四、
次に目を開けた時、清々しいほど青い空が広がった。
一瞬天国かと思ったが、碧斗はびしょ濡れで水際に倒れていたのだった。
寒さに体を震わせながら半身を起こすと、水面から顔を出した伊冴耶と目が合った。
「ひっ」
水の中から這い出た幽霊さながらの姿に、碧斗は心臓が止まりそうになる。
「やっと起きたのね」
「何をそんな冷静に! さっきから俺を殺す気ですか!」
「なんたって顔がいいもの。やっぱり助けてあげたわ。イケメンを抹殺するのは忍びないものね」
顔がよくてよかったと心底ほっとする碧斗だった。陸に上がった伊冴耶は、長い黒髪を片手で一撫でした。するとたちまち渇き、艶やかな美しい髪があらわになる。
彼女が袖をなでれば服も一瞬で乾いてしまう。
(人間とは思えない……)
口に出すと殺されそうなので、心の中でつぶやく。
反対に意識を取り戻した碧斗は、全身ずぶ濡れで寒さに凍えていた。
「一体、あなたは何者なんですか」
碧斗は震えながら問う。
「八尾家は、八百比丘尼の血を受け継いでいるの。だから少し、水に強いみたいね」
「少しどころじゃないんですけど」
碧斗は呆れかえった。
「先祖に関する資料は少ないけれど。たぶん、八百比丘尼だろうっていわれてるわ」
「ずいぶんアバウトですね」
だが、そうでなければ不可思議な能力の説明はつかないので、彼女の言う通りなのだろう。追及するのも面倒だったが、一つだけ気になった。
「八尾比丘尼って誰なんですか?」
「その昔、人魚の肉を食べて不老不死になった女よ。寺に入り尼となりながら、八百年を生きた。八尾家は彼女の血を分けた末裔といわれている。――見ての通り、人間の私でも、水の中でこうして息もできる。残念ながら不老不死ではないけれど、人魚の力を受け継いでいるみたいね」
「へー」
自分からきいておいて、寒さでそれどころではなくなってしまった。寒い。寒すぎる。
「ふふ、驚いているの? かわいいわね」
満足げに伊冴耶は笑う。この村の人たちは全員、他人の気持ちを都行よく解釈するらしい。
「あの、そろそろ限界なんですけど。早く薬をください」
早く帰って体を温めなければ、今度こそ死にそうだ。全身濡れたままで、冬の外気にさらされている身にもなってほしい。
「うーん、薬の補充はいいのだけれど。……気まずいのよね」
「何がですか」
碧斗はだんだん苛立ってきた。
「一ノ瀬深世と、仲が悪いから」
刺々しく伊冴耶は答える。
「そんなこと言われても困ります」
「絶対に嫌よ」
ふんっと鼻を鳴らすと、伊冴耶はすたすたと歩いていってしまう。やっぱり、何かしらの確執があるらしい。それも、深世との間に。
だから一ノ瀬家に薬を卸すのを拒んでいるのか。公私混同もいいところである。
「ちょっと待ってくださいって。どうかお願いします! じゃないと帰れない……」
「しつこい男は嫌われるわよ!」
伊冴耶は不機嫌に振り向いて、碧斗の胸に手の平を当てた。そう、当てただけなのに。碧斗の身体は後方へ飛ばされ、再び冷たい水の中へと沈むのだった。




