三、
「ひ……ごめんなさいごめんなさい! 許してください!」
碧斗は頭を抱えてうずくまった。これは祟りかもしれない。土足で踏み入ったから、神様が怒ったのかもしれない!
「……君は」
声が降ってくる。中性的な少年の声だ。顔を上げないまま目だけをあける。下駄を履いた足が見えた。
「ひぃ! すみませんでした! 外は雪の嵐でして、もうどうしようもなく屋根を借りようと……」
碧斗は小者然として床にひれ伏した。
「かわいそうに。寒かったでしょ?」
「はい、そうなんです! もう死ぬかと思いました!」
「もう大丈夫だよ。ここは安全だから」
なんて優しい神様だ。
碧斗は勇気を振り絞り顔を上げる。
優美な瞳と目が合う。白い水干に、浅葱色の裾を絞った袴。目を引く美しい濃紫の髪は、まっすぐに切り揃えられている。半透明の薄い布を頭から被っていた。なんて神々しいのだろう。その姿はまるで。
「……牛若丸」
碧斗は目をしばたかせた。年齢は高校生ほどだろうか。まるで舞台俳優のようだ。
あまりの美少年ぶりに、男の碧斗でさえ見つめてしまう。美少年は微笑を浮かべた。
「牛……? 僕の名は神楽。さぁ立って。もう雪はやんだよ」
にっこりと笑う少年は、扉を指さした。両扉が開くと、碧斗は目を細めた。白銀の世界が、陽光にきらきらと輝いている。
「う、わぁ……」
「さぁ行こう。一緒に。村まで案内してあげるよ」
「うん! ありがとう」
なんて優しい美少年だろう。
気持ちのいい高揚感だ。清々しい。これで、深世に会える。
(……待てよ。本当に深世に会えるのか)
碧斗は扉の外に出ようとしていた足を、はたと止める。都合がよすぎやしないだろか。考えてみれば、神楽だっておかしい。一体何者なのだろう。勝手に神様だと思っていたが。
「どうしたの? 行かないの?」
神楽は優美に微笑んでいる。
「俺は、鬼隠し村に人を捜しに来たんだ。本当に、村に案内してくれるの?」
「もちろんだよ。ちなみに捜し人はなんていう人?」
「一ノ瀬深世だ」
「お兄さん、その人の知り合いなの?」
心当たりがありそうな反応だ。
少し神楽の様子が変わったように見えたが、碧斗はうなずく。
「捜しに来たんだ。急にいなくってしまったから。もしかして知ってたりする?」
神社の神様なら、村の人たちのことを知っていても不思議ではない。
「ちっ」
碧斗はぎょっとして神楽を見る。
今、舌打ちをしたような。頬を引きつらせて、鼻持ちならない表情をしているような。
すると、突風が吹きつけた。刺すような冷気は、今まで穏やかな銀世界だった外から襲ってくる。完全に元の気候に戻っていた。一気に体温が奪われていく。碧斗は慌てて扉を閉めた。
「どういうことだ……?」
混乱していると、神楽は半透明の薄布をするりと頭からほどくと乱暴に床に叩きつけた。
「え」
美少年の変貌ぶりに、碧斗は唖然とする。
「なぁんだ。つまらない。せっかく羽衣まで用意して演出したのに」
「羽衣?」
「神々しくなるでしょ? これがあると。でも、もう必要ないや」
神楽はきれいな羽衣を踏みつけた。なんて美少年だ。
「君は一体誰なんだ」
碧斗は初めて相手を警戒する。
「僕は、雪狐さ。みんな、鬼隠し村の冬が好きで、なわばりにしてる」
にわかには信じがたいが、目の前で起こったことの説明がつかない。みんな、ということは冬狐と呼ばれる輩は多くいるということだ。
「僕らのなわばりに入って来た村外の人間は、そそのかして騙して遊んでいいって決まりなんだ。たまにやりすぎて死んじゃう人間もいるけどね。ま、運が悪かったってことだよ」
「なにその恐ろしい決まり! どうせそっちで勝手に決めたんだろ! じゃあ、俺のことも……?」
神楽の言うままに、外に出ていたら遭難していたかもしれない……。
「そうだよ。せっかく新しい人間が入って来たのに。だって巫女の知り合いなんでしょ?」
「巫女? 深世のことを言ってる?」
「そうさ。巫女は鬼隠し村の長。僕たちあやかしたちにとってもかけがえのない存在なんだ。だから、巫女の関係者に手を出すことは禁止されてる」
よく分からないが、深世のおかげで助かったということだろうか。
「巫女とはどういう関係?」
「付き合ってる。彼女だよ」
碧斗は胸を張って言う。
「つまんない嘘つかないでよね。巫女は春に祝言を挙げるんだから」
「しゅ、祝言!」
結婚する、というのは本当なのだろうか。いてもたってもいられなくなる。でも外は猛吹雪。
(くそ! 一体どうなってるんだよ!)
碧斗の蒼白な顔をみてか、神楽は怪しむ顔をした。
「ねぇ、お兄さん本当に巫女の知り合い?」
「知り合いも何も、彼女なんだって!」
相手は信じていない。疑いの目を向けくる。
「じゃあさ。百歩譲って、元、彼氏でしょ?」
「なんで百歩譲らないとならないんだ! 譲らなくても彼氏なの!」
「ふーん。お兄さん、けっこう顔はいいのに未練がましいね」
「……う、うるせー!」
だんだん腹が立ってきた。何なんだ、この小憎たらしいガキは!
「元彼なんだったら、別に気にしなくていいや。僕と遊んでよ」
「だから彼氏なんだって!」
「だったらこうしない? 僕との勝負に勝ったら、巫女のところに案内してあげてもいいよ。お兄さんのいうことなんでもきいてあげる。雪狐の僕が味方になったら何かと心強いでしょ?」
「本当?」
ころっと態度を変えて、碧斗は勢い込む。
「ただし、お兄さんが負けたら、僕の言うことなんでもきいてよ。――死ぬまで、ね」
妖しく神楽は笑む。ぞっとするものを感じた。
「ね、どうする? 勝負する?」
神楽はわくわくと尋ねてくる。
「勝負しない、っていう選択肢はないの?」
「勝負しないなら、ここで凍え死ぬけど、いい?」
碧斗は体が冷えっぱなしなのに気づく。たしかに、ここに居続けたら凍死する。
「なんだよそれ! とことん勝手だな! 完全に俺のほうが不利じゃん!」
「雪狐の縄張りに入ってきたのは、お兄さんのほうだよ?」
「好きで入ったんじゃないし!」
「ねぇ、どうするの?」
待ちきれないというように、神楽は問う。
「……分かった! その勝負、受けて立つ!」
深世に会うため。碧斗は覚悟を決める。
「分かった。……吉野!」
神楽は鋭く名を呼ぶと、先ほどの羽衣が一人でに舞い上がり、女性の姿となる。髪をおさげに編んだ、可愛らしい小袖姿の少女だ。神楽と同じくらいの年齢だろう。