2話「リッチ誕生」
とある場所に地面に突き刺さった大剣があった。
最早、周りには何もない。屋敷が焼け焦げた跡が残っているくらいの、何もない場所にそれはあった。
人1人分はありそうな刀身は真っ赤に染まっており、おどろおどろしい装飾に気味の悪さを感じる人は多いだろう。だからこそ、大剣は所有者も居らずにここに突き刺さっているのかもしれない。
……否。
使用者は存在する。
今現在、大剣がその場に縫いつけている。
もう死体も焼け果ててしまったが、そこに確かに存在している。
大剣は待っていた。
使用者を待っていた。
使用者を望んでいた。
リコリス・ラジアータが黄泉返るのを待っていた。
ふと、空気が揺らいだ気がした。
ふわりと、微風が吹いた気がした。
静寂。
直後、黒い竜巻が吹き荒れた。
その場にあった物全てが巻き上げられる。それは小規模ながら、確かにとある死霊魔術師の跡地にあった物を宙へと舞い上げた。
それらはまるで、あの人が戻ってきたことを喜ぶかのように。
ぐるぐると、ぐるぐると。
その場にあった物が風に巻かれていく。
───……………。
その竜巻の中心では、黒い粒子が集っていた。大剣を中心に、黒い粒子が渦巻いていた。
───……………。
竜巻に巻き込まれた物から染み着いた念を搾り取るかのように。竜巻の速度が上がっていく。
───……………。
竜巻の中心で、黒い粒子に変化が起きた。
大剣に巻き付いたのだ。
己の意志を持つかのように。大剣の柄を握り締めるかのように。粒子が手を模るかのように。
───…………ぁ。
風が激しくなる。吹き荒れる。周りの草も木も折れる。折れながらも歓喜している。黄泉返るのを歓喜している。それでいながら、恐れている。未知なる存在が生まれることに、現れることに。
───…………あ。
粒子が、模る。
彼女を、象る。
剣を握り締めるだけだった手が、腕を形成して胴体になる。胴体から更に4つの突起物を造り出し、その内3つはより細く、長く。残りの1つはボールのように丸くなる。
───………アあ。
粒子が震えた。ただの振動ではない。人だからこそ出せる振動───音である。更に正確に言うならば、声である。
───……あアあ。
粒子は滑らかに動き、ゆっくりと人型をとる。頭部から黒い糸のようなものが噴き出し、4つの棒の先が5本の小枝に枝分かれする。
直後、がしりと両手でクレイモアを握りしめた。
「アあ………」
大剣を引き抜き、一気に頭上まで持ち上げる。そして、体を捻りながらクレイモアを振り回した。
竜巻が霧散する。突風が吹き荒れる。
「……最悪な気分だ」
黒の粒子は既に消え去っていた。
薄桃色の繊細な髪が流れる。切れ長な金色の瞳を細めて天を仰いだ。目の下には酷い隈があり、それを撫でるのは己を落ち着かせる癖である。薄桃色の唇が歪められ、僅かな怒気を含んだ息が吐き出される。乱れる髪を掻き上げ、彼女は天を睨みつけた。
「まさか、本当に黄泉返るとは思ってなかった」
まるでこうなることが分かっていたような独り言。
実際、彼女は一応死んでも蘇るように先の戦闘で細工はしていたのだ。まさか、本当に蘇ることができるとは思っていなかっただけで。
死霊魔術師であるから行える、死者の復活。
しかし、それは他人を蘇らせることはできても、術者本人を蘇らせることはできない。
だから、彼女は考えた。
人としてではなくて、モンスターとしてなら生き返ることができるのではないか、と。
つまり、転生である。
別の生物として新たな生を受けることができれば、例え死んだとしても意図的に蘇ることができるのではないか、と彼女は考えたのだ。
何を馬鹿なことを、と通常の研究者なら言っただろう。勿論、リコリスも試せるわけではないので、理論だけを生み出してお蔵入りにしていたものだったが。
彼女は殺される直前にそれを試してみたのだ。どうせ死ぬのなら、と。
転生において重要なのは魂だ。
基本的に生物は体と魂が結びついている。生物が死亡した時、その魂は体との繋がりが切れて一定時間その場に浮遊する。行き場を失った魂は徐々に分解されていき、最終的には現世から消え去り、冥界という死者の世界へと転送される。ただ、念いが強いか弱いか、執着があるかないかで、この世に残れるか残れないかが決まるだけだ。
一般人には理解されない、意味のない知識かもしれない。しかし何度も繰り返すが、彼女は死霊魔術師である。この程度は基礎知識と言っても差し支えない。そして、重要な事柄である。
魂が転生する……しかも別の生物である場合、その魂は僅かながらにも質が変わるのだ。モンスターならモンスターとしての魂、人間なら人間としての魂。彼女が見てきた魂にも種族的には大きく違っていた。輪廻がもし存在するのならば、冥界で魂の質を変えて再び世に送り出しているのではないか、と。つまり、意図的に魂が変質させてしまえば転生は可能であると彼女は結論づけた。
では、冥界ではない現実で、どうやって魂を変質させるのか。
自身で変質は不可能だ。己の魂を弄くるというのは生きている間では難しい。ならば、と彼女は考える。死んだ後で魂を弄くってしまえばいいのではないか、と。
鎮魂と騒霊のクレイモア。
元々、霊を斬ってきたレジェンドの武具。それは悪霊、死霊を呼び寄せるカースの武具へと変化した。
それを、自らの魂に突き刺してしまえばいいのではないか。
魂をその場に固定するだけではなく、念いの塊である霊を注入してしまえばいいのではないか。
そうすれば、魂は変質するのではないか。
勇者がもしあの時大剣を避けてしまえば成立しなかったことだ。そこは賭けた。避けてしまえば運が無かったのだと諦めた。例え避けなかったとしても、魂が変質しないのなら諦めた。
彼女はその賭けに勝った。
魂を注入し、己の魂を変質させる。しかも、冥界を通さずに自身だけで転生を行うので記憶もそのまま。
その結果……。
リコリス・ラジアータは復活した。
かなりリスキーな実験ではあったが、成功した。人ではなくなってしまっただろうが、理論が成立した以上、そこはどうでもいい。
まず、彼女が行ったのは“鑑定”である。現在の自身の状態を確認するには、それが一番良いと考えたのだ。
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名前:リコリス・ラジアータ
種族:リッチ
属性:魔女
体力:1612
筋力:1439
魔力:6097
耐久:1101
技巧:5775
感覚:5250
総計:21274
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(……まあ、妥当か)
ステータスが大幅に上昇し、勇者パーティーにも劣らない力を得たのは予想外ではあったが、嬉しい誤算だ。モンスターとなると基礎ステータスが高いものであるため、特段気にしてはいなかった。
「しかし、リッチ、か……。アンデッドではあるだろうと思っていたが、そんな種族は見聞したことがないな……」
種族『リッチ』。
悪霊の魂を注入してしまった以上、アンデッド系統のモンスターに転生しただろうと考えていたのだが、聞いたことがない種族に首をかしげてしまう。
アンデッド系統は骸骨だけの姿のスケルトン、リコリスが使役していた死霊や悪霊といった基本的に物理無効、魔法有効な実体が無く生きてはいないようなモンスターが該当する。
そう考えるならば、自身もアンデッドには属するだろう。リコリスは一度死んでいるのだから。
しかし、証拠は無い。もっと詳しく知りたい。そこで、リコリスは自身が持つ中でも1番知識を蓄えている本の力を借りることにした。
「………ん?」
……したのだが。
気配を感じられない。
「……おかしいな。あの本は神話級で神から直接賜った全智の書なのだが……」
とんでもない事実をあっけらかんと口にしながら、リコリスは眉を寄せる。
住居の跡地が焼け焦げているので、焼失したのだろうかと一瞬頭の中をよぎったが、すぐに否定する。あの本は火の中にぶち込もうが水の中に捨てようが土の中に埋めようが、焼けず濡れず風化もせずにその状態のままであり続ける特殊な本なのだ。仮にも神話の道具。その程度は当たり前である。実際に試してみたのだから間違いない。
第一、近くにあれば魔力探知で分かる。あの本は魔力を多量に含んでいるため、分かりやすいのだ。
「となると、誰かが持ち去ったのか……」
それが1番有力だろう。
あの本は研究者なら喉から手が出るほど欲しがる素晴らしい逸品であり、他人から強奪して自分のものだけにしたいと思うほど魅力的な本なのだ。
ただ、その本を与えた神が認めた者以外には読めないという欠点があるだけで。
「失せ物探しの呪い……あまりそういうのは得意では無いのだがなぁ……」
「ついでに服も調達せねば……」とリコリスはぼやく。彼女は現在全身を覆う黒のローブ以外に何も着用していなかった。普段は日に当たらない肌が青白く輝く。死体が焼失し、体も構築されたものだから、ローブがあるだけでも感謝しなければならないのだが。
*****
失せ物探しの呪い。
必要なのは蜘蛛の糸、レッドツリーの木の実、妖精の涙が溶け込んだ清水。
蜘蛛の糸と妖精の涙入りの清水を集めるのは困難だが、それさえできれば後の手順は簡単だ。
幸いにもリコリスの家の近くの森は無事だった。材料が集まるのは早いだろう。
流石に素足で入るのは……と初めは思ったが、アンデッドであるためか浮こうと思えば浮ける。ゾンビなどのように肉体も無く(焼失した)、取り込んだ悪霊の性質が混ざっているからこそ出来る芸当なのかもしれない。とりあえず、今はありがたかった。
地面すれすれを浮きつつ、周りを見渡す。
「……思ったより霊が多いな」
森の中の霊が大量にいる。死霊魔術師に正式になってからは色々と見えていたリコリスだが、これほど大量にいる霊は見たことが無かった。しかも、どいつもこいつも悪霊、死霊、亡霊、怨霊……。
リコリスは少し考えるように明後日を見て、クレイモアを呼び出す。
「───能力発動、悪霊集い、死霊集い、亡霊集い」
クレイモアを前へと掲げれば、それに引き寄せられるように霊達が集う。それを見て、リコリスはクレイモアに命じる。
「食らえ、鎮魂と騒霊のクレイモア」
ずるり、ずるり。
ぐちゃ、ぶちゅ、けちゃ、びぢゅ。
微かに聞こえる小気味悪い音。
クレイモアが霊を食らっている。飲み込んでいる。
クレイモアは霊を食らう度に力を増す。霊の力を貯め込み、力へと変換する。邪を斬るはずの大剣が、邪を食らい、力を蓄える。
それを見つめながら、リコリスはクレイモアを地面に突き刺す。
(クレイモアには霊を食らってもらうとして。とりあえず、レッドツリーの木の実と蜘蛛の巣だな……)
リコリスは森の奥深くへと踏み込む。
*****
「あーっ! ほらほらほらほら、やっぱりおねぇちゃんだよっ!」
「ほんとだぁー! おねぇちゃんどこいってたの!? おねぇちゃんがきゅうにいなくなってしんぱいしたんだからぁ~!」
「うぇぇええええん! おねぇちゃんだぁ!おねぇぢゃああああああ……!!」
リコリスのため息が自然に深くなる。
黒のローブを掴んで引っ張り、ぎゃいぎゃいと騒ぐ子供達。見た目は5~6歳くらいの可愛らしい幼い容姿をした子供だ。背中には蝶やトンボといった、様々な種類と色をした羽を羽ばたかせている。
彼らは妖精である。
この森に棲まう妖精。妖精族は様々な場所に棲まうが特に森が多い。
リコリスは森の近くに住み、頻繁に森に実験材料を集めに来るため、妖精とは仲良くなっていた。といっても、好奇心旺盛な妖精達が度々森に訪れるリコリスに興味を持ち、ちょっとしたいたずらやちょっかいをかけていたため、顔馴染みになってしまっただけなのだが。
「鬱陶しい。喚くな、叫ぶな、ローブを引っ張るな、離れろ」
「「「いーやーだぁーー!!」」」
「っおい、馬鹿者共。今はこのローブ1枚しか着ていないのだ」
「「「………へっ?」」」
「破れれば着る物が無いからどうしようもないのだ。離せ」
リコリスの告白に妖精3人組はきょとんとして、お互いに顔を見合わせる。
「なんでようふくきてないのー?」
「いっつもたくさんきこんでるのに」
「……ろしゅつきょー?」
最後に言葉を発した妖精を軽く叩き、リコリスは己の身に起こったことを説明する。
勇者一行に殺されたこと、殺された後生き返ったこと、しかしモンスターとして黄泉返ったこと、失せ物探しの呪いのために必要な材料を集めに来たこと。懇切丁寧に説明した。
すると、3人は再び顔を見合わせて、こそこそ、ひそひそと話し合い、リコリスに笑顔を向けた。
「じゃあ、なみだあげるよー?」
「うんうん。だってもうこのこないてるしー」
「せーすいもとってきてあげよっかぁ~?」
願ってもいない提案に驚きつつも、「じゃあ、頼む」とリコリスは受け入れた。
「ただ、水を入れる物が無い。できれば入れ物に入れて欲しいんだが……」
「まっかせてー!」
「いれものたくさんあるから! にんげんがぼくたちのはねをもぎとろうとするときに、こてんぱんにして、そのまんまにしてるものがたくさんあるから!」
「くものすもぉ、きのみもぉ、いっしょにとってあげるよぉ~!」
「……そうか。それは助かる」
きゃいきゃいと楽しそうにはしゃぐ妖精達に感謝しつつ、リコリスは予定よりも早く集まりそうだと安堵する。
妖精の内、2人は清水を汲むために上流の川を目指すようだ。空を飛べるため、簡単に取ってくることができるだろう。残りの1人はリコリスと共に蜘蛛の巣とレッドツリーの木の実探しである。
「あ、おねぇちゃん」
「どうした?」
妖精2人が別れる時に、リコリスに警告する。
「おねぇちゃんがいないあいだにねぇ、へんなもんすたーがすみついたのー」
「変なモンスター?」
「おっきいのー」
「まっかなのー」
「もんすたーをたべるのー」
頭の上を妖精3人組がくるくると回る。目を回しそうになる。リコリスはそんな3人を見ながら顎をなぞるように指を這わせた。
「大きく、赤く、モンスターを食らうモンスター、か……」
少し考えて、すぐにこめかみを押さえて苦い顔をする。
「候補が多すぎて全く分からん。とりあえず遭遇しないように気をつけてくれ」
「おねぇちゃんのほうがたいへんだよー」
「ご心配なく。柔な鍛え方はしていない」
にぃ、と口の端を上げて軽く手を振った。
「もし私に向かってきたのならば、返り討ちにしてみせよう」
その言葉に3人はきゃーきゃーと黄色い悲鳴を上げた。見た目的には危険なのは湖に清水を汲みに行く2人なのだが……。
(まあ……妖精族は見た目の割りに長寿のものが多いから、心配はせずとも大丈夫だろう)
外見と違い、強かな妖精達に心配などしても無駄だろう。
4人は早速別れて、材料集めに勤しむことにした。
*****
「きっ、のっ、みぃ~♪ くもっ、のっ、すぅ~♪ さっがせさがせっ♪ くもっ、のっ、すぅ~♪」
「喧しい」
「うわぁーーん! てきびしい!」
るんるん気分でテンションの高い妖精には悪いが、リコリスはあまりそういうのは得意ではなかった。別に否定するわけではないが、危険なモンスターも居るのなら、もう少し静かにしてほしかった。
加えて、まだ復活したばかりで体のコントロールが上手くいっていない。そのため、目の前の妖精のように木々の間をすり抜けながら飛ぶことが難しかった。歩くスピードでなら多少は滑らかに飛ぶことはできる。しかし、スピードを上げると途端に難しくなり、失敗するのだ。
「グふぉっ」
「おねぇちゃん!?」
木を避け損ねて頭から激突するくらいには。
だからといって、リコリスはふて腐れて飛ぶのを止めようともしなかった。
妖精も飛ぶことに悪戦苦闘するリコリスを冷やかすことなく、身振り手振りで応援していた。
「がんばれっ♪ がんばれっ♪ はいっ、みぎぃ~、ひだりぃ~! まわってぇ~っ、わんとほえるぅっ!」
「潰すぞ」
「やぁ~んっ、おねぇちゃんこわぁ~い!」
いや、冷やかしてはいるかもしれない。それでもリコリスは馬鹿にされているようには感じなかった。妖精が純粋であるためだろうか。相変わらず楽しそうにくるくると回りながら、しっかりと先導してくれる。時折、後ろに目を向けてスピードを調整してくれるのはありがたい。
リコリスは浮遊に悪戦苦闘しながら、なんとかレッドツリーがある地点までやってくる。
レッドツリー。
その名の通り、赤い幹、赤い葉、赤い木の実を宿らせる樹木のことである。赤く染まってしまうのは、レッドツリーの根に共生している虫である赤光虫の仕業。レッドツリーが『根』という住処を与える代わりに、赤光虫から養分という名の『魔力』を受け取っているからである。そのため、樹木が赤く染まる。
魔力で育つ植物は魔術の触媒になりやすい。魔力をよく通すからだ。そして、レッドツリーはこれからリコリスが行う呪いの材料である。
「よし、採取完了」
ぷちぷちと数個の木の実をもいで手の平で転がすリコリス。ビーズ程しかない木の実を潰さないように気をつけつつ、ちらりとついてきた妖精を見る。
「あむっ、んふぅ……なかなかのおあじぃ~」
ぱくぱくと木の実をちぎっては食べ、ちぎっては食べを繰り返していた。それを見ながらリコリスは深くため息を吐く。一体何のためについてきたのだろうか、と思ったが道案内には役立っているので何も言わないでおく。
(しかし、レッドツリーの木の実は加熱せずに食べると腹を下すはずだったが……)
そう考えたが、それは人間の話であり、妖精には通用しないのかもしれない。食べ慣れた様子に気にすることもないだろうと放っておくことにした。材料集めは急いでいる訳ではない。妖精が満足するまで待つだけの余裕はある。
リコリスは地面に降りて、木陰で休もうとした。
「………ん?」
しかし、奇妙な光を見て動きを止める。
炎。
赤と紫と緑が混じっているような汚くも鮮やかな色をしている、人魂のような炎が浮かんでいる。
(……霊、ではないな)
生前は死霊魔術師。霊ならば見れば分かると自負している。
ではなんだ、と警戒するリコリス。
炎は相変わらず、ゆらゆらと火先をくゆらせて燃え続けていた。
*****
とーん。
とぉん。
ぴちょん。
ぴしん。
湖の水面で蹲る何かがいた。
蹲りながら、水面を転がった。
いや、水面付近を転がっていた。
長い髪が水に浸かることない。まるでガラスの上で寝転んでいるかのような印象さえ抱ける。
薄暗い洞窟、天井には切れ目があり、そこから細い光が差し込んでいた。
回転が止まる。
四肢を投げだした。
細く、小さく、触れば折れてしまうような手足だった。
「……………ぁ」
か細くかすれた声が漏れる。
とぉん。
「……………ぁ」
水に波紋が広がる。
小さな誰かを中心に広がっていく。
「…………ぁぁ」
その子は、ゆらりゆらりと両手を天へと突き出して、指を好き勝手に動かし出す。
何をしているのか、しようとしているのか分からない。
「…………ぁぁ」
いいなぁ、と。
いいなぁ、と。
誰かは呟いた。
指は蠢いたまま。
*****
「おい」
「んん? なぁに、おねぇちゃん」
リコリスは妖精に呼びかけ、目の前の炎を指差した。
「あれはなんだ? 君達の悪戯の一環か?」
「えぇ~? なにが……」
妖精が指の差す方向を見る。
さっ、と顔色を変えた。
あのモンスターがリコリスに向かって腕を振り上げていたのだ。
「おねぇちゃ───」
リコリスが振り返るよりも、それは速かった。
ズガァァアアアアアアアッ!!!
地面が割れ、轟音を立て、風が吹き荒れる。
ふしゅぅぅうう、とモンスターの口から炎が吹き出た。
あのモンスターだ。
妖精は土埃から脱出しながら、確信する。見間違えるはずがない。
巨大な体。丸太のような腕、脚。頭はごつごつしている。丸い穴のような目が2つ、口は裂けてガタガタ、耳はない。上半身は人型、蜥蜴のような下半身。体から火の粉を吹き、体色は真っ赤で溶岩を思わせる。
その、モンスターが。
今、何をした?
今、何を叩き潰した?
今、誰を殺した?
じわり、と。妖精の瞳に涙の膜が張る。
「おねぇちゃん! おねぇちゃん、いきてるならへんじしてよぉっ!!」
「死んではいるが返事は出来る」
「おねぇちゃん!?!?」
隣にひょいと現れたリコリスにギョッとする妖精。驚きすぎたのか、肩を跳ね上げて瞬時にその場から離れていた。そして、パチパチと2回瞬き。彼女が幻などではないと分かって、顔をぱっと明るくして彼女に飛びついた。
「おねぇちゃーーーん!!」
「ごふぉえっ」
妖精の飛びつき。リコリスから見れば突進。腹部に妖精の体が突き刺さる。
「びぇぇええええーーーん!! よがっだぁぁあああああ!! よがっだよおねぇぢゃああああぁぁん!!」
「おい馬鹿者っ……肉を掴むな離せ!」
がっしりと両手が腰を掴んでいる。何度も言うようだが、ローブの下は何も着ていない。掴まれれば痛い。ぐいぐいと妖精の顔を押してやめさせようとする。しかし、離れない妖精。
「グオオオオオオオッ!!」
「あ?」
「へっ」
そうこうしていると、例のモンスターが炎を吐き出した。
「ブラックホール」
それを見て、リコリスが魔法を発動させる。黒い靄が彼女と妖精の前で渦巻き、炎を吸収する。
「レイン───」
妖精も同じくして魔法を発動。可視ができない雨粒が2人の周りに浮かび───
「───ショット!」
───モンスターを撃ち抜いた。
1発1発の威力は然程ないが、機関銃のごとく撃ち続けられれば、流石の巨体も多少後退する。
「グ……ォ……!!」
モンスターは頭部の丸い空洞のような穴の奥から赤の眼光。火の粉が散る。
「どおどお?おねぇちゃん。へんなもんすたーでしょ? へんでしょ?へんでしょっ?」
「変、といえば変だが……このモンスターは図鑑でも見たことがないな」
ふわり、ぺたりとリコリスは地面に降り立ち、妖精を侍らせる。
そうしながら、彼女は相手を“鑑定”する。
しかし。
「……ん? 鑑定できない?」
リコリスは奇妙な事態に眉を寄せた。
もしや自分の魔法が上手く機能していないのか、と近くにいた妖精に“鑑定”をかける。
〓〓〓〓〓
名前:レーク
種族:妖精
属性:水
体力:108
筋力:153
魔力:2825
耐久:211
技巧:2672
感覚:1401
総計:7370
〓〓〓〓〓
機能している。ならば、あのモンスターが“鑑定”できていないだけ。
“鑑定”は生物、武具、防具、道具といったありとあらゆるものを文字通り『鑑定』する魔法だ。“鑑定”を弾かれたり、見られてもステータスが隠されていたり、とそういったことは魔法でもできる。
しかし、ステータスがまず表示されないということはない。
(……駄目だ。何度やってもステータスが表示されない)
つまり、あれはモンスターではないということ。
では、あれはなんなのか。
殺されてから何も分からないことが多い。
(……分からないことは考えても仕方がない)
リコリスは腰を低くして構えた。クレイモアは持っていない。力を蓄えている途中の大剣はまだ使いたくなかった。
「大口を叩いた以上、何かしらやってみるか」
「わたしもいるからねっ、おねぇちゃん!」
ふんす、と気合いたっぷりに言う妖精を一瞥して、「頼んだ」とリコリスは一言。
そして、正体不明のモンスターに飛び込んでいった。