1話「とある死霊魔術師の最後」
新たに投稿いたしました。
掛け持ちでやっていこうと思います。
……ほぼ自己満足です。
投稿は不定期です。
では、どうぞ。
とある場所に、1人の女がいた。
まだ若く、美しい。
薄桃色の髪を背中まで伸ばし、金色の切れ長な瞳は冷たくも真っ直ぐで真摯。その目の下には酷い隈があるのだが、それも一種の美と見れば彼女としての魅力に感じられるだろう。豊満というわけではないが、女性らしさがある肉体をしていた。
そんな彼女───リコリス・ラジアータは死霊魔術師である。
死霊や悪霊を使役し、死者を手玉にとることが出来る職業。彼女はそれに加えて呪術、錬金術も扱えるある意味での天才であった。
しかし、だからといって彼女は必ずしも人を不幸に陥れようとはしなかった。
むしろ逆である。
彼女は死霊や悪霊を使役する。それは己の身の回りの事細やかなことをさせるため。例えば、掃除や洗濯、食事、実験の素材集め、周囲の見回りなど。そんな当たり障りの無いことのために使役している。
彼女は死者を蘇らせる。それは遺された遺族が身近な人の最後の言葉を聴きたいと思っているから。勿論、中には生き返らせた人をこのまま生かして欲しいと願う者もいる。彼女はそれを説得し、死者の安寧を護るために死者を黄泉へと帰すのだ。とは言えども、死者の声を聞かせる代わりに死体を実験のために扱わせてほしいと取引はしているのだが。
つまり、彼女は死霊魔術師ではあるが、特段罪に問われるようなことはしていないのだ。その言動が人のためではなく、自分のためだということを除けば。
だからこそ、彼女は現在目の前にいる連中を疎ましく思っていた。
「今すぐに死者を冒涜するような真似は止めるんだ」
「………」
「君には人としての良心はないのか?」
彼女の前には6人の男女がいた。
最近噂になっている勇者一行である。
勇者エドゥアルト・ブルーウィー。
茶色の髪と目をした好青年。体中にはかなり高性能な武具、防具を纏っている。真っ直ぐとした目をしているが、彼女からすれば真っ直ぐすぎる。あの目は自分以外が正しいとは思っていない目だと推測する。おそらく他人の意見を聞かずに自分の意見を強引にでも突き通す男だろう。
聖女エミル・ランバルト。
白に近い金色の髪を腰まで伸ばし、青色の瞳をした清純でありながら淫靡な体をした美しい女性。装備が薄く肢体に張りつくホワイトドレスだけ、というのがリコリスの第一印象を破廉恥女だと決定付けさせたのも頷けるだろう。しかし、劣情を植えつけさせないのが彼女が聖職者である証だと捉えた。手には身長ほどにもありそうな杖を持っている。
賢者ダヴィド・インジェンス。
銀色の髪と緑の目をした男性である。目が悪いのか眼鏡を常に着用している。どこか敵意を孕む眼光でリコリスを睨みつけていた。どこかで会っただろうか、と彼女は一瞬考えたが、思い出せず放棄。灰色のローブを身に纏い、手には身長半分程の杖。そして魔法付与品であろう数々の道具を身につけていた。
戦士ジュンガ・ドゥシャンベ。
鎧の着込んだ、筋肉質な巨体の男性である。正直よくこの家に入ることが出来たな、とどこかリコリスは感心していた。真っ赤な髪と瞳。顔つきは厳つく、人に恐怖を与えるが元からそのような顔なのだろうとリコリスは気にしなかった。自己紹介時に外していた頭全てを覆い尽くす兜。終わればすぐに被ったため、ずっと被りっぱなしなのだろう。
武闘家ハヴェル・リュリュジュ。
濃い緑色の髪と黄緑色の瞳をした不気味な笑みの青年である。なぜ勇者一行に加わっているのか分からない男だ。ひょろりとしていて長身。装備は高性能で機動性の高いものばかり。初めにリコリスを見た際、全身を舐め回すように見ていた。それが非常に気になったが、無視を決め込むと満面の笑みを浮かべた。見た目こそ整っているが、中身はおそらく異質で分かり合えない類の何かを持っているのだろうとリコリスは考える。出来れば退出願いたい者だった。
荷物持ちヒルタ・トリキルティス。
金髪、碧眼の青年。この個性を持つパーティーの中で唯一普通に見える男だった。この男はパーティーの中で唯一の非戦闘員。勇者パーティーの荷物係として存在しているらしい。中へ招き入れた時に1人だけ会釈をしたため、礼儀正しい人だと分かる。装備は高級品だがおそらく見た目だけ周りと合わせているのだろう。道具入れは腰に提げているが、剣や槍といった武器は持っていなかった。
以上の6名が有名かつ最強だとされる勇者一行である。そんな彼らがなぜ彼女の元へとやってきたのか……。
リコリスは不思議に思いながら客間に通す。荷物持ちだけは勇者達の後ろに立ち、残りはふてぶてしい態度でソファに座ると……。
「君がやっていることは誰のためにもならないんだ。それがなぜ分からないんだ?」
「いいですか? リコリスさん。死者は死んでしまえば戻ってこないのです。遺された遺族には哀しいことでしょうけれど、それは絶対なのです。重要なのはそこから立ち直り、そして明日に向かって生きていくことなのです。その日のために精一杯生きていくことこそが大切なのですよ?」
「ふん。どうせ自分勝手な研究のために死体を侮辱しているだけだろう。同じ研究者として風上にも置けないな」
「同じ人間とは思えない所業だ。どこまで落ちてしまったんだ、この女は……」
「…………ぶふっ、……ひひひ」
「………」
彼女を否定し始めた。
最後の武闘家の堪えた笑い声と口をもごもごさせて黙ったままの荷物持ちは無視するとして、どうも勇者達はリコリスの死霊魔術師としての生き方に納得も理解も出来ていない様子だった。一方的にお前が悪いと決めつけ、一方的に罵る。ぐちぐちといつまでもいつまでも死霊魔術師をやめろ、死体を弄ぶな、死者の魂を操るな、と。リコリスが口を開かないことを良いことに、勇者達が思う正しさを延々と口にしていた。
よくもまあ、そこまで喋っておいてネタが切れないものだと彼女は自身で作った特製の紅茶を飲みながら感心していた。
「ここの主人は客に対してもてなしも何もできないのか。人としての感性がとっくに消え失せているんじゃないか?」
鼻で嗤う賢者ダヴィド。リコリスは特に気分を害したような反応もせず、人差し指を立ててくるりと回す。
勇者達が初めて見た死霊魔術師の行動をけげんそうに見ていると、扉が独りでに開き始めた。
それをなんだと思ったのか、武闘家と初めから立ったままの荷物持ちを除く勇者達は立ち上がり、優雅に紅茶を楽しむリコリスを睨みつける。それを彼女は一切気にしない。
入ってきたのは、ティーカップとティーポット、皿に置かれたクッキーやケーキ。それらが黒い靄に包まれながら浮かんでおり、机の上に置かれた。そして、独りでにポットがカップに紅茶を注ぎ、1人ずつ目の前に置かれていく。賢者ダヴィドは不可解そうに眉を寄せる。
「……なんだ、これは」
「見ての通りだが。賢者は自分で文句をつけておいてそんなことも分からないのか。勇者一行もたかが知れてるな」
リコリスが初めて喋る言葉。そのどれもが皮肉。最後には全員を貶している。
「なんだと貴様ぁっ!」
特に貶された賢者ダヴィドは顔を赤くして、出されたカップを机ごと乱暴に払う。机はひっくり返され、リコリスの横を通過して壁に叩きつけられる。自尊心を死霊魔術師風情に傷つけられて怒る姿は、リコリスにとってどこか滑稽に見えた。
「第一!貴様のような者が出した物を飲めるわけがないだろう!!」
「散々人を貶しておいて、ただ一言、私が貶せば君は怒るのか」
「な、ぐっ……き、貴様……!!」
「第一、君がもてなせと言ったのに、飲めない、食べられないと言うこと自体が不思議だ。君の方から頼んでおいて、どの口が抜かすんだ?」
「こっ…こいつ……!!」
「それを言うと予測していたからこそ、私は君達に何も出さなかったんだが? 出すだけ無駄になると知っているからな。食糧が勿体ないだろう」
リコリスの正論に怒りで震えながら、ダヴィドは未だに立ち上がらないリコリスを見下ろしながら睨みつける。それを冷静に無視しながらリコリスは落ちたカップやポット、皿、落ちた食べ物を黒い靄に包み込ませてキッチンへと運ばせる。机は元通りに目の前に戻した。
お互いには沈黙があるまま。リコリスの紅茶を飲み干す音だけが響いた。
「言いたいことがそれだけなら帰ってくれ」
「……何?」
突き放すような声に、勇者は眉の間のしわを深めた。相手の全く反省すらしていない声がしゃくに障ったようだった。それは、聖女も同じである。
「……これだけ話し合っても、まだあなたの非が理解できないのですか?」
「話し合い?」
立ち上がり、部屋から出ようとしていた彼女の動きが止まる。今度はリコリスが鼻で笑う番だった。失笑して言う。
「何を馬鹿なことを。いつ私達が話し合った? 君達は私に不満と批判をぶちまけただけだろう。私の意見も一切聞かずに。それのどこが話し合いなんだ?」
聖女は黙り込んだ。それを見てリコリスはため息を吐き出す。失望したとでもいうかのような、深いため息に武闘家と荷物持ちを除く勇者一行は不快感を覚えた。
「所詮、君達が好きなのは正義と悪なんだろう? 誰かを一方的に悪だと決めつけて罵倒して痛めつけ懲らしめないと自分達の価値すら見出せないのだろう? ならば帰ってくれ。そして、君達の正義を正当化してくれるような場所を見つけてくれ。それがお互いにとってちょうど良いと思うが?」
それはリコリスの本心。そして、的を得ているようにも思える。リコリスは何しも争いの種を蒔くために言っているわけではない。お互いにとってそれが一番いいと思っていることを提案しているだけなのだ。
「……もういい」
ただその言い方が、周りの反感を買うだけであり、悪気は無いのだ。
「君には失望した」
勇者が剣を抜く。シンプルながらも美しいその刃に見惚れるものは多い。リコリスも美しいと思った。ただ、使用者が残念だと思うだけで。
「君は悪だ。人を仇なす人類の敵だ」
その言葉で、勇者一行は戦闘態勢に入った。それを見て彼女は後ろへと跳び下がった。研究者としてはかなり素早い動き。武闘家ハヴェルは口笛を吹く。それを咎めるように戦士ジュンガは睨みつければ、彼は肩をすくめる。
リコリスはやれやれと言わんばかりに左手を前に出す。手の甲には紋陣が刻まれていた。刻印が赤黒色に輝き、次の瞬間には彼女の前に大剣が浮かんでいた。身長程にもありそうな真っ赤な刀身にはおどろおどろしい装飾が纏わり付いている。リコリスはそれを掴み、片手で振り上げ肩に乗せる。
「ミソロジィの大剣か?」
「いや、あの禍々しさ……カースだ」
世の中にある武具、防具は品質により段階分けされている。
下から順に。
一般。
高級。
希少。
伝説。
神話。
レジェンド、ミソロジィになると使用者の体に刻印を刻むことで収納が可能になる。性能も高く、素晴らしい効力を発揮する物が多い。
しかし、時折人の怨念や無念…そういった負の感情が残ってしまい、呪われた武器になる物も存在する。
それが呪縛。
どの階級の武具、防具だろうが、負を取り込めば呪われる。その効力は最大限に高められるが、使用者に何かしらの不幸を贈るのが呪縛なのだ。
それを平然と扱っている死霊魔術師に、勇者達はより一層嫌悪を露わにした。
「ヒルタさん。下がっててもらえますか? 今から戦闘が始まるので、巻き込まれては困ります」
「仲間を傷つける訳にはいかないからな」
「足手纏いはとっとと消えろ」
「っはい……!」
勇者の仲間は荷物持ちを下がらせる。
一方で勇者は仲間を守るように一歩進み出て、リコリスと呪縛の大剣に対して“鑑定”をかける。
〓〓〓〓〓
名前:リコリス・ラジアータ
種族:ヒト
属性:魔女
体力:612
筋力:539
魔力:5097
耐久:501
技巧:4775
感覚:4250
総計:15851
〓〓〓〓〓
〓〓〓〓〓
名称:鎮魂と騒霊のクレイモア
品質:カース
説明:元レジェンド。かつては聖なる大剣として多くの邪悪なる精霊、害となる霊を切り払ってきた。しかし、数知れない人の業が聖剣を蝕み墜としてしまった。この剣を振るう度に霊が呼び寄せられ、人の心と体を蝕むだろう。
体力:±0
筋力:±0
魔力:±0
耐久:±0
技巧:±0
感覚:±0
常時型能力:〔切れ味継続〕〔再生〕〔邪気増幅〕〔痛覚倍増〕〔破壊不可〕〔魔力回復〕
発動型能力:〔悪霊集い〕〔死霊集い〕〔悲鳴〕〔亡霊集い〕
〓〓〓〓〓
相性が良い。まず思ったことがそれである。
あのクレイモアは死霊魔術師のために生み出されたと言っても過言ではない性能を宿している。特にステータスの増減はされていない。それでもリコリスの実力は上位に至る。
故に、惜しかった。なぜ彼女ほどの才を有する者が悪行の中に浸っているのか、と。
勇者はリコリスを憐れんだ。
それを見たリコリスが不愉快そうに眉を寄せる。
直後、2人は同時に踏み込んでいた。
*****
これは負けるな、と。
リコリスは大剣を振り回しながら考えていた。
最早、屋敷の原型が保たれていない。ぺちゃんこである。勇者達は悪と認めた者の住居、周りの植物や自然、環境すら悪だと決め込んでいるのだろうか。
自然破壊。環境破壊。そんなものはどうでもいいと思わせるその態度に思わず失笑してしまう。
「ふんっ!!」
「っと……!」
戦士ジュンガの巨体よりも更に大きい巨大な剣を受け流す。巨大剣が床にめり込み、その下の地面にヒビを入れる。リコリスはそれを足で踏みつけてその巨大剣の上に立つ。そして両足に力を込め、一気に解き放つ。
目の前の鎧戦士に特攻。
大剣を左斜め下から一気に振り上げた。
バチィッ!!
───しかし、阻まれる。
目の前には大剣と張り合うのは鎧ではなく光の障壁。聖女の構築した光の防御壁である。
「ちっ…」
「うおおおおっ!!」
それに舌打ちする彼女の僅かな隙を狙って、巨大剣は振り上げられた。巨大剣に乗ったままのリコリスは空へと打ち上げられる。リコリスは宙を回転しながらも、視界に入った2人に“鑑定”を行う。
〓〓〓〓〓
名前:ジュンガ・ドゥシャンベ
種族:ヒト
属性:溶岩
体力:5058
筋力:5901
魔力:1223
耐久:5542
技巧:2197
感覚:2315
総計:22236
〓〓〓〓〓
〓〓〓〓〓
名前:エミル・ランバルト
種族:ヒト
属性:聖女
体力:1391
筋力:1214
魔力:5748
耐久:1102
技巧:5467
感覚:5929
総計:20851
〓〓〓〓〓
(流石、勇者一行。腹が立つほど強いな。どいつもこいつも希少属性持ちか)
自分も希少属性持ちであることを棚に上げて悪態つく。
属性とは往来、魔力の型のことを指す。
基本的な属性……人に宿りやすい、ありがちな属性は火、水、土、風である。そんな中、時折複数の属性を持っていたり、個人特有の不思議な型を持つ者がいる。
例えば、戦士ジュンガの属性『溶岩』。これは火属性と土属性を合わせたもの。つまり、火と土の2つに関する魔法を扱うことができる。
例えば、聖女エミルの属性『聖女』。これは純潔であり神から認められた才有る修道女に贈られる特殊な属性だ。主に光属性だが、それは一般の光属性持ちとは比べものにならない力を発揮する。
「サンダーボルト」
ビシャァァアアアアン!!!
思考に飛んでいた彼女に非情にも落雷。
「がっ……は……!!」
感覚が3番目に高かったため、危険を感じて咄嗟に直撃は避けられた。しかし、痺れという名の激痛が全身を駆け巡る。リコリスの視界の端に、顔を歪めた男が杖を掲げている姿が見えた。
〓〓〓〓〓
名前:ダヴィド・インジェンス
種族:ヒト
属性:天候
体力:1513
筋力:1195
魔力:7451
耐久:1947
技巧:6389
感覚:4722
総計:23217
〓〓〓〓〓
属性『天候』。
その名の通り、彼は魔力を用いてあらゆる天候を再現することができる。先程の落雷もそうであった。
リコリスは勇者一行に悪態をつきつつ、下を見て一瞬ぎょっとする。地面が目の前に迫っていた。リコリスは痛む体に動けと強制する。
「ぐっ……!」
足から着地、足を曲げて更に地面を転がることで衝撃を逃がす。いつまでも地面に伏せているわけにはいかない。地面についた右手に力を込めようとして───
「は?」
───できなかった。
ずるり、と。
そんな擬音がつきそうな腕のずれ方に、リコリスは目を見張る。
「くっはは」
「っ……」
笑い声でようやく彼女は気づく。腕を切り落としたのはあの不気味な武闘家ハヴェルだと。
異常だ。異質だ。自然体すぎる。
にたにたと笑っている顔もさながら、殺気も敵意も闘気も無い。まるで呼吸のように、当たり前のように男は腕を振るうのだ。
〓〓〓〓〓
名前:ハヴェル・リュリュジュ
種族:ヒト
属性:風
体力:4917
筋力:4281
魔力:1042
耐久:4624
技巧:4879
感覚:7798
総計:27541
〓〓〓〓〓
武器は何も持っていなかったため徒手かと思っていたが、手に装着された鉤爪を見るに情報を訂正する必要があるようだ。
にたにた、にやにや。
得体の知れない者に見つめられて背筋に悪寒が走る。
「再生しろ」
一言、クレイモアに与えられている能力を発動させる。それだけで斬られた右腕はぴたりと切断面にくっつき、次の瞬間には元通りに動かせるようになった。
能力。
武具、防具類が持つ力。それを使うことができるのは使用者のみ。常に能力が継続している常時型能力と使用者が発動させたい時に発動する発動型能力がある。
リコリスに起こったことにハヴェルは初めて笑顔以外の表情を見せた。きょとん、と。目を丸めて口を僅かに開けて呆けていた。直後、口の端が吊り上がる。
勇者とはまた違う違和感を感じて大剣を両手で構え直す。
それを見て、ハヴェルは笑みを深くした。
鉤爪を加えた徒手。素手よりもリーチがあり、また刃と当たっても怪我もしない。何より、男女の力の差がある。体力、筋力、耐久のステータスもリコリスは相手より圧倒的に低い。ハヴェルは次々と拳や爪、蹴りを突き出してくるのに対して、リコリスは剣を持つためどうしても遅くなる。そのせいで攻撃は全て後手に回り、相手の猛攻を防御するのに精一杯であった。
(こいつは絶対武闘家じゃない。暗殺者の方が向いているんじゃないか……?)
何よりも素早く力強い。小手先程度、牽制程度の殴打でさえ、まともに食らえば骨は軋み臓器は傷付きそうになる。
「そら」
「ご……っふ……!」
空間を抉るような爪の一撃が頸を狙う。それをぎりぎり大剣で防げば耳元で甲高い音がした。相手の力に耐えきれず、よろめくように横に飛ぶ。
「おいおい、もっと楽しもぉぜぇ?」
そうすれば相手も追撃するように地面を蹴った。
(死ぬな、このままじゃあ)
ハヴェルとの距離が縮まり絶体絶命でありながらも、頭の中は冷静。ハヴェルの猛攻を防ぎながら周囲に気を配ると、自身を討ち取ろうと陣を組み包囲する4人が。
実力者がたった1人の死霊魔術師にここまで戦力を割くのかと心の中で苦笑いをする。
数という名の暴力。
圧倒的な力の差で殲滅しようとする彼らには遠慮の文字すら無いだろう。
「集え、悪霊」
「あ?」
ぽつりと。
「集え、亡霊。集え、死霊」
ぽつりぽつりと呟いた言葉。途端に鉤爪を受け止めていた大剣が歪に輝き出す。それを見てハヴェルは鉤爪を引いてバックステップ。それを見て、リコリスはにぃ、と口の端を僅かに上げ、瞳を少し細める。ハヴェルはそれを見て、目を僅かに見開いた。
「霊軍団の謝肉祭」
黒い靄に包まれた大剣を地面に叩きつけた。
大剣に凝縮されていた霊達が一気に解放され、術者以外の生物に取り憑こうと暴れ出す。
「うぇっ」
「なんっだ、これは!!」
「クソッ、これに触れるな!!」
霊は実体が無い。物理は無効。有効なのは聖水、聖光、聖火などの邪気を祓うものである。勇者達が霊に手間取っている間に、リコリスはその場から離れて回復を図る。
「また、魂を……!」
死者を操る。その行為に怒りの形相を浮かべたのは、人に慈愛を与える聖女だった。
「死者の魂を弄んでっ…一体何が楽しいのですか!!」
彼女の身長ほどもある杖を掲げる。杖の先に埋め込まれた白の宝石が瞬く間に輝きだした。
「プリフィケーション!」
カッ、と強い光が一瞬辺りを包み込み、光が消えたときには全ての霊が祓われていた。リコリスも流石に驚愕して目を見張る。
「許しません、許しませんよ。あなただけは、絶対にっ…!」
「…ふん。別に君に許して貰おうなんて思っていない。私を戒めたいと言うのなら、言葉ではなく行動で示してみろ」
怒りを受け流すリコリスに聖女エミルの怒りは増す。しかし、強気な言葉と裏腹にリコリスは冷や汗をかいていた。
聖女の光の浄化と自身の霊を操る力はあまりにも相性が悪い。
この世に未練を残し、念いがあるから留まることが出来ている者達が霊だ。その念いすらもただ一言の魔法で祓えるというのなら、いくら霊を呼び寄せても意味がない。
(最優先すべきは、聖女エミルか……)
まずはエミルから叩く。それを決めて左手でクレイモアを握りしめた。
「ふんっ、たかがネクロマンサー程度、ボクの魔法で倒せる!」
加虐的な笑みを浮かべる賢者ダヴィドは杖を振り上げた。
「ブリザード」
突風と共に冷気がリコリスに叩きつけられる。凍え死にそうな寒さである。
「うおおおおっ!!」
そこへ咆哮を上げて突進してくる戦士ジュンガ。属性が『溶岩』である以上、寒さに耐性があるのだろう。
寒さに耐性があり、ステータス的にも勝つジュンガに比べて、リコリスはコンディションも悪くなり、出ている肌がだんだんと青白さを増す。
目線を上げれば勝ち誇ったような顔をしたダヴィドが居た。
「能力発動、環境適応」
ただ一言、力の発動を命じる。
「これでっ……とどめだぁっ!!」
威力とスピードの乗った巨大剣が上段から振り落とされる。極寒で動きが鈍るリコリスには到底躱せない一撃。
これで全てが終わる。悪しき魔女を討ち取ることができる。
「っな!?」
───そう、思っていた。
「ぁがあっ!?」
ガギョッ……とあまりにも鈍い音が響いた。死霊魔術師の長くしなやかな脚擊がジュンガの顔面を撃ち抜いていた。つけている兜が歪み、中にある頭部にまで衝撃は通ったようだ。しかし、昏倒させるまでには至らない。
「ぐっ……! このっ」
「スリープ」
リコリスを掴もうとする手が止まる。彼女はジュンガを蹴りつけた足を通して魔力を頭部に流し、魔法を発動させたのだ。
「な……ぁ……」
「眠れ、筋肉達磨」
ジュンガを強烈な眠気が襲い、微睡み……そして、昏倒する。いまだに吹雪は止まらない。ジュンガの体を雪と氷が覆い、蝕んでいく。それを見た勇者エドゥアルトが弾かれたようにダヴィドに顔を向けて叫んだ。
「ダヴィド! ブリザードを解いてくれ! このままだとジュンガがっ!」
「はあっ!? 何やってんだあの筋肉男!!」
ダヴィドが慌てて吹雪を止めようとする。エドゥアルトは慌ててリコリスを“鑑定”する。そこで、別の防具を見つけた。
〓〓〓〓〓
名称:スライム・ネックレス
品質:ロイヤル
説明:スライムの核を生きたままペンダントに封じ込んだネックレス。製造が難しく、これを作れる者はほとんど存在しない。
体力:+10
筋力:+10
魔力:+25
耐久:+50
技巧:±0
感覚:±0
常時型能力:〔柔軟〕〔痛覚減少〕
発動型能力:〔環境適応〕
〓〓〓〓〓
モンスターの核を元とした希少な防具。おそらくリコリスが自身で作り上げたものだろう。エドゥアルトの胸に複雑な感情が湧き上がる。
「お前はっ……命をなんだと思っているんだ!?」
勇者の叫びにリコリスは再び不愉快そうな顔をした。
「君の方こそ、何に対して怒っているんだ?」
意味が分からない。
魔物退治を行うのは同じだろうに。勇者だってモンスターの皮を剥ぎ道具を盗み、内臓を食らうだろうに。生きている限り、何かを犠牲にしていることは当然だろうに。
(こいつは一体何がしたいんだ?)
リコリスは何も考えずにただ相手を否定するだけの勇者に対して理解ができなかった。あまりにも言っていることが滅茶苦茶過ぎて。
しかし、エドゥアルトもリコリスの答えに理解ができなかった。
命を命とも思っていない言動。霊だろうと自分の私利私欲のためなら何も思わずに扱き使うことができる冷徹な心。彼女の言動をそのように解釈していた。
(こいつは……『悪』だ!!)
己の考えこそが正しいと思っているからこそ、エドゥアルトは他人の思考を、存在を、己の都合の良いようにしか考えていなかった。
「ビリーブ」
一言、己にとっての支えであり、力ある言葉を発する。
その言葉にエミルとダヴィドは顔に希望を宿し、一方でハヴェルは不服そうに口を尖らせた。リコリスはその雰囲気に違和感を感じて相手を“鑑定”する。
〓〓〓〓〓
名前:エドゥアルト・ブルーウィー
種族:ヒト
属性:勇者
体力:6900
筋力:6721
魔力:6242
耐久:6518
技巧:6175
感覚:6654
総計:39210
〓〓〓〓〓
属性『勇者』。
「オレは───」
神から贈られる特殊な属性。
悪を滅し、正義を貫き、慈愛を持って他人に接する、人類にとって希望の光、絶対的な指導者。神に愛され、勝利を呼び寄せるとも言われている者。
「───自分を信じる!!」
爆発的な瞬発力で、エドゥアルトはリコリスに斬りかかっていた。
リコリスはまだ警戒の表情から動いてすらいない。あまりの加速に、エドゥアルトが既に斬りつけていることすら分かっていないようだった。現在、エドゥアルトは視界に入る全てがスローモーションに見えていた。
ビリーブ。
己が信じるものを信じている限り、自分なら出来ると思っている限り、それを実現することができる、破格の力。願いを必ず果たしてみせるという強い心と意志から生まれる思いの力。
属性『勇者』の中で扱える魔法の中でも彼が最も好んで使用している魔法である。
「……相変わらず、エドゥアルトの力は凄いものだね」
「そうですね。彼ならきっと人類を救うことができます」
ダヴィドとエミルは口々に彼を褒めたたえる。一方で、ハヴェルはというと、ふてくされたようにがしがしと髪を搔き乱す。
「………あ~あ」
残念そうにため息を吐きつつ、ハヴェルは勇者が戻ってくるのを待つ。
「ジュ、ジュンガさん! 眠気覚ましです、起きて下さい!」
「…………うぅ」
荷物持ちヒルタは道具入れから眠気覚ましの薬草を煎じたものをジュンガに飲ませていた。
*****
何が起こったのか分からなかった。
自身の身に何が起こったのか分からなかった。
ただ、全身を駆け巡るこの激痛が本物だということだけは理解できた。
「~~~っかは! はっ、はひゅ、っあ″……!」
呼吸をしなければいけないことすら忘れていた。必死に酸素を取り込みながら、ふと体の再生のスピードが異様に遅いことに気づく。痛みを堪えて自身を見下ろせば、下半身が無くなり、胴が斜めに斬り伏せられていた。袈裟切りの威力が並外れている。
(再生が遅いはずだ……重傷過ぎる)
「終わりだ、死霊魔術師」
チャキ、と彼女を斬り伏せたのであろう剣が突き付けられた。
霞む視界。リコリスの目の前には憐れみの表情を浮かべたエドゥアルトがいた。
「……まだ、遅くはないはずだ。君の力はもっと人のために使われなければならない」
やはり、惜しいとは思っているのか。最後の望みを込めて、彼女を改心させようとエドゥアルトは言葉をかけ始めた。
「君の力は素晴らしい。オレ達を相手取って、不意を突いたにしてもジュンガを倒した。もし、君が死霊魔術師を止めるというのならば、オレ達と一緒に……」
「うるさい」
勇者の勧誘を一蹴して、死霊魔術師は彼を睨みつけた。
「私の人生を決めつけるな」
勇者には勇者の正義があるように、死霊魔術師には死霊魔術師の意地がある。他人にこてんぱんにやられたから職業を変えました、なんて、リコリスのプライドが許さなかった。
体は死にかかって虫の息なのに、心はこれっぽっちも折れていない。
勇者はますます惜しいと思いつつも、これ以上は何を言っても無駄だと剣を振り上げる。せめて、最後は勇者の剣で───
「君が死ね」
───殺せなかった。
リコリスの手の刻印が輝き、勇者の無防備な胴に向かってクレイモアが射出された。
最後の悪あがき。リコリスは笑っていた。
しかし、エドゥアルトは不意打ちで射出されただけのクレイモアに対処できないほど鈍くさくはない。
「かっ……は………」
クレイモアの刃の向き、矛先を剣で反転させて彼女の胸に突き刺すくらい、訳は無い。
勇者なのだから。
「……君は、オレ達と共に来るべきだったよ」
息絶えた死体に用はない。己の武器で一生を終えた、悪の死霊魔術師に祈るなんて馬鹿な真似もしない。
勇者は憐れな死霊魔術師の前から去った。
これが、リコリス・ラジアータの、死霊魔術師としての生涯である。
暫くは連日投稿をしていこうと思っています。