十、
その二か月後、花迎ノ儀を迎えた。深世は帰ってこなかった。
伊冴耶が止めるのもきかずに、歌世は華麗に舞った。あんな光景を見たことがないほどに、美しかった。そうして、歌世は花迎ノ儀の数日後。伊冴耶が恐れていた通り、体調を崩し、あっという間に息を引き取ってしまった。
伊冴耶は、まるで眠っているような歌世に、そっとつぶやいた。
「私が愛した女はあなただけよ。後にも先にもね」
すべての話を聞き終え、碧斗は言葉を失っていた。まったく知らなかった。二年前に、そんなことがあったなんて。
深世が実家に帰っていたことも、一人で思い悩んでいたことも、姉が亡くなって葬式に行ったであろうことも、何も……。
「俺は、今まで何をしていたんだ……」
自分のことばかりだった。夢に向かって努力していたといえば聞こえはいいけれど、大切な人を放って置いて、夢だ理想だなんて愚かだ。振られて当然だ。
何を今まで思い上がっていたのだろう。
「深世は、ずっと一人で抱えていたのか。そんな重い事実を、たった一人で」
その時に、どうして一緒にいなかったのだろう。そばにいたなら、彼女を庇うことができたはずだ。たった一人でみじめな思いはさせなかった。
二年前の春ごろ、深世はどんな顔をしていた? 穏やかに微笑んでいた顔しか思い出せない。ちゃんと、彼女を見ていなかったからだ。本当は、苦しくて泣いていたに違いない。たった一人で、悲しみに打ちひしがれていたに違いないのに。
碧斗はぎゅっと手のひらを握り込んだ。
「伊冴耶さんが、深世を嫌う理由は分かりました」
いつも、ほんわかと柔らかく笑っていた深世。だけど、誰にでも心に闇はあるはずだ。深世の場合は、姉への感情に葛藤があったのだろう。
「……なぜ君が泣くの」
言われて気づき、碧斗はあわてて涙を拭った。
「それでも、俺は深世の味方です。振られても、もう会えなくても。ただ、その時に。自分がいなかったことが腹立たしくて……!」
伊冴耶はほどなくして、ふっと笑んだ。
「私はもう、深世のことを怒っていないわ。あの時の私も大人げなかったと思ってる。ただ、気まずくて。ひっぱたいてしまったし。でもあの子のために泣く君をみたらね……意地を張るのは、やめにするわ」
「伊冴耶さん……。あの、深世が死んだらいいと言ったから、歌世さんが亡くなってしまったと思いますか?」
碧斗は思いきって訊いてみた。深世の言葉には言の葉が宿る。それが彼女の能力でもある。
「どうかしら。まったくなかったとは言えないかもしれない」
「そうですか……」
深世は、そのことを気にしているのだろうか。優しい彼女のことだ。きっと思い悩んでいるに違いない。碧斗は胸が苦しくなる。
「君は本当に一途なのね」
伊冴耶はふいに店の奥へ消えると、すぐに戻って来た。
「これ。霊力入りの特製薬。あなたにあげるわ。好きに使ってちょうだい」
置かれた木箱の中には、怪しげな薬包が入っていた。疑いの目を向けているのが分かったのだろう、伊冴耶は言う。
「安心して。漢方薬よ。領収書は、後で右京に送るわ。これを持って帰らなければ、式神の使用人をクビにされてしまうのでしょう? それじゃあつまらないものね。君と深世がこれからどうなるのか、見届けたいし」
「伊冴耶さん……面白がってますね?」
彼女の表情は好奇心とわくわくであふれていた。
「ふふ。楽しみね。だから、もう泣かないの」
「もう泣いてませんし!」
「楽しみついでに言うけど、深世の婚約者は、右京よ。あの男は一筋縄ではいかないわね。ま、せいぜいがんばりなさいな」
「え、ええええ! あの真っ黒微笑み貴公子が、深世の婚約者⁉」
では初恋の人というのは、右京ということになる。
「深世って、ああいうのがタイプなのか……?」
違和感しかない。
「前は、あんなじゃなかったのよ。優しくて、笑顔が素敵だった。本当に、右京には気を付けて。歌世が亡くなってから、何だか近づきがたくなっちゃって。何を考えてるのか分からないから」
伊冴耶は意地悪く笑むと、「それじゃ」と、優雅に手を振って店の奥へと消えたのだった。




