転機 ①
自己紹介が終わったばかりだ、私に質問したいことは山ほどあるだろう、だが生憎私には急ぎでやらなければいけないことがあるのでね。
心配するな、後で時間のあるときにじっくりと聞いてやるさ!
彼女は時折このように自らの作り出した"君"に対して話しかけることを趣味としていた。彼女の言い分では「"マズローの欲求階層説"にもあるように理想の自己を実現するためにはまず低次の欲求から満たして行かなくてはならず、その途中にある"社会的欲求(集団に入り他者と関わりたいとい欲)"を自分が現状で満たすためには自己の中に他者を作り出し、一方的に関わりを持つことが最善である」、という事なのだが...まあ、所謂ぼっち族という奴なのである。
私はこの講義が始まる前、決まってすることがある。前回の復習だ、勿論家でもやってきているが講義前に改めて復習を行う、何故ならこの講義は来るものは拒まず、然し学ばざるものは拒む、という感じだからだ。休み時間のうちにきちんと復習しておかねば。
「ビーッ」
ブザーが鳴ると私はペンを止め、部屋の入口の方を向いた。ほぼ同時に足早に講義室に入ってきた教授は黒ローブでも白衣でもなくユルっとしたスウェットを着た背の低い痩せ気味の中年だ。大講義室と呼ばれる広い空間にぽつんとあるその佇まいには、何か少し滑稽なものがあった。
「遅れてすみません。え〜、まず今日は前回の"魔法と魔術の違い"について復習しつつ今回の内容に入っていきたいと思います」
この講義、一見胡散臭そうな感じがするが蓋を開けてみれば歴史背景に基づき魔術信仰や魔法などの概念がどのような目的で考えられたのか、というしっかりとした内容の講義なのだ。
「まず、"魔術"とはその摩訶不思議な事象を操ろうとして人間が発明した術あるいは法則だと言われています。対して"魔法"とはその魔術ですらも行き着く事のできない超常的な事象、魔術が作り出したものならば魔法は既にそこにあるもの、というのが現代におけるこの二つの概念の解釈を私なりに噛み砕いたものです。ここまでは前回やりましたね?
ここからが本題"魔術の歴史について"です。
その昔、"錬金術師"と呼ばれていた人たちがいました、今で言う化学者ですかね。彼らは鉄くずから金を作り出すことができる、などとされた物質"練金石"を作ることを目的としていました。
現代では一応金では無い原子から金を精製することは可能なのですが、時間やコストを散々かけて作り出せるのは雀の涙ほどの金です。現代人ですら不可能なことを機械も原子の概念すらもなかった古代の人にできるはずもく、そうして行き詰まった彼らが縋ったのは"精霊"でした。
全てのものは火、水、風、土、この四つからできていて、その理を司る魔法を"精霊"と呼び、"精霊"の存在を知ることによって全てのものを支配することができる、と考えました。その為に錬金術師たちは様々な儀式を行ったのです。これが魔術の始まりだと言われています」
そう言って教授は初めて息継ぎをした、最初はノートを取るのも一苦労だったが、今ではだいぶ慣れたものだ。"錬金石""精霊"などの重要そうな単語にマーカーを引きつつ、再び話が始まるのを待った。
「こうした魔術は浸透こそしなかったものの、時代の変化とともに信仰に形を変えつつも残って行きました。そして中世、歴史に最も名を残す残虐な事件としてついにその頭角を現したのです。この部分の話は諸事情によりは省きます。気になる方はご自分で調べて見てください、あまりオススメはしませんが...何しろ『何が起こったか』、『誰が起こしたか』などは分かっているものの1番重要な『何故起こしたのか』がいまだに分かっていないのですから」
一つのことが気になったら他一切の全てが入ってこなくなってしまう性分の私は、初めてノートもとらずにただ呆然としていた。
講義室を出てもその靄が晴れることはなく、講義後に聞こえる話し声、校内に立ち並ぶ綺麗に紅葉した銀杏も、いつもなら目が釘付けになっていたであろう黒い毛並みの野良猫さえも、私の足を止めることはできなかった。今はただ事件のことについて調べたい、ただそれだけで私は動いていた。