音ともに、芳醇な香りが辺りに漂い始めた。
碧斗は目をしばたかせる。のぞいてみると、中は乳白色のどろっとした液体で満たされていた。
「まさかお酒?」
湯気がたっている。これは温まりそうだ。
「そうだよ、雪狐特製の甘酒。冬の花の蜜を入れてる。雪に濡れていればいるほど、甘い蜜が取れる。――勝負は、甘酒を多く飲んだ方が勝ちだ」
「まさかの酒飲み対決⁉」
碧斗は驚愕する。酒は強い方だが。
「君、お酒飲めるの? まだ少年なのに」
「何言ってるの? 僕はあやかしだよ? 関係ない」
確かにそうだ。吉野が湯呑に濁った酒をつぎ、それぞれに配ってくれた。
「ありがとう」
碧斗が言っても、吉野は無言だ。
「それじゃ始めるよ」
碧斗は湯呑に口をつける。ほどよく甘く、口当たりもなめらかで、どんどん飲めてしまう。そうして一杯目を飲み終わる前には完全に酔いが回ってしまっていた。
「な、なんかアルコール度数高くない、これ」
くらくらして立ち上がることもできない。たった一杯でこんなに酔ってしまうとは。
「もう終わり? つまんないなぁ、勝負にもならないや」
神楽はもう三杯ほど飲んでしまっていた。最初からこうなると踏んでいたのだろう。
「くそぉ……」
碧斗は呻くも、これ以上は飲めそうにない。
「じゃあ約束通り、君は僕の言うことを何でもきかないといけないよ。――僕が飽きるか、君が死ぬまでね」
「く……」
神楽は少しも酔っていない。どう考えても不利だ。どう転んだとしても、碧斗に勝ち目はなく、だからといって勝負に参加しなければここで凍死。
「と言っても、その体じゃ動けないだろうからつまらないな。今夜、また来るよ。甘酒で温まってるから、それまでもつでしょ。その間に、楽しい遊びを考えておくから。吉野、念のため、こいつのこと見張ってろよ」
「……神楽様。むやみやたらに、人間をたぶらかしてはいけないと、旦那様から言いつけられて……」
「なに? 僕に口答え?」
神楽にきつく睨まれ、今まで感情を表に出さなかった吉野が言葉を切り、初めて怯えたような顔をした。
「も、申し訳……」
ぱちんっ。
頬を叩く音が響き、吉野は床に倒れた。頬を押さえている吉野の手が震えている。
碧斗は彼女を庇いたくなる気持ちを抑えた。今は我慢だ。でないと、ばれてしまう。酔いが回ったのが演技だということに。
「申し訳ございません。どうか、お許しください……!」
すぐに床に手をついて、吉野は頭を垂れた。
「あんまり僕を苛々させないでよね。それでなくとも、お前は要領が悪い役立たずなんだから」
「はい……」
神楽は冷ややかに一瞥すると、拝殿を去った。