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とある死霊魔術師の死後  作者: シュガームーン
1章『勇者パーティーと死霊魔術師』
6/23

6話「本を持っていた者、持つ者、与えた者」

 ウェノル王国に入った2人。

 目の前は野原である。ここから更に歩き、各都市や王都に行かなければならない。今、2人は国境を越えたに過ぎないのだ。

 リコリスは辺りを見渡して、ぐるりと首を回した。

「……あまり、外と変わらないね」

「まあ、国境を越えただけだからな。ここからなら目的地まで半日もかからんからすぐに都市が見えるだろう」

「……ふーん」

「それに、モンスターも生息しているからな。油断はするなよ。君は今、肉体がある。避けずに食らえば死なずとも痛いのだ」

 イグニスにもリコリスにも肉体がある。アンデットであるため死にはしないだろうが、それでも肉体がある以上痛覚は感じる。元人間のリコリスはまだしも、肉体を持ったばかりのイグニスには耐性が無いだろう。

 半ばリコリスが脅すように言えば、イグニスは胸の前で両手を握り締める。

「……がんばる」

 やる気に溢れるようなその雰囲気にリコリスは1度頷く。

「じゃあ行こうか」

「……どこの都市、に…行くの?」

「ウェノル王都。賢者ダヴィドの別荘があるからな」

 目的地の王都に向かうために、2人は歩き出した。




*****




 スラム街。

 どこの王国にも存在する穀潰ごくつぶしの棲まう町。衛生状態は非常に悪く、日常的に人が死に、糞便に血液が飛び散る。

 そこに住むのは各都市から流れてきた者や、元からそこに住んでいるろくでなし、犯罪者、チンピラなどなど。道端に座り込んだ人の目はギラギラとした欲を孕んだ輝きを灯し、カモが居ないか探している。


 そんな町にリコリスとイグニスは足を踏み入れていた。


「……大丈夫か、イグニス」

「…………。………むりぃ」

 精神衛生上に酷い臭いが強烈すぎたのか、イグニスは既にグロッキー状態だった。リコリスに背負わされる形で、イグニスは顔を真っ青にさせている。リコリスに至っては鼻が麻痺していた。

 何故2人がこんな場所に居るのか。

 理由は彼女()がモンスターであるということだ。人ではない彼女が正面から正々堂々と入ろうとすると不都合がある。とはいえ、国境を越える際には門番に軽い催眠をかけてギリギリ入ることが出来た。そのため、特に問題視はしていなかったのだが、イグニスが安全な方法をとってほしいと譲らなかったため、リコリスは渋々スラム街から王都へ入ることにしたのだ。

「だから言っただろう、正門から入るべきだと。私達がモンスターだと言えどもそれを誤魔化ごまかす方々は幾らでもあるのだと」

「…………んむぅ」

「君は肉体を手に入れてまだそれほど経っていないと言っただろう? 強烈な刺激を受ければ体は壊れるし脳も許容できないのだ。徐々に慣らしていかなければいざという時に……ん?」

 随分静かになったと思い、リコリスは歩く足を止めて、首で振り返って背中の様子を見た。

「………すぅ………んん……」

「……順応性はかなりのものだな」

 眠っているイグニスに思わず感心する。神経が図太いと表現した方がいいのだろうか。

(まあいい。ついでにレッドオーガの素材を少し売り払うか……)

 リコリスはしっかりとイグニスを背負うと歩き出す。

 そこへ、リコリスの目の前にぬっと大男が現れた。男の後ろには更に5人前後の男達がいる。全員がにやにやと嗤っていた。

「……何か用か」

 目に見えて悪い連中だと分かるが、とりあえず聞いてみるリコリス。すると、男達はげらげらと笑い出した。

「何か用だあ~あ? テメェはここがどこだか分かってんのか?」

穀潰ごくつぶしの棲まう町だな。君達がここの住人ならば、君達も落ちこぼれの一員だということは理解できるが」

「あ?」

 男達が笑うのを止めてリコリスを睨む。相変わらずの無表情を貫く彼女には通用しない。たかがチンピラ程度に怯えるような女ではないのだ。加えてリコリスの実力は見た目に反して勇者パーティークラス。負けるはずがない、負けるわけがない。

「用が済んだならとっとと失せろ。私は王都に用があるのだ。君達とたわむれている時間は無い。最後の忠告だ。退け」

 毒のように吐き出される冷たい拒絶の言葉。それが男達のかんに障る。

 リコリスに一番近い男がリコリスの胸ぐらを掴もうと一歩進み出る。

「このアマ、優しく犯してやろうと思えば───」


「シャドウテンタコル」


 ダン、と強くリコリスが地面を踏みつければ、影が蠢いた(・・・・・)

「は!?」「なっ…!?」「うおっ!?」

 リコリスの影が形を取り、男達に向かって射出される。影は男達を器用に絡め取ると、体を固定した。

「あが、ぐ……なんっ、なんだこれはぁ!?」

「う、うごけね……!」

「こ、このアマァ! 何しやがったぁ!!」

 全身を縛る影の触手を取り外そうとする男達をリコリスは冷たく輝く金色の瞳で見つめた。

「静かにしろ。幼子おさなごが眠っているのが見えないのか?」

「知るかそんなこと!! それより、速くこれを」


 ゴキッ。


 喚いた男の首が1回転した。グルリと回った男の首は、捻れて皮膚の下から肉が見えている。黒の触手が男の首を回したのだ。

「こ………」

 その呻きが最後の言葉。男は口からよだれを垂らす。解放されれば首をぶらんと垂らして、静かに地面に伏せた。

「………………は?」

 誰かが発した疑問に答える人はいなかった。全員がおそるおそるリコリスを見る。


 彼女は冷めた目で手を顔の横まで掲げ───


「ま、まっ……」

「黙れ」


 ───ぱちん、と指を鳴らした。


 ゴキッ。

 ゴキリ。

 グギ。

 ゴギッ。

 グギョッ。

 ギゴ。


 男達の首が1回転。制止の声も遅い。

 全員が静かになり、周りはあまりに一瞬の出来事に目を奪われる。そして、恐怖する。

 女の顔はぴくりとも動いていない。目の前で人が不気味な死に方をしたのに、殺したのに顔色一つ変わらない。

「……死に急ぎ共が」

 一言、侮蔑の言葉を無表情で吐き捨てて、人形のような死体をぽいと道端に放り捨てる。

 女は背中に背負った幼女をしっかりと背負い直して、王都に向かって歩き始めた。

 今度は誰も彼女の歩みを止めようとは思わなかった。




*****




 ガン、と扉を蹴破る音。その衝撃で古びた扉が壁にぶつかり、ギイギイと音を立てる。

 乱暴な開け方なのは両手が塞がっているから。内と外の境界線を越えたのは、黒のローブを着込んだ1人の女だった。

「誰か居ないのか」

 無遠慮に中に踏み入る女───リコリスは店内・・を見渡した。古ぼけて埃が積もった店内はがらんとしており、人気が無い。

 少しした後、カウンターらしき台の奥から1人の大男が現れた。顔には切り傷、がっしりとした体付き。

「………女がここに何の用だ」

 図体から予想できる野太い声には若干の怒りと侮蔑が混じっている。歴戦の猛者の覇気、というものだろうか。それと似た威圧感を伴っていた。それにリコリスは特に気圧されず、ずいと大男の前に進み出る。

「素材屋で間違いないな?」


 素材屋。

 名称通り、様々な素材を取り扱っている店のことだ。モンスターの皮や肉、植物や衣類、薬など多くの物を取り扱っている。

 しかし、この店は裏から流れてきた違法の物も取り扱っている。違法の売買は王都や都市では騎士や兵士が取り締まりを行っているため、こうした人気の無いスラム街ではちらほらと存在している。


「……ああ」

「私は素材を売りに来た。それと、買いたい物もあるが、無ければそれはそれで問題ない」

「……その背負っている子供か?」

 目敏めざとく可憐な容姿の幼女を見つける素材屋の大男。値踏みするような目でその幼女を眺めた。

「その子供なら奴隷としてかなり高く売れるな。金貨50枚で買い取ろうか」

「こいつは売り物じゃない。殺すぞ三下」

 淡々とした口調で否定して脅すリコリス。殺気も闘気も感じないが、幼女───イグニスに手を出そうとするならば容赦なく首をはねるだろう。

 素材屋はそれを感じ取ったのか、商品ではないから諦めたのか、それ以上粘ろうとはしなかった。

「来い」

 素材屋は顎をしゃくって奥へとリコリスを来るように言う。それを受けてリコリスは素材屋の後に続く。

 奥の部屋には大量の品物が置いてあった。

 家具や武器、防具、魔物の肉、鑑賞植物、防腐液に漬けられた奇形児、違法ドラッグ。

「ん? これは……」

 中にはカースの武具防具、衣服、装飾品もある。これはコレクター専用なのだろうか。

「さあ、何を売ってくれるんだ?」

 商談用であろう机を指でコツコツと叩く素材屋。リコリスは名残惜しさを感じながら大人しく素材屋の前に進み出た。そして、机の上に手を突き出す。

「出ろ」

 リコリスの手から黒い靄が現れ、ぐるりと渦を巻くと素材を吐き出す。素材屋はそれを見て感心したようだった。

「ほう……。収納魔法が使えるのか」

「たかが無属性魔法だろう。想像さえ出来れば誰にでも使える」

「……可愛かわいげのない女だな」

「知ったことか」


 無属性魔法。属性魔法。

 無属性魔法は魔力さえあれば誰にでも使用できる魔法のことである。人が本来持つ魔力の個性に関係なく扱えるため、一般的に扱われている魔法も多い。

 属性魔法はそれぞれが持つ魔力の属性によって扱える魔法である。妖精達が扱った“ファイアボール”や“レインショット”といったものが代表的だろう。また、“ソイルプリズン”といった魔力を特定の物に流すことによって、操ったり付与したりできるのも属性魔法の特徴である。

 基本的な属性は土、水、火、風の4つ。それよりも希少なのが光、闇。更に希少なもの、個人特有のものは希少属性と纏められる。

 魔法を使用する際には想像力が必要で、より強いイメージが無ければ発動しないこともたまにある。また、基本的に誰にでも使用できるため、それぞれが新しい魔法を作成することもできる。


「……ん? これはレッドオーガの素材か?」

 出された素材を見て目の色を変える素材屋。すぐさま食いついた。

「……どこで見つけたんだ?」

「ウェノル王国に来る前にな。会えただけ幸運だったよ」

「……お前が狩ったのか?」

「何か問題あるか?」

「……いや」

 余りにも飄々としている女に若干の疑心がもたげるが、口に出すことでもない。それで彼女の機嫌を損ない、レッドオーガの素材を売ってもらえない方が痛い。

「金貨10枚でどうだ?」

 素材屋の言葉にまあそのくらいか、とリコリスは思ったが、頷かない。

「安い。これは状態、質も良く肉も新鮮だ。金貨30枚」

「これだけの量を保存しなければならないのはこちらだ。金貨15枚」

「私が危険を伴い、狩ったモンスターだ。金貨25枚」

「金貨20枚。それ以上は出せない」

「……まあ、妥当か? 良いだろう」

 値切りが終わり、レッドオーガの素材は金貨20枚で売り払った。


 貨幣。

 各国ごとに違う単位が使われていることが多いが、基本的な材質は同じである。

 石貨。

 鉄貨。

 銅貨。

 銀貨。

 金貨。

 白金貨。

 日常生活では銀貨まであれば事足りる。金貨はちょっとした資産家から持っていることが多い。白金貨は希少で普段は殆どお目にかかれない貨幣だ。


 ちなみにこのウェノル王国での貨幣の単位は『ウェル』。他国の貨幣をウェルに変える際には両替商に持っていき、貨幣の鉱物の含有量を調べて相応の貨幣に変えてもらわなければならないが、ここではそのような心配はしなくていい。

 金貨の1枚は石貨から銀貨まで分けられていた。その気遣いにリコリスは感心する。合計金貨20枚の小袋を手にして、リコリスはすぐさま商品棚……特にカースの武具防具の所に足を運ぶ。

「お前、呪いの道具収集家カースアイテムコレクターだったのか?」 

「まあ……そんなところだ」

 実際は鑑賞するのではなく、本来持つ機能通りに扱うのだが、説明が面倒だったため適当に返事を返す。

 リコリスはカースアイテムを“鑑定”しながら1つずつ吟味していく。特に欲しいのは靴や手袋なのだが、他にも良さそうな物があれば是非とも購入したい。

 色々と見て回った結果、選んだのは2つ。

「……これを貰おう」



〓〓〓〓〓


名称:焼け残りのサンダルシューズ

品質:カース

説明:元コモン。火災事故で死亡した子供のお気に入りのサンダルのみが焼け残ったもの。子供が体験した炎の苦しみ、痛み、絶望を使用者に伝える。


体力:±0

筋力:±0

魔力:±0

耐久:-1000

技巧:±0

感覚:+30


常時型能力パッシブスキル:〔火傷呪かしょうじゅ〕〔火事の記憶〕〔熱火耐性〕

発動型能力アクティブスキル:〔火焔〕


〓〓〓〓〓


〓〓〓〓〓


名称:血汗と無念の滲む万年筆

品質:カース

説明:元レア。とある著作家が病死する直前まで使用していたもの。最後の最後にインクが切れてしまったため、死の間際で書き終えることが出来なかった著作家の無念と涙が残っている。同じ悲劇を繰り返さないために、インクとして使用者の体液までも絞り出す。決して途切れることはない。


体力:-500

筋力:-500

魔力:-500

耐久:-500

技巧:+500

感覚:+500


常時型能力パッシブスキル:〔液体吸入〕〔液体変換・インク〕〔無限補充〕

発動型能力アクティブスキル:───


〓〓〓〓〓


 黒く焦げた跡の残る子供用のサンダル、古ぼけた高級そうな赤色の万年筆。

 この2つにはステータスを下げる効果がある。しかし、リコリスやイグニスといったアンデット系統のモンスターには関係ない。元より負の感情から誕生したモンスターには同類カースの負の効果が通用しないのだ。

 リコリスも生前にそれは確認済みだったため、特に気にしてはいない。ちなみに論文も書いたが、リコリスが死霊魔術師ネクロマンサーだと言う理由だけで世間からは認められていないし見向きもされなかった。

「それ2つで金貨1枚だ」

「高い。2つで銀貨2枚」

 再び値切り合いが始まり、これらの道具は2つで銀貨5枚で落ち着いた。ウェル貨幣は金貨まではそれぞれの貨幣を10枚集めると1つ上の価値に変わる。石貨10枚で鉄貨1枚、鉄貨10枚で銅貨1枚というように。

 それを支払っていると、リコリスの背中でイグニスが身じろぎ。

「んぅ………?」

「イグニス、起きたか」

 くぁ、と口を開けて腕を上げ、体を反らせるイグニス。リコリスが下ろすとふわりと宙に浮くイグニス。それに素材屋は目を見開いて驚いた。それに気にせず、イグニスは寝ぼけた表情できょろきょろと辺りを見渡す。そして、こてんと首をかしげた。

「……どこ、ここ」

「素材屋だ。レッドオーガを売り払うために寄った」

「……おうと?」

「いや。まだスラム街だ」

「……んゆ」

 くるりくるりと宙で回転するイグニスを見ながら、リコリスはつい先程購入したサンダルを取り出す。

「イグニス、履いてみろ」

「………これは?」

 差し出されたサンダルを興味を惹かれたように寄っていくイグニス。

「……どうやって、はくの?」

 靴の履き方が分からないイグニス。服も妖精達に着せてもらったのなら当然だろう。彼女は今まで衣服を着るという行為をしたことがないのだから。

「……足を出せ」

「……ん」

 空中で両足を伸ばして座る体勢になるイグニス。そんな彼女の足を取り、リコリスはサンダルを履かせる。

 ヒールがほとんど無いサンダル。このサンダルには足首に巻きつき固定する部分があるため、宙を浮いているとしても外れることはない。留め具もきっちりと締めた。

「これでいいか?」

「……んふふ」

 サンダルは燃えることはない。イグニスは黒混じりの黄色のサンダルを見て少し嬉しそうに微笑む。

「ありがと、リコリス」

「とりあえず人前に出る時には歩くようにしろ。そのための靴だ、分かったな?」

「うん」

 リコリスの最後に回り、肩に手を置いて彼女の顔を覗き込むイグニス。仲睦まじい2人の様子を見て素材屋はまだ驚いていた。

「……そいつは妖精か?」

 その問いにリコリスは少し考える。羽は無いが、宙に浮けて自我や理性を持つ種族としてはある意味妖精には近いだろう。

「………ああ、そうだな」

 かと言って、アンデットモンスターだと伝えると相手に混乱と警戒を与えてしまうだろう。曖昧な返事をして、リコリスは余計な詮索はするなと伝える。相手もそれ以上詮索をしなくなった。


 2人はその家から出て、改めて王都へ向かう。




*****




「ちっ……これじゃあ駄目か」

 コポコポと試験管の中で紫色の液体が踊る。試験管を熱していたアルコールランプを取り外して、火を消した。

「ああっ……くそっ! 研究が捗らない……。天才であるこのボクがスランプだと? ……断じて認めん!」

 ダンッ!

 机に拳を叩きつけ、苛立ちを露わにする男───ダヴィド・インジェンス。

「それもこれも……全てあの死霊魔術師ネクロマンサーのせいだ」

 あの魔女め、と彼は爪を噛む。

 ここ最近、彼は苛立っていた。

 理由は簡単。あの本が白紙だからだ。

 死霊魔術師リコリスにはあの本が解読できているのに、賢者であるダヴィドには解読できない。

 それはなぜか。その本を死霊魔術師ネクロマンサーに与えた知識と研究の神に、ダヴィドが認められていないからだ。

「このボクがなぜ認められない……ありとあらゆる知識を得るに相応しいのはあんな辺境に住まう魔女などではないはずなのに……」

 がじがじと爪を噛んでストレスを逃がす。それでも、心の奥底から湧き出る怒りはまだ枯れそうにもない。

「くそ……くそっ……なぜ、なぜあのような女が……」

 白紙の本を見る度に苛立ちが増し、その分劣等感や焦りが生じる。

「~~クソォオオッ!!」

 荒々しく本を掴み、頭上へと振り上げた。



「おい、私の本をぞんざいに扱うな」



「っ!?」

 びたりとダヴィドの動きが停止する。魔法を行使された訳ではない。攻撃を受けた訳ではない。敵意や殺意を感じた訳ではない。

 ただ、声が聞こえた。

 ダヴィドが気配すらない存在に気づかずに驚いただけだ。


 声の主は、青年だった。


 くすんだ茶色のぼさぼさの髪。白い瞳の瞳孔は横に長く、切れ長。顔つきは童顔だが、知的な印象を受ける。衣服は軽装で丸腰、その上から白衣を1枚纏っている。旅人というよりは貴族のような……いや、それよりも遥かに尊い雰囲気があった。


「……誰だ、お前は。ここが勇者パーティーの1人、賢者ダヴィド・インジェンスの別荘兼研究所だと知っているのか?」

「勿論知っているとも。ダヴィド・インジェンス。出世欲と金と自尊心のために知識を求める見栄っ張りな男の名だな」

「……なんだと?」

 ただでさえ苛立っているダヴィドの感情を逆撫でするような、馬鹿にした物言い。それに気にするわけでもなく、男は続けた。

「そんな欲の孕んだ研究心などたかが知れている。私が求めるのはただ純粋に知りたいと思う好奇心と探究心、そしてどのような障害があろうとも知りたいことを全て知ろうとする不屈の精神」

 男は賢者と呼ばれる男を見て憐れむように、馬鹿にするように嘲笑った。とんとん、と己の頭を数度指で軽く叩いてみせる。

「理解できるかな? その点では君は彼女よりも遥かに劣るんだよ。君は道草に生えている花の効能や造りを知っているか?何故この世界が存在しているのか、どうして神が存在しているのか、モンスターがどのように進化を遂げるのか知っているか? 知らないだろう? 何故なら君は他人の考えを鵜呑うのみにするだけで自分で調べようとしていないからだ。調べていないのにその知識で納得しているからだ。そんな甘ったるい考えの輩に何故私の大切な知識を分け与えなくてはいけないのだ? 『知る』という行為の苦労も過酷さも知らない癖に。虫が良いとは思わないのか?」

 うっすらと失笑を浮かべながら、つらつらと己の考えを語る男にダヴィドはわなわなと体を震えさせる。

「きっ……貴様ぁぁぁ……!!」

 相手が怒りに震えているのは分かっているだろうに、男はまくし立てるように言葉をかける。

「……加えて、人の意見も聞けないような自己中心的な者が、どうして全智を得ることが出来るのだろうか」

「死ね、格下が」


 ボルト。


 ただの放電。自身を中心に魔力を周囲に放つ無差別攻撃。研究が万が一にも失敗し、暴発するかもしれないという危険からダヴィドの別荘は魔法を撃ってもびくともしない造りになっている。しかし、それでも家の中で放つような技ではない。現に周りにあった研究道具やモンスターの素材、書類や本が消し炭と化した。


「……ちっ、屑が。ボクの頭よりも劣る思考しか持っていないくせに」

 焼き焦げたであろう男にダヴィドは毒を吐く。



「それは私の台詞セリフなのだが?」



 ダヴィドが硬直する。

 男は健在していた。

 特に衣服が焦げることもなく、平然とその場に立っていた。

「君の方こそ私を誰だと思っている」

 目を見開いたまま驚愕し硬直しているダヴィドを、男はただ嘲笑った。

「……本を取り返しに来たのだが、興が冷めたな」

 本、とは。

 ダヴィドは意味が分からなかった。その聡明な頭脳を持ってしても、男の目的や正体が分からなかった。それが余計に彼の自尊心を傷つけ、屈辱と感じてしまう。

「君程度の人間ならば、彼女にもすぐに倒されるだろう。少し過保護すぎたかな。心配し過ぎることを彼女は嫌うからな。自重しなければ」

「……先程から何をぐちぐちぐちぐちと……一体ここに何の用で来たんだ? 本だと? ボクはお前のような屁理屈から本を借りた覚えはないのだが」

 そうダヴィドが言えば、男は「当然だろう?」と微笑んだ。

「私は君に知識を与えたわけではないのだからな」

「……?」

 男の目線の先には白紙の本(・・・・)。ダヴィドは一瞬意味が分からなかったが、すぐに男の正体に気づく。

「では、さらばだ。ダヴィド・インジェンス。余程のことがない限りは、もう2度と会うことはないだろう」

「まっ……待て! 待ってくれ!」

 きびすを返す男。それを慌てて引き留めるダヴィド。

「答えろ! 何故あの女はお前…いや、貴方から知識を貰ったんだ!? 何故ボクには与えてくれない!?授けてくれない!? 貴方は何故っ…あんな魔女に知識を分け与えたんだ!!」

 叫びに近いその問いに男は立ち止まる。

「……何故、だと?」

 首だけで振り返った男は、呆れたような笑みを浮かべて、憐れんだ目をしてみせた。



「そんなことも分からないのか」



「あ………」

 ダヴィドはハッとする。賢者たる自分が他人に教えを請うたことに気づいた。

 ダヴィドは唇を噛み締め、ひたすら屈辱に耐える。己のプライドを土足でぐちゃぐちゃにしたあの男に飛びかかることを必死に耐えていた。

 それを見て、男は鼻で笑った。

 そうして、男はその場から消えた。

 まるで蜃気楼のように。

「…………くそっ」


 ダン。


「くそぉ……」


 ダンッ。


「くそぉぉおおお!!」


 ダン。ダンッ。ダンッ!


 机を何度も繰り返して拳を打ちつける。打ちつける、撃ちつける。激情を吐き出すかのように叩く、叩く、叩きつける。


 屈辱、苛立ち、怒り、ストレス、焦燥、否定、惨めなのは自分ではないと否定。全てあの女のせいだとなすりつける。脳内で何度も何度もあの魔女を殺した、肉塊にした、命乞いをさせた。

 それでも、この荒ぶりは全く消えそうになかった。

 目の前で自身の研究は意味が無いと、偽りだと、偽物だと言われたようなものだから。

 もうとっくに死んでいるあの女をダヴィドは呪った。




*****




「やはり外は良いなぁ……」

 男は周りを見渡しながら呟いた。

 男の目には人の知識の量が映っていた。

 言語、料理レシピ、魔法、数学、物理、科学、魔物学、娯楽、舞踊、遊び……。

 数え出すときりが無い、人が持つあらゆる知識が、膨大な知識が男の頭の中に流れこんでくる。

 それを楽しそうに頭の中で処理をして自身の知識へと変える。

(といえども、殆どの知識は既に記憶済みで意味がないんだけど……)

 民衆から新しい知識が得られるのは大体料理や洗濯といった生活知識。それでも、人が持つ知識が豊富であるということを知ることができる機会である。彼は楽しんでいた。

「あの子もきっと、沢山の知識を得ているんだろうなぁ……。最後に会ったのはいつだったっけ……」

 ぼんやりと彼女の顔を思い浮かべて穏やかな笑みを浮かべる男。

「あまり色々とやらかすと彼女は嫌がるからなぁ……とりあえず、一段落つくまでは接触は避けるか。時間ならいくらでもあるわけだし……」

 男は予定を立てながら、町並みを見て回る。まだ見ぬ知識を求めて。




*****




「くしゅっ」

「……どう、したの?」

「いや、少し鼻が……。その顔はやめろ。私を心配するな、大丈夫だから」

 リコリスが鼻を擦ればイグニスが心配そうに見つめる。それを受けてリコリスは居心地悪そうにイグニスの頭を掻き撫でる。手が焦げた。

 彼女達はまだスラム街。しかし、もうすぐ王都を守る城壁に辿り着くという所まで来た。イグニスは体力、筋力のステータスがほぼ0に等しいので、少し歩くとすぐに疲れてしまう。故にかなりスローペースだったのだが、体力も筋力もつければすぐに慣れるだろう。


 門が見えた。

「……大きいねぇ」

「これが普通だ。慣れろ」

「……うん」

 スラム街と王都を隔てる城壁は見上げても上が見えないほど高い。

 その門の前には鎧を着こんだ兵士が数人。門番だろう。

 リコリスとイグニスが近づけば、門番達は行く手を遮る。2人は止まる。

「止まれ。王都に一体何の用だ」

 イグニスはリコリスを見上げて、リコリスは兵士の声に動じずに答える。

「王都で捜し物があってな」

「……身元を確認できる物はあるか?」

「悪いが、着の身着のままでな。証明できる物はない。通行料を払おう。いくらだ?」

 被っていた黒のローブを取り外せば、端整な顔立ちが露わになる。

 目に優しい淡い桃色の髪、薄く輝く金色の瞳、透き通った白い肌。目の下に酷い隈があるが、それも彼女の魅力に変わる。

 その美しさに兵士達は息を呑み、その兵士を見てイグニスは頬を膨らませてむくれる。

「そ、そうだな……」

 そして、舐めるような目で兵士達はリコリスを頭から爪先まで眺めた。ローブで隠れているが、それでも分かるメリハリのある体つき。豊満という訳ではなく、細身だが凹凸があり、鍛え上げ絞られたその肉体に喉をごくりと鳴らす。

「……1人につき銀貨1枚だ」

 リコリスは眉を寄せる。

「……高いな。もう少しどうにかならないのか?」

「そうだなぁ……」

 兵士達はお互いに顔を見合わせて、下卑た顔をリコリスに向けた。

「お前が体を好きにさせるってんなら……」


「ヒュプノシス」


 一瞬リコリスが目を見開き、同時に瞳が金色に強く輝いた。

「い……」

「ぁ……」

「……ぇ」

 門番達がその瞳の輝きから放たれた微量の魔力を受けた。その瞬間、目が死んだ(・・・)

「……本来の通行料は?」

「………1人につき、鉄貨……3枚」

「そうか」

 リコリスの質問に、門番の1人が虚ろな目をしたまま答える。リコリスは懐から鉄貨を6枚取り出すと、門番の1人に手渡す。

「これでいいか?」

「……たし、かに」

 門番達が門を開き、2人を迎え入れた。


 2人はようやく王都に入ることが出来た。

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