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「津波って英語でもツナミらしいぜ。」S山が言っている。相変わらずムカつくドヤ顔だ。
「え〜本当ですか〜?」向かい側に座っている後輩の一人が言った。
「まじまじ!なんでもツナミって概念が外国には無いらしい。そんでだから海外でも津波は津波なんだと。」
「へ〜Sちゃん先輩博識〜ムツゴロウみたい〜。」どこにムツゴロウさん要素があったのか今だにわからないが、おそらく彼女の目にはそう映ったのだろう。もしくは彼女の中のムツゴロウさんは物知り博士のイメージなのか。
確かこの日はゼミの飲み会だった。優しく−この場合の優しいとは単位の評価のことである−人気のある教授のゼミで総員40名くらいの中端っこの席に座っているのが俺たちだった。
「山河先輩はなんか無いんですか〜そういうの〜」
「山河先輩そういうの詳しそうっ!」向かい側に一緒のテーブルに座っていたのは語尾をゆらゆらとのばすような話し方をする藤田ニコルを往復ビンタしたかのような後輩が一人。もう一人は語尾にスタッカートが付いたような話し方をする皇族の血を引いていると言われても「ああ〜なるほどなあ。」と思うような後輩であった。
「えっ俺?いきなり言われてもなあ…。」
「…………っ。」
「…………〜。」
柔道、剣道なんてありきたりだしサムライ、ニンジャもそうだ。
「…………っ。」
「…………〜。」
ううーむ。かわいい?なんてもの最近は通じるらしいが英語圏だけだろうか?
「…………っ。」
「…………〜。」
カラオケとかも日本発祥で確かそのままカラオケで使われているはずだったような…。
「…………っ。」
「…………〜。」
いやまてよ…そういえば…。
「そういやさ俺この前までゴリラが英語って知らなかった!」S山が沈黙を破った。助かったが逆に何語だと思ってたんだ。
「ええ〜ジャングル語じゃ無いんですか〜。」ジャングルに帰るべきなのは君じゃないのか。
「ええっ!日本語じゃ無いのっ!」ある意味正解な気もする。
「そうなんだよ。俺もアメリカ語だと思ってたんだけどよ。」もうどこから突っ込んでいいのかわからない。
「ゴリラって英語だったんだよな。気をつけないとイギリスとかアメリカとか行ってゴリラって呟いてたりしたら通じちまうぜ。」知ってるんじゃないか。
「やだ〜そんなのムツゴロウさんみたい〜。」彼女の中のムツゴロウさんに一度でいいからお目にかかりたい。恐らく俺の知っているムツゴロウさんとは別の誰かなのだろう。
突然の来訪者に流石に驚きを隠せなかった。
紛れも無いゴリラ。見れば見るほどゴリラ。
いやきっと色黒な人とかアフリカ系の大柄な人に違いない。見間違えたのだ。そう自分に言い聞かせて一旦目を閉じる。そしてゆっくりと瞼をあげて薄目で見てみる。ぼんやりとうっすらと輪郭が浮き上がってくる。ほらきっと彫りの深いただの人だ。もうちょっと目を開いてみる。まだ大丈夫だ。ほらただのゴリラっぽい人だ。色黒でちょっと顔とか体のサイズが大きめなだけだ。あとちょっと前傾姿勢なだけだ。思い切って目を開ける。そこには、
ゴリラがいた。
ゴリラだ。いやゴリラだ。なんで?なんでゴリラ!?熱の時に見る夢か?とてつもなく自然な流れで玄関が破壊されたのだが大家さんになんと言えばいいのだろう。ゴリラに玄関を破壊されましたなんて小学三年生みたいな言い訳が通じるのだろうか。そもそも保険とか聞くのだろうか。ゴリラ保険とかあるのだろうか。加入する人とかいるのだろうか。保険のセールスとかどうやってるのだろうか。家に訪問して「ゴリラに襲われた時にこちらとかオススメですよ。」などとか言うのだろうか。
「落ち着いて。」ナカガワの口調は冷静だ。いや!落ち着いてられるか!と心で突っ込むことで幾分かの冷静さは取り戻した。
「これはこれはミス・ナカガワ。」ゴリラの背後から手をならしながら一人の男が現れた。
「お久しぶりですねえ。」すらっと細身で眼帯をし、燕尾服を着た紳士のような風貌をした男だ。
「ドクターエリック!」
「ファーストネームで呼んでいただきたいものですが、まあいいでしょう。先ほどあなたが海に大事なUSBメモリを捨てたふりをしてくれたおかげで大変な目にあいましたよ。部下を引き連れて潮干狩りだ。」
「あら、それで見つかったのかしら?お目当てのものは。」
「おかげさまで。探しても探してもあさりしか見つからず諦めかけていたところでしたよ。部下は早々に諦めて本当に潮干狩り始めるし…。」いつの間にか涙目だ。
「それでも一人でも諦めずに探していたらやっと見つかりましたよ。この偽物がね!」
「あさりの偽物?ホンビノスのこと?」
「とぼけるな!本物の設計図はどこだ!」
「逃げるわよ。」ナカガワがそう言ったかと思うやいなや俺の体は宙を舞いベランダから降下していた。彼女に抱きかかえられていると気づいた時には俺の体はすでに地上に降りていた。
「逃すな!」ドクターエリックと呼ばれた男の声が響く。
するとベランダからゴリラが降ってくる。
「そいつらを捕まえておけ!」ベランダから男が指示を出す。
「ウゴアアアアア」ゴリラが雄叫びをあげ、俺たちの前に立ちはだかり両腕を上げた。
「来て!」ナカガワが突然大声を出した。
すると視界の端からものすごい勢いで現れた黒い物体にゴリラが吹っ飛ばされた。美しく宙を舞い弧を描いてゴミ捨て場に落下していくゴリラ。恐らく人生で二度とみることがない光景だろう。「乗って!はやく!」中川に急かされてようやくそれが車だということに気がついた。
「ルートビア!!」エリックとかいう男が階段をかけ下がりゴリラに向かって叫んだ。
「お前このためにバナナ何本やったと思っているんだ!」
「少し飛ばすわよ。」左を見るとナカガワがシートベルトとゴーグルをしてハンドルを握っている。
それは…などと質問するよりもはやくドライブがスタートした。これは後で知ったことだが成人のゴリラの体重は150キロを超えるらしい。それを軽々吹っ飛ばす速度…。
計器など恐ろしくて見る余裕などなかった。